ツギハギ少女と落ちる屍
「フラン」
ウィルは列車の中で、向かい合わせの席に座っている少女に声をかけた。
フランと呼ばれた少女は聞こえていないのか、窓の外をぼんやりと見ている。
「おい、フラン」
もう一度、今度は少し大きな声で、少女の名前を呼ぶ。
「ふぇ?」
フランはその声に気付き、こちらを向いた。
「もうすぐ着くから、降りる準備をしろ」
「ふぁ? うん、わかった」
本当にわかったのか、ちゃんと聞いていたのかも定かではない声で、フランは気の抜けた返事をした。
蒸気を吐き出す音と共に、列車は街に到着した。ウィルは最低限の日用品を詰めた鞄と、商売道具である茶色いアタッシュケースを持って列車を降りた。
ウィルが歩き出すと、フランはそれの後を追う。
街の人間は、ウィル達を見てぎょっとした。そしてそのあとはじろじろと眺めてくる。いや、正確には、希有なモノを見るような視線で見られているのはフランだけだ。
それもそのはずだ。フランの容姿には、普通の八歳や九歳の子供のそれとは違う、致命的な外傷があった。
フランの顔には、大きな手術痕がある。
左目に縦に一筋。鼻の上に横に一筋。髪に隠れていて見えないが、額にも横に一筋。幼い少女の年相応のかわいらしさを台無しにする程度には、その傷ははっきりと、深く刻まれていた。そして服の下は、それ以上に酷い有様だ。
フランはまわりの視線など全く気にした様子もなく、ただぼうっとした目つきでウィルの後ろを歩いている。
ウィルもまた、フランが醜い生き物でも見るような視線で見られていることは、別段気にかけはしなかった。
「ちょっと出かけてくる」
ホテルにチェックインして早々、ウィルはそう言った。
「どこに?」
「この街一番の大金持ちで、悪趣味な奴の家さ。商品を売りつけに行くんだ。おまえも一緒に行くか?」
フランは黙って首を横に振った。
「そっか。まあ、その方がいいか。あのおっさんなら、珍しがって、おまえを買いたいって言い出すかもしれねーもんなぁ」
一人で勝手に納得して、ウィルはアタッシュケースだけを持って部屋を出て行った。
一人残されたフランは、座っているベッドに後ろ向きにぱたんと倒れ、しばらく眠たそうな無表情で天井を向いていたが、そのうち本人も気付かないうちに眠っていた。
メインストリートから外れ、路地を抜けた先に、小綺麗な住宅街がある。この街の富裕層が住んでいる地域だ。幅の広い道の左右には、広い敷地面積を余すところ無く住まいや庭とした建物が建ち並んでいる。
ウィルが向かったのは、その中でも一際目を引く、大きな屋敷だった。
この屋敷には、醜いモノに魅入られた、バーンズと言う男が住んでいる。
バーンズには、今までも何度かウィルの商品を買い取ってもらったことがあり、常連客の一人だ。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました。ささ、どうぞ中へお上がりください。今日はどんな素晴らしい品を見せて頂けるんでしょうなあ」
にこにこ顔でそう言った屋敷の主人は、中へウィルを招き入れる。
「失礼します」
ウィルはそれなりに礼儀正しく振る舞い、屋敷の中へ入る。
扉から入ってすぐに大きなホールがあり、階段を上って廊下を通った先にある応接室に通された。
その内装は、まともな感性を持った人間ならば、見た瞬間に凍り付かざるをえないだろう。
部屋の中央にあるのは人の皮で作った絨毯だ。トラの皮の絨毯というものがあるが、あれと同じように、これにも頭の部分が付属しており、部屋に入ってすぐ、そのえぐり取られた両目の眼窩に出迎えられた。
そのなめされた皮膚の上には、表面に乾ききった血の後がべっとりと付いたテーブルが置いてあり、それの左右には、人の形に焼け焦げた跡のあるソファが並んでいる。
「どうぞ、おかけください」
とバーンズは、そのソファに座るよう促し、自分も腰掛けた。人間の皮を、革靴で踏みつけながら。
あまりいい気分ではないが、焦げ臭いにおいが漂ってきそうなソファに腰掛ける。アタッシュケースは足下においた。
去年まではこんなソファではなかったはずだ。しばらく来ない間に、新しく仕入れたのだろう。
ウィルはそのソファをよく観察することにした。
焦げ跡に付着した色は、人が焼けた時に出る特有のものだ。もう残ってはいないが、焼けてすぐの時は相当な臭いだったろう。
