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源氏物語 雲隠の巻

作者: 及川 吉夫

              序文

「源氏物語」で光源氏の最期の日々が描かれていたはずの「雲隠」の巻については現在ではその巻名だけが残されていて本文は伝わっていない。その本文は失われたのか、それとも紫式部が最初から書かなかったのか諸説あるようである。しかし、私がたまたま手に入れた古文書はどうやらその「雲隠」の巻の本文と関係しているようである。古文書といってもそれほど昔の物ではなく、江戸時代の前半あたりではないかと思われる。それが古い本を写した物なのか、それとも誰かの偽作なのかは判らない。とりあえずそれを現代語に訳してここに紹介するので、真贋のほどは読者の判断に任せたい。

               本文

 一番鶏が鳴いてからどれほどの時がたちましたでしょうか、光の君は何かがそばにいるような気がして目をお覚ましになりました。朝の光はまだほのかで物の形もはっきりとは見えません。あたりを見回しましたが、人の姿はなく、物の怪のようなものもなさそうです。ただ、その気配に何か憶えがあるように思われました。「先の衛門の督が来ておるのか」と低いお声でお問いになってみましたが、返事はありません。でもなにやら気配が動いたようでございました。「衛門の督よ、そこにおるのなら少し話をしようではないか。わしもおとなげなかった、わしが言ったことをそなたがあれほど気に病むとは思っておらなんだのじゃ、許してくれ。横笛のことは解っておる、うちの若君に渡すから安心いたせ、それで成仏いたせ」どこかで虫が鳴いておりました。機織り虫と言うのでしょうか、切れ切れに聞こえる微かな声は嗚咽のようでもありました。「それはそうと、右大将が女二の宮にたいそう思いをこめておるようじゃが、そなたの葬儀や何やらで親しくしておるうちにそのお人柄に惹かれたようじゃ、そなたの妹君はあの通りのお人じゃで右大将も心の休まるところが欲しいのやも知れぬ」光の君がそうおっしゃると物の気配も何やらほのかに暖かくなったようでございました。「しかし、女二の宮はなかなか心を許してくれぬようじゃ、そなたへの想いはよほどのものであったのであろう、あれほどのお人をなぜもっと大切にしてやらんだのじゃ、女三の宮よりはるかに心の細やかなお人のようじゃが。もっともわしもそなたを責めることはできぬ、わしも紫の上にはむごいことをしてしもうた。よほど恨んでおるのであろう、夢にも出てきてくれぬわ。お互い見目かたちで相手を選んではいかぬようじゃのう」なにやらまた気配が動いたようでございました。「右大将は浮気な心で言い寄っておるわけではないのだがおのれの気持ちを伝えるのが下手な男じゃ、かのお方が右大将に心を許してくれるようにしてはもらえぬものかのう」光の君はいつの間にかまたまどろんでいました。やがて「ものもう」の声に目をお覚ましになりますとあたりはすっかり明るくなり、物の気配は何も残っておりませんでした。

何日か続いた雨が上がりさわやかな日が戻ってまいりました。大空をせくようにあきつの群れが飛び交い、遠山もかすんで見えるほどでございます。屋敷の庭にもあきつは入ってきて、真っ白になった尾花の穂に三つ四つ止まっております。光の君は車の支度をさせ、わずかな伴を連れてお出かけになりました。都大路に入ってまいりますとにぎわいは常と変わりません。子供の泣き声が聞こえたので下簾の隙間からのぞいて見ますと、男の子に竹馬をとられたのでしょうか、十歳あまりの女童が泣いているのが目に留まりました。その姿が「いぬきが」と泣きながら走ってきた幼かりし日の紫の上の姿に重なります。「あれほど屈託なく快活だった女童がわしの妻になってより心の底から笑うたことがあっただろうか、あれを失のうてよりわしは生きながら空蝉になったような心持であったが紫の上にとってわしとの暮らしはどのようなものだったのだろうか、むしろ最初に言ったようにどこかに嫁入りさせ、わしは後見として世話をしておった方が良かったのだろうか、とうとう出家もさせずに逝かせてしもうたが…」

