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とある愛の話

 ウィルとフランは、森の中にいた。彼らはすぐそばを流れる川沿いを歩いている。

 湿り気を帯びた土に、針葉樹の幹が柱のようにそびえ立つ。

 今日は天気が良いから、空気も澄んでいる。昼間の森の空気は清涼感に包まれていた。

 針葉樹の深い緑。葉の隙間から除く空の青色。幹と土の茶色。

 その中に、ひとつだけ存在感を放つ色が、ぽつんと浮かんでいた。

 金色――木漏れ日の光を受けて、きらきらと輝いている。

 見間違いかと思ったが、近づくにつれて、それが錯覚などではないことが分かった。

 よく見るとそれは子供の形をしているようだった。

 妖精――ではないか。ならば人か。

 それは、膝に顔をうずめて泣いている少女だった。迷子だろうか。

 年齢はフランと同じか、少し上くらいか。

 ウィルは素通りしようとしたが、その手をフランに強く引っ張られた。余りに強い力で引っ張られたので、危うく脱臼しかけたほどだ。

「ウィル……」

 フランはウィルを見つめ、何かを言いたそうにウィルの顔と泣いている少女を見比べた。

 以前の自分と重ねてでもいるのだろうか。ひどく曖昧な顔をしている。フランのこんな表情を見るのは初めてだった。

 握られた手を引く。当然フランの身体はびくともしない。普通の子供がだだをこねているのとは訳が違う。腕力では彼女にかなうはずもないのだ。それでなくともウィルは、一般的な平均男性よりも体格がやや細身な方だ。

「あーもう分かったよ。分かったからこの手を離せッ!」

 ウィルがそう言うと、フランの顔はぱっと明るくなった。ような気がした。

 明るい顔といっても、それは普段の惚けたような無表情と大して変わらない。注意して見なければ分からないというくらいの、些細な変化だった。表情が急激に変化したため、そう見えただけかもしれない。

 しかし、フランはそのまま突っ立っている。柄にもなく我を通した割りには、自分で声をかける気はないらしい。

 他人の視線を気にすることはないが、自分の容姿が人にどういった印象をあたえるのかを、フランは十分に理解している。助けるべき対象を怖がらせてしまっては、元も子もない。

 仕方なくウィルがその迷子に声をかけることにした。

「おい、迷子」

 言ってすぐ、自分で後悔した。

 いくらなんでも、泣いている子供におい、迷子はないだろう。相手を怯えさせまいとしてウィルが代わりに話しかけたのだが、これでは大差ないかもしれない。

 だが、予想に反して相手に怯えた様子はなく、迷子は素直に顔を上げた。

 ぐりんとした大きな目は、泣きはらして赤くなっている。迷子は、その目でウィルの顔をとらえ、次に少し離れた位置で見守るフランをとらえ、嗚咽混じりに言った。

「お兄ちゃんたち、いっしょにお家をさがしてくれるの?」

「あ? ああ、もちろんだ。当然だろう。それ以外で迷子に用はない。まさか迷子に道を尋ねるために話しかける馬鹿もいないだろう。」

 意味が分からなかった。言っている本人にも分からない。

 それでも迷子は、本当にぱっという音がしそうなくらいの勢いで表情を変えた。それは、先ほどのフランのそれとは比較にならないくらいに劇的な変化だった。

 膝をばねにしてぴょんと飛び上がり、立ち上がった。

「わーい! ありがとー。あたしニカ。お兄ちゃんたちのお名前は?」

 そう言って迷子――ニカは、白い歯を剥き出しにしてにいっと笑った。そうすると、口の端から八重歯がのぞく。

 迷子は、もう泣いてはいなかった。


「ふーん、ウィルお兄ちゃんとフランちゃんかあー。そっか、いっしょに旅してるんだ。いいなー。あたしこの森をでたことないんだ」

 ウィル達の前を歩きながら、ニカは快活にそう言った。さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。

 それから、彼女は色々なことを彼らに話してくれた。それらのほとんどは、彼女の両親についてのことだった。

 初めは気乗りしなかったが、ウィルはこの人なつこい少女にしだいに気を許しつつあった。フランもまた、年が近いこともあってか、ニカとうち解けつつあった。といっても、ニカが一方的に話すだけで、フランは曖昧な相槌を打っているだけだが。