二つのソファは、ほとんど左右対称に焦げ跡が付いていた。
頭と思われる方の向きも、かろうじて形がわかるほどの腕の位置も、鏡に映したかのようにそっくりに。
いったい何がどんなことになればこんなものが二つもできあがるのか、ウィルにはわからなかった。そして、こんなものを買いたがる人間の気持ちもわからない。
まあ、こんな部屋に平然と入って、何の抵抗もなく、人の形に模様のついたソファに座るウィルも、はたから見ればバーンズと同類なのだろうし、そういう人間のおかげでウィルの商売は成り立っているのだが。
ドアをノックする音がした。
続いて、微かな軋む音をたててドアが開く。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
あらかじめ録音されたように、機械的で平坦な声な声がして、ポットとカップを乗せたワゴンを転がしたメイドが入ってきた。
そのメイドを見て、ウィルはぎょっとした。
年齢は二十歳ほどだろうか。
栗色で、少し癖のある髪の毛は肩の辺りで切り揃えられている。
上品でシンプルなデザインのメイド服を着ているせいで大人びて見えるだけで、もしかしたらもっと若いのかもしれない。
しかし、彼女の年齢を分かり難くしているのは、それだけではなかった。
全く感情の感じられない目。
およそ情緒というものが欠落したような動き。
そこには、自分の意志のようなものは微塵も見られなかった。
その姿は、ある一つの動きをするためだけに設計された、ぜんまい仕掛けの人形を連想させた。
メイドは、あらかじめ設定されていたかのような、機械的で自動的な動きで二人分のお茶をテーブルに置いた。
「失礼しました」
彼女は金属の軋む音で人の言葉を再現したような声を発し、丁寧にお辞儀をして部屋を出て行こうとすると、バーンズがそれを引き留めた。
「メアリー、お待ちなさい。こちらへ来なさい」
メイドは、ドアノブにかけようとしていた手を止め、こちらに歩いてきて、人皮の絨毯の頭が足下にくるような位置で制止した。
「おわかりになりましたかな?」
嬉しそうな顔をして、ウィルにそう尋ねてくる。
蝶の標本を自慢する、無邪気な子供のような顔で。
「ええ、まあ、いろいろと人間離れしていましたので」
ちらりとメイドの方を見たが、メイドは眉一つ動かさず、その瞳はじっと一点の虚空に集中していた。
「さすがは血にぬれた歴史を売り歩く呪われた行商人。驚きはしても、冷静ですな」
「メアリーというのが、彼女の名前ですか?」
「左様です。勿論、本名ではありませんが、始めに名前を呼ばなければ反応しないのです。ですが、何も言わなくてもお茶を持ってきたのは、メイドとしての仕事の役割を始めに設定しておいたからです。これは、人間から人為的に自我や意志などと呼ばれるものを切り離された人形なのです」
「意志を、切り離す?」
「正確には、頭の構造を造りかえられたと言った方が適切でしょうか。具体的には、外科的な手術を施したり、特別な薬品を投与したりするのです。
その後も、訓練や調教を繰り返したりすると聞いています。
そうすることで、人間の意志や感情、人格、趣向などを、自由に造りかえられるのです。改造人間、とでも言いましょうか。
元々は軍事目的で、いくら鉄砲玉をくらっても怯まずに、死ぬまで戦い続ける兵士を造るために考案されたのですが、制作には膨大な時間と労力と予算が必要なため実用的でないということと、あまりに命令に忠実すぎて実戦での小回りが利かないということで、その試みは試作段階で中断された。その試作品を私が買い取ったというわけです」
聞いてもいないのに、バーンズは勝手に話し出した。
ウィルはメアリーが運んできた紅茶を飲みながら、ふむふむと聞いた。
勝手に始まった話ではあるが、それなりに面白かった。というより、ウィルは基本的には何でも面白く思おうとする性質なのだ。
「兵士には不向きかも知れませんが、使用人としてはすばらしいですぞ。
ある程度は自立的に考えて動きますが、基本的には命令にしか従いません。給金を与えずに、一日中こき使っても文句一つ言わず、水と最低限の食事さえ与えておけばなんでも言うことをききます。例えば、そうですね。
メアリー、自分の髪の毛を毟りなさい」
主のその言葉を受け、忠実な使用人は自分の頭に手を伸ばし、自身の頭髪の一部を掴む。