物思いに耽っているうちに車は先の太政大臣の屋敷にお着きになりました。案内を乞うて御対面になります。このお方も御長男の先の衛門の督に先立たれてからすっかり気弱になり、亡き人の菩提を弔うばかりの暮らしをしておいででしたが、近頃は雲居の雁の君が小さなお子様を連れて里に帰ってくるようなことがあり、そうなると亡き人のことばかり考えているわけにもまいりません。それやこれやで「去る者は日々に疎し」と言われるように、衛門の督を失った悲しみもまぎれる折もあり、以前のようなざっくばらんな気質が戻ってきたようでございます。光の君とご対面になりましてももとより遠慮のない間柄でございますので、いきおい話は右大将家のことにおよびます。「よほど堅い男と思うておったが色好みの血は争えぬものかのう、右大将はお主の兄君であったか」とお笑いになるのでなかなかご返答もなりません。「いっそのこと横笛の話はせずに帰るか」とも思いましたが、亡き人との約束であればそれもなりません。折を見て人払いを願ってかの横笛をお出しになります。女二の宮の御息所から夕霧の右大将がこの笛を譲り受けたこと、右大将の夢に故衛門の督が現れたことなどをお話しになりますと先の大臣もかたちを改めてお聞きになります。「衛門の督の笛には余人の及ばぬ味わいがあったが、もはやあの音色を耳にすることは出来ぬのじゃのう、誰にこの笛を渡したとて」とおっしゃり、まずは涙が先に立ちます。光の君が更に膝を進めて先の大臣のそばにより「実はそれをある者に渡してもらいたいのじゃ」とおっしゃると、何を言い出すのかと怪訝な顔をなさっておいででしたが、低いお声で「うちの若君じゃ」とおっしゃると、一瞬顔色が変わりましたが、先ほどからの光の君のただならぬご様子がようやく飲み込めたようでございます。横笛に目を落として「そうであったか、あの若君は衛門の督の」とつぶやきになりました。

先の大臣のお屋敷から戻られてのち、光の君は練習のための笛をお誂えになり、それが出来てくると女三の尼宮のところをお訪ねになりました。若君は人見知りをする性格なのか、あるいは母親の振る舞いを見ているからでしょうか、三の宮のようになれなれしく近づいてくることはありません。母親のそばを離れず「ご挨拶をなさりませ」と言われても、ただこくんと頭を下げるだけでございます。光の君が「さあさあ、こちらにいらっしゃい、若君の大好きなお菓子を持ってまいりました」と言って干したなつめの実や焼き栗をお出しになりますと、ようやく光の君の方にやってまいりました。「私ももう老い先短い身、私の亡き後はあなたが母君にお仕えしなければなりません。そのためには他の人に侮られないように、学問も大事だし、詩歌や管弦の道にも精進なさりませ、特に管弦の道は幼い時から始めた方が良いと言われております。それで今日は若君のために笛を持参いたしました。私は筝が好きですし、明石の尼君の琴もなかなかのものですが、笛の上手がおりません、あなたが笛の上手になってくれれば管弦の宴も楽しくなるでしょう」とおっしゃって若君の前で少し吹いてみせますと若君も面白がって笛を口に当てて吹いてみましたが、なかなか音が出ないので「どのようにすればそのようなきれいな音が出るのですか」とお問いになります。「誰でもはじめから上手に吹けるわけではありません。あなたのために良き師がいますからそこに通いなさいませ、きっと上手に吹けるようになります、あなたはなかなか筋がよろしいようだから」とお褒めになりますと若君は素直に喜んでおいででした。その後、良き師を選んで若君を通わせるようになさいますと、やはり血筋でございましょうか、しばらくするうちに幼いながらなかなかの腕前になりました。屋敷で若君が笛の稽古をなさっているのを見て三の宮も笛を習いたいとおっしゃり同じ師のところに通うようになりました。それより先、若君が笛を習い始めたころに先の大臣も雲居の雁の君の四郎君に笛を習わせることにして「致仕いたしてより退屈でならぬ」という口実で笛の稽古に同行なさいました。時に光の君の若君と行き逢うこともあり、故衛門の督の面影を伝えているように見えて、涙をお流しになるのでした。

あくる年の春に冷泉院のお屋敷で花の宴が開かれ、そこで幼い三人が笛の合奏を披露することになりました。先の大臣はあの柏木の衛門の督の遺品の他にそれぞれ由緒のある二管の笛を用意なさって「これは我が家に伝わる由緒ある笛ですが、私のような老い先短い者が持っていても仕方がありません、先の長い人に後の世まで伝えていただきたい、今度の花の宴では是非これを使っていただきたい」という手紙を添えて、それぞれのお子様のところにお届けになりました。笛の師は光の君の若君の笛がとりわけ優れているので「なぜ三の宮や御自身の孫でなく」と思いましたが「光の君の若君の腕前が一段と優れている、先の大臣も何度かここに来た折に耳になさったのだろうか」と思ったのでした。