 そうしていると、いつの間にか小一時間が経過しようとしていた。

 それにしても、こんなに長い間いなくなった子供をほったらかしにして、両親は何をしているのだと、ウィルは思い始めた

「パパとママは、病気なの。おきあがれないから、ずっとお家にいるの」

 ウィルの表情から察したのか、ニカはウィルの疑問に答えた。

 今までずっと快活だったニカの表情は、そのときだけ暗い陰が降りた。本当に両親のことが好きなのだろう。

 そういえば、親ではなく、家を捜してくれというようなことを言っていたことを思い出した。

 やがて、木々の隙間から、小さな家が現れた。

「あー! あれだ、あれだよ! あたしの家」

 ニカはその家を指さしながらぴょんぴょん飛び跳ねて、家に向かって全力で駆けだした。

「おーい、はやくはやくー!」

 手前まで来ると、少女は無邪気に手を振って、大声でウィル達を呼んだ。

「お兄ちゃん、フランちゃん、ほんとうに、ありがとうございましたッ!」

 ウィル達が家の傍までたどり着くと、ニカは大声でそう言った。

「ああ、よかったな。じゃあ、俺達はこれで――」

「おれいがしたいから、うちへよって行ってよ。おいしいケーキもあるんだよ」

「いや、そういうわけにも……。夕方までには森を抜けないといけねーし」

「じゃあ泊まっていきなよ。あたしのベッド、二人でつかっていいよ。あたしは床でねるから」

「そりゃ余計に悪いぜ。気持ちは嬉しいが、ここでお別れだ……っておい!」

 気づいたときにはもう、フランはニカ招きよせられ、開いたドアの中に入っていくところだった。

「いらっしゃい。お兄ちゃんも早くきなよー。かぜひくよー?」

 不承不承、ウィルも続いて中へ入る。


 ドアを開けてすぐ目に入る部屋は小ざっぱりとしていた。

 入ってすぐ右側の壁にドアが一つ。入り口とは対面の壁にドアが一つ。中央に置かれた楕円形のテーブルと、その周りに並べられた三脚の椅子。そのうちの一脚だけが、他の二脚よりも一回り小さい。

 それだけの簡素な風景のはずなのに、或いはだからこそより一層、それらは一家の団らんを物語って見えた。

「どうぞおすわりください」

 ニカは仰々しくも、可愛らしく言った。

 右の壁に近い席にフランが、入り口と対面の壁に近い席にウィルが腰かけた。小さい椅子はニカの専用だろうから、二人とも遠慮していた。いや、本来は今二人が座っている椅子も、彼らのための席ではないのだ。

「いまお茶をおもちしますね~」

 そう言ってニカは、フランのすぐ横のドアの中に消えた。

 フランは、しきりにウィルの後ろのドアを気にしていた。恐らくは、病気で寝込んでいるニカの両親が、この向こうにいるのだろう。

 死体ほどではないにせよ、死にかけている人間の気配もまた、彼女は敏感に感じ取る。フランがこうもあっさりニカに付いて行ったのも、その影響があったからなのかもしれない。

 起き上がれないと言っていた。日常生活もままならないほどに、ニカの両親の病状は深刻なのだろう。

 ということは、彼らはニカが一人で看病しているのだろうか。

 十歳やそこらの子供が一人で、二人の大人の世話をする。生半可なことではない。よほどの愛情がなければ、とても出来ることではない。

 本当に、心の底から彼女は、両親を愛しているのだろう。

 フランから見てすぐ右横、ウィルの席からみてフランの左側にある扉が開き、ニカが戻ってきた。

 彼女が手に持つトレイには、お茶もケーキも乗っていなかった。

「おまたせー。お茶をおもちしまし……たッ!」

 ニカは語尾に力を籠めながら、トレイの上に乗せられていた小ぶりの斧で、フランの頭を叩き割った。

 それだけで、柔らかい少女の頭はあっさりと砕け、脳漿があたりに飛散する。

「おいおい、随分と物騒なお茶会だな」

 ウィルは半ば驚き、半ば呆れ、椅子から腰を上げ逃げる態勢をとりながら、その光景を眺めていた。

 ニカはテーブルを乗り越え、ウィルの頭上に斧を振り上げる。

 体軸を右にずらすことでそれをかわした。相手は所詮子供なので、避けること自体は、大したことではない。

 ニカが態勢を立て直す間に、ウィルはフランの席から対角の部屋の角へ向かって逃げる。

 普通なら出口へ向かおうとするのだろうが、わざわざ逃げ場のない角へ行ったことで、ニカは一瞬困惑の表情になったが、次の瞬間には再び斧を構え、ウィルへ向かって突進してきた。