そして、一切の手加減もなく、それを毟り取った。
ぶぢぶぢぶぢぶぢぶぢぃっ
耳障りな音を立てて、髪の毛が頭皮から離れる。耐え難い痛みが伴う筈だが、メアリーは顔色一つ変えず、さっきまで自分の体の一部だったものを手放した。
栗色のタンパク質の繊維が、はらりと床に落ちた。
「おや、床が汚れてしまいましたね。メアリー、床に落ちた髪の毛を食べて掃除しなさい」
想定通りの事なのか、バーンズは実にわざとらしく、重ねて彼女に命じた。
メアリーは言われた通りの事をした。つまり、床に這いつくばって先ほど自分が捨てたごみに頭を近づけ、口をあけ、舌を出し、床を舐めながらそれを口に含み、租借し、
ごくん
なかなか噛み切れないと分かると、そのまま嚥下した。
ウィルはそれを、バーンズに対する呆れと、メアリーに対する同情と感心を持って眺めていた。
「どうです?すばらしいでしょう。ちなみに、誤作動を防ぐために、私の命令にしか反応しないように設定してあります」
気がつくと、カップの中は空になっていた。飲み終わったカップを皿の上に置いた。
「なるほど。よくわかりました。ところで、そろそろこちらの話を進めてもかまわないでしょうか」
「おお、これは失礼いたしました。つい夢中になってしまって、本題を忘れておりました」
ウィルは、アタッシュケースを血まみれの机の上に置いた。
商談は、バーンズとの雑談よりも早く終わった。十数個持ってきた商品は、どのような物か説明した先から、ウィルの言い値で買い取られてしまったからだ。
「はい、ありがとうございました。今後ともごひいきに。ところで、改造人間について、もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「ええ、一つといわず、いくらでもどうぞ」
「人格を自由に造りかえられるとおっしゃりましたが、それなら感情を無くすだけでなく、都合の良いようにコントロールしたり、人格を改変させたりすることも出来るのですか?」
バーンズはその質問を聞いてにやりとした。よくぞ聞いてくれたと言うように。
「さすがはあなた様。そこまでおわかりになるとは、いえ、わかることは誰にでも容易い。しかし、そんなにも平然とお聞きになるとは、感服するばかりでございます。
はい、その通りでございます。研究施設では、戦闘に有利な人格というものも研究されていたようです。詳しいことは私には分かりかねますが、御覧になりますかな?」
「ええ、ぜひ」
地下室へと続く階段を、メアリーが歩き、その後ろをバーンズ、ウィルと続く。
所々に吊るされた、橙色の電球が明滅する。
実際はそんなに長い階段ではなかったのだが、暗闇で先が見えないせいで距離感がつかめず、まるで奈落の底にでも通じているかのようだった。その異様に長く感じる階段を下りた先に、それはあった。
それは牢獄だった。レンガでできた壁に、大きく四角い形に窪んだ箇所があり、そこに蓋をするように鉄格子がはまっている。
檻の奥は深い闇だったが、じっくりと目を懲らすと、たしかに何かいるということは感じ取れた。完全な闇の奥で、かすかに何かが蠢いている。
「フォリー、お客様ですよ。もっとこっちへ来て、姿をよく見せておくれ」
バーンズは、ペットに話しかけるような口調で、闇の中で蠢いているモノに声をかけた。フォリーと言うのが、それの名前らしい。
バーンズがこっちに来るように促したが、フォリーはまるで聞いていないようだ。どうやら、フォリーという改造人間は、メアリーほど主に忠実ではないらしい。
「ふうむ、歯を剥き出しにして襲いかかろうとしてくることもあるのですが、今日はおとなしいようですね」
残念だと言う風に、バーンズは肩を落とす。そして気を取り直し、得意げにフォリーについての説明を始める。
「これは名をフォリーと言いまして、頭の中を造りかえられているという点ではメアリーと同じですが、その特性はかなり違います。
メアリーの場合は一切の感情や人格や性格を消去してありますが、フォリーの場合は、その趣向を上書きしてあります。
具体的には、殺人がしたくてしたくてたまらない。殺人のことしか考えられない。人間の死体や、人を殺す行為そのものにしか感情が傾かない。ほかの行為に感情を移そうとしても、まるで土を食むように味気ない。動いている生き物を見たら、その心臓を停止させることに専念している自分しか想像できない。そのような思考回路、精神構造になるので御座います。