その年の花の宴は三人の若君が笛の演奏を披露なさるというので、光の君を初めとして、先の大臣、鬚黒の大臣、右大将の君、女三の尼宮、明石の中宮、朱雀院、冷泉院、秋好む中宮など、主だった人は残らず集まり、盛大な催しになりました。若君達が幼いながら精一杯の演奏を披露なさいますと居並ぶ人々は大喝采で、涙を流す人、大げさに誉めそやす人など、それぞれでございます。先の大臣から改めて、笛はそれぞれの若君に差し上げるから大切に使ってほしいというお言葉がありました。右大将の君は光の君から「故衛門の督には子供がいなかったから近い血縁というのは父親のことだと思うので、あの笛は先の大臣に返しておいた」と聞かされていたのですが、その笛が光の君の若君に渡っているのを見て「なぜ御自身の血筋の四郎君に渡さなかったのだろうか」と不思議に思ったのですが、このところ雲居の雁の君のことで先の大臣とは遠慮がありますので、その理由を聞くことができず、型通りの挨拶だけで終わってしまいました。

若君たちの笛の演奏の後で先の大臣がお立ちになって「老いの身ながらひとさし」とおっしゃり柳花苑の舞いを披露なさりました。そして光の君も昔の噂を聞いていた人達に乞われて青海波を披露いたしました。舞っておりますと自ずから若き日に先の大臣と一緒に舞いを披露した青涼殿での試楽のことが思い出され、あれからの様々な出来事が次々に浮かんでまいります。藤壷の宮のおんこと、紫の上との出会い、須磨明石での失意の日々と、思い出はつきません。「光の君ともてはやされ、数々の女君と浮き名を流し、位は人臣を極め、子孫にも恵まれておる、しかし、この虚しさは何なのだろうか、もし藤壷の宮がわたしの義理の母でなかったら、もし紫の上に子供が生まれていたら…、私は最も欲しいと思う物にはいつも手が届かなかったような気がする、これが天命なのであろうか」いつしか舞いの手が乱れてしまったことに気づき「いやはや歳はとりたくないもの、身体が思うように動いてくれぬ」と言い訳をして席にお戻りになりました。その夜は先の大臣を六条のお屋敷にお招きになり遅くまで語り合ったとのことでございます。

その年の夏は暑さがことのほか厳しく、宮中で催された数々の御修法もそれほどの験を現さず旱が続きました。光の君も暑さがこたえたようで食が進まず、日々のお勤めも思うようにならないほどでございました。涼しくなればお身体も回復なさるだろうと皆が秋が来るのを心待ちにしておりましたが、秋風が吹いてもなかなか回復せず、床につくことが多くなりました。紫の上の御命日には「ひょっとしたらわしを迎えにきてくれるかも知れぬ」と縁側に床を移して夜の更けるまで空をご覧になっておいででしたが、あいにくの曇り空で、月は雲の切れ間からほんの少し見えただけでございました。


   めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かげ


「紫の上との暮らしも今となっては遠い夢のようにも思える」とおっしゃっておいででした。冷泉院や右大将の君がご心配になって、出来るかぎりの大徳を集めて御祈祷をおさせになりましたが、その甲斐もなく光の君がお隠れになったのは紅葉にはまだ少し間のある季節でございました。

光の君はご自分の死期が遠くないことをお悟りになり六条のお屋敷の女君達に形見分けの目録をお作りになり、屋敷で働いていた者たちもそれぞれ暮らしに困らないように手配をいたしました。女君たちには「くれぐれも殉死は無用、それよりわしの供養をしてくれ」ときつく戒めておいででしたが、故常陸の宮の姫君の末摘花とおっしゃるお方は「光の君ほどのお方がお隠れになったに誰もお伴をしないというのは古えより例のないこと」とおっしゃり、初七日の法要ののち食をお絶ちになりほどなくみまかりになりました。でも世の人々は「せっかく紫の上がお待ちになる極楽とやらにまいられるのにあのお方にお伴をされたのではかえってわずらわしいのではないか」と噂しあったとか申します。

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