 その間にも、フランはテーブルに突っ伏した姿勢から立ち直りつつあることには、ニカはまだ気づいていない。ウィルにとってはそれが狙いだった。この位置からでは、ニカはテーブルの方向に背中を向けていて、フランは見えない。

 フランは、頭から脳味噌をはみ出したまま、おぼつかない足取りでニカの背後に駆け寄った。

「え――――」

 足音に振り向いたニカの、今にもウィルの腹を抉ろうとしていた斧を持つ手を、その細い首筋を、フランは鷲づかみにし、床に押し倒す。

 そのころには、ばっくりと開いて脳漿を滴らせていた頭は、跡形もなく元通りになっていた。

「ぎゃんッ!」

 床に顔面から叩き付けられる瞬間、ニカは子犬のような悲鳴を上げた。

 首と腕をつかんだまま馬乗りになり、右手に力を込める。

 少女の細腕はそれだけで、まるで花でも手折るかのように、ぽっきりと折れてしまった。

 いっそ小気味良いほどの音がした。

「う……うああああああああああああ! いたいッ! いたいよお! やめてやめてやめてフランちゃん!」

「あ……」

「手を離すな、フラン」

 ウィルの制止で、フランはニカの拘束をそのままに、手の力を緩めるのをとどまった。

「はなしてぇッ!」

 ニカは目に涙をいっぱいに溜めて暴れるが、フランはびくともしない。

「お兄ちゃんたちのお肉をたべさせれば、パパとママはきっとよくなる。パパとママの病気をなおすために、しんせんなお肉がいるのッ!」

「肉? 肉だって? お前、俺達を食おうとしていたのか?」

「だって、たべないとしんじゃうもんッ! ニカ、なにもわるくないのに、なんでこんなひどいことするの?」

 ニカの言葉からは、同情を引こうとか、時間を稼ごうとかいう気は微塵も感じられなかった。それはただ、理不尽な仕打ちに怯える、純粋で悲痛なだけの、子供の叫びだった。

 まるで噛み合わない。発音が限りなく酷似している、全く違う言語で会話しているようだ。それほどまでに、彼らの認識の差は深い。自身の認識とは大きくかけ離れた相手の認識を、同一のものだと勘違いできないほどに。

 ウィルは舌打ちして、彼女の両親がいるであろう部屋を睨み付けた。

「親と話したほうが早そうだな……フラン、絶対にそいつを放すんじゃないぞ。何を言われても耳を傾けるな。そいつがさっきお前に何をしたか、忘れた訳じゃないだろう?」

 フランが頷いたのを見届けてから、ウィルは、さっきまで自分の後ろにあったドアに近づいた。

「やめてぇ! パパとママには何もしないで!」

「安心しろ。ちょっと文句を言いに行くだけだ」

 拘束されたままで涙を流しながら訴えるニカに、ウィルは冷静に答えた。

ドアノブに手をかけて、周囲に気を配りながらそっと押した。

 だが、用心する必要はなかった。

 部屋にはベッドが二つ置かれてあり、ドアに近い方のベッドに女が、向こう側のベッドに男が横たわっていた。

 二人とも顔は土気色で、男の方にいたっては既に衰弱しきっているようで、息をしているのかすら分からない。もう死んでいるのかもしれない。

「ニカ?」

 女はうっすらと目を開け、そこに立っているのが我が子ではなく、仏頂面をした見知らぬ青年であることに気づき、全てを悟ったようだった。

「ああっ!」

 両目を見開き、怯えるような表情でウィルを見つめる。

「お前らの娘が、客に向かっていきなり斧を振りかざしてきた。俺は何ともないが、連れの頭はかち割られたぞ。躾がなってないんじゃないか?」

 もっとも、そのかち割られた本人は今もぴんぴんしているのだが、そんなことまで言うと話がややこしくなるので黙っておいた。フランが被害にあったことは事実だし、死んだとは言っていないから、まあ嘘ではないだろう。