ただ、このような殺人趣向は作成される前の段階から、集団行動に不適合で、仲間同士で殺し合う可能性が大いにあり得ることが理由として、兵士には不向きだということが分かっていたそうです。兵士にするためというよりはむしろ、どれだけ人間の脳を思い通りにすることが可能なのか知るために造られた、実験的な試作品と言えましょう」
バーンズは一気にそこまで話した。こういった趣味を共有できる相手がなかなかいないので、同志というわけではなくとも、一応は話を聞いてくれるウィルに話すときは夢中になるのだろう。
「フォリーは、殺人にしか興味を示さないというだけで、人格や感情はそのままなのですか?」
「ええ、そのとおりです。それが何か?」
「いえ、なんでもありません。大変興味深いお話をありがとう御座いました。今日はこれで失礼します」
「お帰りですか。では、メアリーに外まで案内させます。メアリー、お客様をお見送りして差し上げなさい」
ウィルを屋敷の門の手前まで案内している間も、メアリーはずっと無表情だった。ウィルが門の外へ出ると、機械的な動きで、深々と頭を下げた。
ウィルがその場から動かずにいると、しばらくして頭を上げた。その虚ろな瞳を見ながら、ウィルは話しかけてみた。
「なあ、お前、腹の具合大丈夫か?」
「………」
返事はない。まあ、期待していたわけではないが、こうも黙っていられると、無視をされたような気分になって、少しだけ気まずくなった。
「えっと、お前、退屈になる時とか、ないのか?」
今度も返事はないものと思っていたが、思いがけず反応は返ってきた。
言葉は無かったけれど、彼女は右向きに、首をかしげた。もしも彼女に何らかの表情があったなら、その動作に意味づけをすることもできただろう。
しかし、この人形に表情は無い。
表情の無い人間は、顔が無いのと同じことだ。そんな人間が首を傾げても、首が不自然にねじ曲がった人形のようにしか見えない。
それでも、確かに人間だ。不気味でも、不自然でも、これが、ウィルに見せた、メアリーの初めての人間らしい動きだった。彼女には、本当にウィルの言っていることが分からないのだ。
「今考えていることを言ってみろ」
「………」
しばらく待ってみたが、今度は何の反応も見せなかった。
諦めて、メアリーに背中を向ける。
「じゃあな。紅茶、うまかったぜ」
しばらく歩いてから後ろを見ると、メアリーはまだ門の前に立っていた。
更に歩いて、曲がり角に入った。壁から顔を出して再び屋敷の方を覗いて見ると、ようやく屋敷の中に入っていくメアリーが見えた。『見送れ』という命令に忠実に従った結果なのだろう。
「改造人間……か、あいつに似てるんだよな、あれは」
バーンズは、ウィルはメアリーを見て、その異様な目の淀みと、平坦な口調に驚いたと思ったのかも知れないが、そうではない。いや、結果としてはそうなのだが、その意味を履き違えている。
メアリーそのものに驚いたのではない。
メアリーが、フランにあまりにもよく似ていたから驚いたのだ。
今もホテルで待っているはずの、あの少女に。
鈍感で、いつも動きが一拍遅れる少女。
全身手術跡だらけの、物語に出てくる怪物のような少女。
とはいえ、フランとメアリーには、さほど酷似した要素があるわけではない。
フランの、異常なまでの無感動さはメアリーに通じるものがあるが、フランは完璧に無表情なわけでは無いし、感情はちゃんとある。
分からないことがあれば聞いてくるし、ちゃんと自分で考えて動いているように見える。最近分かった事だが、フランはウィルが思っているよりもずっと頭が良くて、博識な少女なのだ。
では、何が似ているのだろう。
ウィルは、メアリーを見た時に、瞬間的にフランのことが頭に浮かんだ。醜い傷跡が顔中に奔り、短いぼさぼさな黒髪をそのままに、大きな黒い瞳で見つめてくる、あの少女のことが。
はっきり言って、見た目だけで言うなら全く似ていない。外見以外のことでも、メアリーが間の抜けた口調で話した訳ではないし、フランは機械的な動作で動く訳ではない。
ウィルにも、自分が何故、メアリーがフランに似ているなどと思ったのか、分からなかった。けれど、まあ、別に気にするようなことでも無かった。
夜だった。旅の途中に訪れた街で、それを見つけた。
それは壁にもたれかかって、膝をかかえてうつむいていた。
それは八歳か九歳ほどの幼い少女の姿をしていた。
それは腕も脚もむきだしの簡素な服を着ていて、手足には大量の手術痕があった。
それの手や服は血まみれだった。その血はまだ新しく、闇の中でぬらぬらと輝いていた。
それは痩せているようだったが、身体に骨の浮いたようなところはなく、栄養が足りていないようには見えなかった。
男はそれに向かって話しかけてみた。特に理由はない。強いて言うなら、なんとなくだった。
「なあ、お前、なんでそんなに血まみれなんだ?」
それはゆっくりと口をひらく。
「殺したから」
「殺したって、誰を?」
「わたしを造った人」
「どうやって?」
「こう……やって……」
そう言いながらそれは、両手で目の前の空間を締め上げた。
『わたしを造った人』とやらをきつく絞めすぎて、血が絞り出されたから血まみれになっている。ということだろうか。だが、その細い両腕には、とてもそんな力があるようには見えなかった。
「へえ、お前見かけより結構馬鹿力だな。で、おまえ、帰る場所とか、必要とされている人間とかいるのか?」
それは首を横に振る。
「そっか、じゃあお前は無意味だし、無価値だな」
それはその言葉に、言い返しもしないしぴくりとも動かなかった。認めているとか、言い返せないというより、無関心なのだ。或いは、無感動なのか。
だが男にとっては、そんなことはどうでも良かった。とりあえず言葉は通じるようだし、何も問題はなかった。
「じゃあ、俺と一緒に来るか?」
「……一緒に?」
「そうだ。俺はどういうわけか、昔から周りの人間が殺し合うことがよくあってな。殺した奴や殺された奴が使っていた物とか、凶器とか、いわゆるいわくつきの品ってやつを殺人現場から拾って、売って歩くのが仕事だ。
だが最近は、そんなに殺しの場面に遭遇することが起こらなくてな。殺人自体は起こってんだろうけど。
それはそれで良いんだが、商売にならない。と言うわけで、自称人殺しのお前を殺人の凶器と解釈して、俺の商品になることを提案しているというわけだ。
俺と一緒にくれば、お前にも持ち主や意味や価値を与えられるかも知れない。嫌になったらいつでもどっか行って戻ってこなくてもいいから、俺の商品になる気はないか?」
そう言って、それに向かって手を差し伸べる。
それは顔を上げて、その手を見た。
それの顔は、傷跡を除けば、なかなか可愛らしい顔をしていた。
そのまま長い時間が経った。いや、実際は数分程度だったのだろうが、手をさしのべるポーズのまますごす数分間というのはなかなか長く感じるもので、ずっとその体制をとり続けていると、かなりばかばかしく思えてきた。
痺れを切らし、とうとう手を引っ込めようと思ったとき、それは緩慢な動作で、血まみれの手をウィルの手の上にのせて握ってきた。
そのまま、手首をもぎとられるのかと一瞬思ったが、そんなことはなかった。
血まみれの手を握りかえして、引っ張って起こしてやる。
「おまえ、名前は?」
「………フラン」
「そっか、俺はウィリアム。ウィルでもいいぜ」
そう言って、フランと名乗ったそれの手を握ったときに手に付いた血を見て、次にフランの身体に付いている血を見た。
「とりあえずおまえ、体洗え。それと服着替えろ」
「……ラン、フラン」
その声で、フランは目を覚ました。一瞬何なのかわからなかったが、すぐに自分の名前を呼びながらウィルに起こされたのだとわかった。
「ふぇ?」
ウィルを見上げる。
「ほら、これ」
ウィルは手に持っていたものを差し出した。それはパンに肉や穀物をはさんだ食べ物だった。
体を起こし、ウィルを見上げる姿勢のまま固まっていると、ウィルは言った。
「飯だよ、おまえのぶん。いらないのか?」
ふるふると首を横に振り、パンをうけとり、小さな口で囓る。
腹はあまり空いていなかったが、栄養摂取のために口に入れる。味はよくわからなかった。何が『おいしい』で、何が『まずい』のかは、よくわからない。
ベッドの上で食べるのは行儀が悪いのかもしれないが、フランもウィルも、そんなことは気にはしなかった。
長々と時間をかけて食事を終えた。ウィルはソファに腰掛けてたばこを吹かしていた。