「ああどうか、どうか娘だけはお助けください。私たちはどうなっても構いません。あの子は何も知らないのです。自分のしていることが、何も悪いことだとは思っていないのです。あの子をあんなにしてしまったのは私たちの責任です。どんなことでも致します。だから娘は、ニカだけは……」

 たたみかけるように言って、女は震える両手で顔を覆い、懺悔するように訴えた。

「お許しください。お許しください……」

「俺は別に怒ってるわけじゃねえし、許すも許さないもないんだがなあ。謝るなら連れに謝ってくれ。俺はただ、教えてほしいだけなんだよ。あいつに食人趣向を植え付けたのは、おまえらなのか?」

 ふっと、脱力したように、女は落ち着きを取り戻した。というよりは、諦めに近いか。

「もう、隠しようもありません。その様子では、あなたはもう、全てご存じなのでしょうね。けれど、その前に教えてください。娘は、ニカは無事なのですか?」

「ああ、腕を一本折っちまったが、生きてるよ。けど文句は言うなよ。最初に襲ってきたのはあいつの方なんだ」

「そう……ですか。いえ、命を取らないで頂けただけ、あなたに感謝しなければなりませんね」

そして、女は話し始めた。とある家族を繋ぐ絆について。


 女は、小さな街のごく一般的な家庭に生まれたのだという。父と、母と、姉が二人と、弟が一人。まるで、この国の一般家庭の見本のような家だったのだそうだ。

 その普通の家庭において、ただ一つ、普通でないものがあった。

 それは、彼女の食人願望だった。

 いつからそうだったのかはわからない。気が付いたときにはもう、彼女は人肉の魅力に引き付けられていた。

 人の肉はどんな味がするのだろうという妄想に捕らわれ、食事で肉が出てきたときには、これは人肉なのだと想像し、胸を高鳴らせながら口へ運び、末っ子の弟が産まれたときには、赤ん坊なら簡単に殺せるし、肉も柔らかそうだという想像をした。

 けれどそれは、社会規範からも倫理からも法律からも大きく逸脱してしまうことだとわかっていたから、ずっと誰にも言うことなく、何とか妄想の中だけに留めておいた。

 胸の内に、密かに食人の誘惑を押さえ込む女は、同じように食人を趣向する男と出会い、結婚した。自分のこの性質は、他人とは決して解り合えないと思っていた彼女は、出会った瞬間に運命を感じたという。

 彼らがどのようにして出会い、どのようにして結ばれたのかは、この際重要ではない。問題は、彼らが自分は一人ではないということを知ってしまったということだ。

 二人は静かな森の中に小さな家を建て、そこで暮らすことにした。

 やがて二人は子を授かり、二人は三人になった。

 どこにでもある、幸せな家庭。だがその裏で行われていたのは、冷徹極まりない猟奇殺人だった。彼らは、少人数の旅人を襲って殺し、その肉を食べていた。のみならず、それを我が子にも与えていたのだ。

 旅人がこの森を抜けるときは、必ず川沿いを歩く。それをわかっていれば、隠れて待ち伏せることはたやすい。

 子供がある程度大きくなると、彼らは自分達の娘に『狩り』を手伝わせ始めた。

 まず子供が迷子のふりをして、旅の者に発見してもらい、一緒に親を捜すよう仕向ける。適当な時間が経過した後で、あらかじめ決めておいた場所で我が子を捜すふりをしている親と合流する。――本来その役割を担うはずの親が病に伏せっている為、ウィル達を騙すときはこの過程は省略されてしまったが――親は、お礼がしたいと言って家に連れて入り、油断したところを刃物か鈍器で速やかに殺す。

 これが彼らの手口だった。

 世にも稀なる食人一家。

 ニカは、それを何の疑問もなく受け入れた。むしろ彼女は、この一家全員で行う共同作業に自分が加わることを、心の底から喜んでいたのだろう。

 一度自分達のテリトリー内に引き込んでから犯行に及ぶことで、旅人を直接襲撃することに比べ、失敗するリスクは飛躍的に減少した。

 一人でも取り逃がせば、瞬く間に一家の存在は明るみに出る。この狩りに、失敗は許されないのだ。

 しばらくはそれで、幸せな日々が続いた。

 ところが、ある日突然、彼らは病に倒れた。その病は、少しずつ確実に、彼らの体を蝕んでいった。

 人間が人間の肉を食べ続けると、身体に異常をきたすという。その理由として、一説には、共食いという行為を阻止する、生物としての構造が働いているという考え方がある。

 倫理や道徳を抜きにしても、人の肉体は、理から外れる呵責に耐えきれないのだ。

 だが、例えば初めから、日常的に人肉を摂取してきた人間なら?