フランはベッドに座って、少しうつむいて一点を見つめ続ける。
やがてまぶたがおり始め、ときおり首がかくんと傾く。
そして、とうとう全身から力が抜け、ベッドから転げ落ちた。
どたっ、という音でそちらを向くと、フランがベッドから落ちていた。
そのまま動かなかった。寝息が聞こえるので、完全に眠っているのだろう。
ウィルは床に転がったフランをベッドに横たえながら、昼間あれだけ寝たのにまだ寝るのかと呆れた。
太陽が沈みかけ、外で遊んでいる子供が家に帰るような時間になった。
夕食の前にシャワーでも浴びようかと思ったその時、唐突にフランが目を開いた。
「よう、よく眠ってたな。もう夜だけど、昼間そんなに寝ちまったら、もう寝れないんじゃないか?」
話しかけたウィルを無視し、そのまま天井を見つめて数秒間たった後、むくりと起きあがった。
ウィルは、その様子がいつもと違うことに気づいた。いや、いつもと違うのではない。いつも通り。と言った方が正しいだろう。
彼女はもう、ウィルの商品などではない。もっと対等で、互の性質を必要とし合うような関係だ。
それは彼らの関係性を曖昧なものへと落とし込むような変化だったが、元より彼らは、ほとんど偶然だけで成り立っているようなものなのだ。本来ならば、今同じ部屋にいて、同じ空気を吸っていることすらも不思議なことなのだ。
「おまえ、また何か見つけたのか?」
「ん。こっち」
フランはベッドから降りると、部屋の出口に向かって歩いた。
薄暗くなった街の中。頭の先だけを覗かせた太陽が、一人の男と一人の少女の陰を引き延ばして映す。あちこちで街灯がちらほらと点き始めていた。
昼間はあんなに賑わっていた大通りも、今はたまに人とすれ違う程度だった。
ウィルの前を、フランはしっかりとした足取りで行く。初めて通るはずの道を、以前から知っていたかの様に、迷いなく歩いていく。
「おい、この道、俺も知ってるような気がするぞ」
と言うより、今日の昼間に通った道だった。
路地を抜けると、富裕層が多く住んでいる住宅街があり、その中でも一際大きな家の門の前で、フランは足を止める。
「って、ここはバーンズの屋敷じゃねえか」
そこは紛れもなく、今日の昼に訪れ、主と商談を交わし、改造人間の存在を知り、メアリーに別れを告げて帰った屋敷だった。
フランは扉を開けようとするが、当然鍵が掛かっているため開かない。
ウィルが駄目元でノッカーを叩いてみると、意外にも扉が開いて、メアリーが顔を出した。
「申し訳ありませんが、お客様、バーンズ様は今、お客様とはお会いできません」
あらかじめ録音しておいたような、形式的な客への対応。その感情のこもっていない声はとても落ち着いていて、異常なことは何も無いかのようだった。
彼女の頬と、両手と、胸から腹にかけてが真っ赤な血に染まっていて、同じく血がべっとりと付いたノコギリを右手に持っていなければの話だが。
「お前……何してたんだ」
メアリーは首を傾げる。昼間そうしたように、壊れた人形のように。何かが分からないと言うように。
メアリーは、何も分かっていなかった。ウィルが何故そんなことを言うのか、何故屋敷の主は会えないと言ったのに、諦めて帰らないのか、まるで分かっていなかった。
メアリーを押しのけて中へ入る。メアリーはそれを止めようとはせず、抵抗もしなかった。
入ってすぐ、そこにあるものが目に入った。
「バーンズ様は今、お客様とはお会いできません」
メアリーは、声の高さも息継ぎのタイミングも、さっきと全く同じに言った。
「ああ、たしかに会えるわけないよな。これじゃあな」
ウィルは苦笑混じりにそう言った。
そこにあったのは、首を切断され、右腕を切断され、左腕ももう少し切れば切断できそうなところまで切られた死体だった。傍らに切断された右腕と首が置かれており、その首が昼間見た人物のものだったので、それがバーンズの死体だと分かった。
隅々まで掃除がゆきとどき、塵ひとつない床一面に血液が広がり、今もなお、切断された腕や首の断面から赤い液体がどくどくと流れ出していた。
タンッ
何かが跳ねるような音がした。
音のした方を向くと、右手に何か刃物のような物を握り、目をぎらぎらと光らせた少年が、こちらに向かって走って来ていた。
「うおっ!」
ウィルは驚いて声を上げ、すぐそばにあったものを盾にした。
ウィルの後から入ってきたらしく、すぐ横を通り過ぎようとしたフランを掴んで、盾にした。
襟首を掴んで、今まさにウィルに襲いかかろうとしている少年に向かって突きだした。
動きはさほど素早くはなかったので、なんとか間に合った。
「ふぇッ………」
フランの口から発せられた声は、喉に突き立てられた、鋭く尖った物によって遮られた。
よく見るとそれは刃物ではなく、ガラスの破片だった。剥き出しの状態で握られているため、少年の手にも食い込んで、そして何故か腕にも大きな切り傷が刻まれて、そこから血がだらだらと流れている。
ウィルはフランから手を離す。それによってガラスから体が引き抜け、床に落ちる。
うつ伏せに落ち、その下から血液が溢れ出す。
ぴくぴくと痙攣する。
そして、動かなくなった。
もう、動かなかった
「え………?」
声を漏らしたのは、たった今フランを貫いた少年の方だった。
「えええええええええぇ!? あなた、今、何をしました!? 盾にした!? 盾にしましたよね! この子をッ! しかも、全然迷わず、ふつーにしましたよね! な……何考えてるんですかあなたはッ!」
「ああ、したけど、何でお前が驚いてんだよ。刺してきたのはお前だろ?」
言いながら、少年を観察する。
年齢は十五歳ほどに見える。ぼろ切れの様な服を着ていて、薄汚い。酷く痩せていて、剥き出しの手足には骨が浮き出ている。
「うっ、まあ、そうですけど、でも、酷いですよ! あなた、こんな小さな子を」
「だから、何だよ、人はどうせ死ぬんだろ。だったら今死んだって、同じことじゃないか」
少年が何か言おうとしたとき、
「えほっ………」
床に落ちていたフランが声を発した。
緩慢な動作で両手をついき、上半身をおこす。
「ふぁ?」
間の抜けた声を上げながら顔を上に向けた。自然と首の肌がよく見えるようになる。
少女の、白く滑らかな、けれど傷跡だらけの肌。
そこにある筈の縫合跡とは異なる生傷は、何処にも見あたらなかった。
ガラスが刺さっていた筈の場所には、既に何も無かった。
あれほど溢れ出ていた血液も、一滴残らず消えていた。
「…………………………………………。え、えええええええええええええええええええぇ!?」
「なんだ? おまえ、怪力とは聞いてたけど、不死だとは聞いてないぞ? そういうことは先に言っといてくれないと、色々と困るんだよな」
「忘れてた」
「今度から、気をつけろよ」
「うん」
「冷静ッ! そして知らないのに盾にしたんですかッ!? 生き返るとは思わずに殺したんですか!? って言うか、何で死なないんですか! おかしいですよっ! こんなの!」
少年は、かなり混乱しているようだった。その様子は、先ほどウィルを刺そうと襲いかかってきた、獣のような目をした人間と同一人物とはとても思えなかった。
「お前、さっきからうるさいな。言っとくけど、お前が俺を刺そうとしなかったら、こんなことにはならなかったんだぞ? それに、どうせお前は俺を殺した後、こいつも殺す気だったんだろう?」
その言葉に、少年ははっとして、大人しくなる。
「ごめんなさい。ボク、人を殺したくなんかないのに……でも、それしか考えれなくて……心では殺したくなんかないと思っているのに、そんなことしちゃいけないってわかってるのに……でも、何故だか、分からないんです……」
とても悲しそうに、とても苦しそうに、左手で頭を掻きむしる。
右手に持ったガラスを、更に強く握る。また新たな血が噴き出した。
「お前、フォリーだな?」
「そう言うあなたは、今日来たお客さんですね」
「何があったんだ。これはどういうことなんだ?」
ウィルは、目の前の惨状を見ながらそう言った。
死体のそばにはいつの間にかメアリーがいて、手足を切り落とす作業に没頭していた。
「食事を持ってきてくれたメアリーが、ボクの枷を外したんです。ボクはびっくりして、何かあったの? て聞いたけど、何も答えてくれませんでした。」
「バーンズを殺したのはお前だな?」
死体の胸には、丁度フォリーが持っているガラス片と同じくらいの大きさの刺し傷があった。首と手足が切断されているというインパクトのせいで目立たないが、恐らくはこれが致命傷と思われる。
「はい、そうです。牢屋から出て歩いていたら、バーンズさんに見つかってしまって。また閉じこめられるのは嫌なので、ボクは素手でガラスを割って、その破片でバーンズさんを殺そうと思ったんです。