 まだ乳離れもできない乳児期はともかく、固形物を食べられるようになってずぐにでも、人肉の味を教えられたであろうニカには、人肉に対する抗体のようなものができているのではないだろうか。

 憶測の域を出ないが、それが正解か否かにかかわらず、ニカだけは体に何の異常もきたさず、健康体だった。

 ニカは、彼らの病のもとが、彼ら自身の食生活にあるとは考えずに、長期保存できるように加工して貯蔵してある肉――すなわちかつて人間だったものを与え続けた。

 もちろんそれで良くなるはずもなく、ニカの必死の看病もむなしく、彼らは日に日に弱っていく一方だった。

 そして、ニカは彼らの病気が良くならないのは、古い肉を与えているからだと考えたのだろう。新鮮な肉を食べさせれば、両親の病はきっと良くなると、そういう結論に達したのだ。

 だから、一人で狩りへ赴くことを思い至った。


 初めて会ったとき、ニカはウィル達のことを眺めていた。


 あれは、品定めだったのか。

 ひ弱そうな男と、自分と同い年くらいの少女。一度に二人を相手取るのは、子供でなくとも難しい。だが、相手は気を緩めていて、自分が殺されるなどとは思っていない。それに、自分には知識と経験がある。だから、大丈夫だと思ったのだろう。実に子供らしい、驕った考えだ。

 フランの顔を見ても何の反応もなかったのは、これから解体して肉になる食料の見た目など、どうでも良いということだろう。誰も、これから絞められて解体される牛の模様など気にしない。


 一緒に捜してくれと頼んだ癖に、先頭を歩いていたのはニカだった。


 あれは、獲物を安心させるための演技。

 道中の会話によって、自分を純朴で天真爛漫な少女だと信じ込ませ、思い込ませるための演技。芝居だったのだ。

 ウィル達はその名役者にまんまと騙され、気付かないうちに相手の仕掛けた罠に嵌ってしまっていた。

 泣き虫な迷子は、とんだ策士だったわけだ。


 幼い頃から人肉を与えられ、のみならず食料の調達のための狩りまで手伝わされ、その過程を日常的に目にし、それを当然のこととして認識するように育てられれば、どんな人間が出来上がるだろう。

 どうであれ、決して人間社会で暮らしていくことは出来ないだろう。体と心に染み付いてしまった習慣は、そう簡単に切り離せるものではない。

 一度そういう風に出来上がってしまえば、それがどんなに一般常識や倫理観から逸脱していても、本人にとってはそれが常識で、それ以外のものは得体のしれない、異質なものでしかない。

 彼女にとって、自分と同じ種族の生き物は、自分自身を除いては、この世でたった二人だけなのだ。

 何に変えても守りたい、かけがえのない家族と、生まれ育ったこの森だけが、彼女の世界の全てだった。

 彼女はもう、一生自分以外の人間を人間として見ることができない。

 そして、彼女をそういう風に育ててしまった張本人達は、今ウィルの目の前にいる。

「なるほどな。大体理解した。で、お前たちは、ニカに被害が及ばない限り、何でもしてくれるんだな」

「は、はい……」

「で、何でもしてくれるということは、この家にあるものは何でも持って行っても良いってことなんだよな?」



「放せッ! 放せぇ!」

 部屋を出ると、ニカはさっきまでと同じ体勢でフランに押さえつけられたまま、足をばたばたと動かして暴れていた。

「フラン、悪いが、もうちょっとの間そいつの世話を頼む。家主の許可は得たから、貰うもんだけ貰ってくる」

 ウィルは早歩きでもう一つのドアへ向かうと、今度は一気に開いた。

 どうやらそこは台所のようで、台の上には調味料やハーブの入った瓶が並べられ、壁には調理器具が掛けられていた。

 ビン詰めにされたピクルスは、よく見ると人間の指だった。

 床の一部は四角く切り取られていて、扉のようになっていた。

 そこを開くと、中は倉庫のようで、階段で降りられるようになっている。

 自前のランプに火をつけ、奥へと進む。

 ちろちろと燃える炎が照らしだした物を見て、ウィルは納得した。

「そうか。どうりであいつが反応しなかったわけだ」

 そこには、赤と白とくすんだ黄色が斑に入り混じった物体が、牛や豚の肉がそうされるのと全く同じように、針金で天井からぶら下げられていた。

 手足も首も切断されて、血と内臓を抜かれた人体には、もはや人としての尊厳はなかった。元は男だったのか女だったのかすらわからない。それは完全に、肉屋の店頭に並んでいる商品と同質のものだった。

 壁に打たれた釘にぶら下がる、太目のソーセージ。

台上に乗せられた、白目をむいた生首。

 燻製にされた、恐らくは元は手足だったもの。

 グロテスクではあるが、そんなものは動物の死体でも同じことだ。それが人間である必要はない。

「こんなものは人間の死体じゃない。ただの肉で、物体だ」

フランが見つけられるのは死体であって、食物として摂取される肉ではない。

 ここには望むものはない。そう見切りをつけ、室内の物には手を付けないでおいた。

 食料庫から出てくると、台所の物色を始めた。

 思案した末、幾つかの調理器具をアタッシュケースの空いたスペースに詰め込む。

 刃物類や割れ物は布で包んで、重さや大きさも考慮し、入るだけ入れた。


 数十分程で、ウィルは戻ってきた。

「待たせたなフラン。早いとここんなとこからはずらかろうぜ。追ってこれないように、そいつを縛っておくぞ。それとも、手足をもう二三本ばかり折っておくか?」

「大丈夫だよ。この子はもう、襲ってきたりしない」

 フランはいつも通りの抑揚の無い声と無表情で、感情は読み取れない。だが、確かにニカは大人しくなっていた。床に倒れたまますすり泣いてはいるが。

 彼女達はウィルがいない間、何か話したのだろうか。

 フランは一体、ニカに何を言ったのだろう。

 玄関の戸を開き、部屋を後にするとき、何気なく首だけで振り向くと、ニカと目があった。

 彼女は、彼らのことを睨み付けていた。まるで、理不尽な目にあった子供のように。


 今まで歩いてきた川は、すぐに見つけることができた。どうやら思ったよりは道をそれていなかったらしい。

 今回の一件で、彼らは危うく殺されかけたわけだが、ひどい目にあったとは思っていない。彼らは、半ばこういう目にあうために旅をしているようなものだからだ。

 そういった場で、掘り出し物を発掘するために。それはウィルの体質が否応なく招きよせるものであり、フランの性質が進んで歩み寄るものでもある。

 ウィルは、半ば強引に自らの気質を利益へと転換した。彼はそういう風にしか生きることができない。

 一方、フランの方はどんなに望んで焦がれようとも、人の死に遭遇することなどはめったにない。故に、ウィルという存在に固着する。

 二人の利害が一致している内は、共に行動する。彼らの間で暗黙の裡に交わされた契約は、そういうものだ。

「それ、食べるの?」

「ん、ああ、これか」

 ウィルは、台所にあったピクルスだか何だかよくわからない指漬けを手に持っていた。彼の商品の趣旨とは多少違うが、面白かったので持ち帰った。何せ食人愛好家に会うのは初めてのことだ。しかも家族ぐるみで。

 一応は食品なので、いつかは腐ってしまうだろうが、その前に誰かに売りつけてしまえばいい。顧客の中には、欲しがる奴はいくらでもいるだろう。

「さあ、どうだろう」

「ん」

 ウィルの方に両腕を伸ばしてくる。その意図を察し、ビンを差し出した。

 フランは、しばらくそれを日にすかしたり、回したりして眺めていたが、おもむろに蓋を開けると、その中の一つを取り出し、小さな口でちょっぴりかじり取った。

 しばらく味わうように口の中で転がして、飲み込んでから一言呟いた。

「すっぱい」

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