バーンズさんは必死に逃げたんですけど、ここまで来たところでボクに殺されてしまったんです」
自分が殺したというのに、まるで他人事のような物言いだ。性格や人格はそのままとはいえ、やはりこの少年も、普通ではない。
「なるほど。ふーん、単純な話だな。盛り上がるところも何も無い。って言うか、そんなに騒いで、他の使用人とかには気付かれなかったのか?」
「ああ、それは大丈夫です。ここで働いているのは、メアリーだけですから。他の人は気味悪がって辞めてしまったようです」
「今まで閉じ込められてたってのに、随分詳しいんだな」
「バーンズさんが、暇な時によく色々な事を話してくるんです。ボクとメアリーは、あの人のペットですから」
ウィルはフォリーと話している間中、バーンズの死体から目を離さなかった。死体は既に、メアリーによって切り離されていた。どうやら血を抜いているらしい。
その作業を、フランはすぐ傍で見ていた。正確には、バーンズの死体そのものを見ていた。
死体に触れるわけでもなく、話しかけるわけでもなく、怯えるわけでもなく、笑うわけでもなく、泣くわけでもなく、嫌悪するわけでもなく、珍しがるわけでもない。
ただじっと、見つめていた。
無表情で、少しも動かず、虚ろな目で、死体のような目で、死体を見ていた。こうなってしまうとしばらくはてこでも動かないし、話しかけても反応しない。
――――ああ、そうか。
フランとメアリーが似ていると思ったのは、そういうことか。この時のフランの目が、メアリーに似ているのだ。
納得しながら、フォリーに話しかける。
「なあ、メアリーはもしかしたら、お前にバーンズを殺してもらいたくて、お前を逃がしたんじゃないのか?」
「え?」
フォリーは怪訝そうに眉を寄せた。その表情は、そんなことが起こるはずがないと訴えていた。
「いや、メアリーはさ、今日の昼間、そこに寝転がってるそいつに、散々な扱いを受けてたんだ。それで、こいつに死んでほしいとか思ったんじゃないのかとか思ったんだけど」
今日された事がきっかけで突発的に起こしたのか、以前からあのような事が、あるいはもっと陵辱的な事が行われていて、偶然今回の一件が、張りつめていた糸を切ってしまっただけのことなのかは分からないけれど。
「それは、あり得ないですよ。だってメアリーには……」
感情がない。意思も、人格も、思考の自由すら奪われた人形。
そんなものが、誰かに復讐しようなどと考える筈がない。
「でもさ、実際、今は自分の意志らしきものに従って行動してる訳じゃないのか? お前を牢屋から出したことにしろ、今やってる行為にしろ。まあ、これはただ掃除してるだけなのかも知れねえけど」
たしかに、ウィルの言う通りだった。
フォリーを檻から出してから今に至るまでの一連の行動が、命令によるものという可能性もあるが、フォリーを檻から出すようにバーンズが命じたとは考えにくい。バーンズの命令以外は聞かない筈なので、此処にいる以外の第三者の仕業ということも考えられない。
「これは単なる仮説なんだが、メアリーは、実は感情が無い訳じゃないんじゃないのか?」
「どういうことです?」
「だから、感情や意志が無いように見えても、頭の中じゃ何か考えてるのかも知れないってことだよ。
わずかに人の心が残っているのかも知れないし、表現する術をもたないだけなのかも知れない。一時は完全な人形だったけど、あることがきっかけで感情が芽生えたのかも知れない。或いは只の俺の勘違いなのかも知れない。
どっちにしろ、頭の中の事なんて、誰にも分からないだろう? 他人の心なんてものは、自分の頭の中にしか存在しないんだよ」
メアリーは、バーンズに屈辱的な行為を強いられ、確かに何かを感じた。
しかし、それが何なのかは分からなかった。
心が無いメアリーには、分からなかった。
故に、それがフォリーを檻から出すという行為に繋がった。
自分が何を考えているのかも分からない人形は、自分の手でバーンズを殺すという、より直接的な手段を選ぶ事は出来なかった。そこまで明白に、自分が何をしたいのかが分かっていなかったから。
意思の無いメアリーは、誰かを殺したいという、強い意思を持つフォリーを解き放つことで、バーンズを殺した。
「まあ、かなり無理のある仮説ではあるがな。ひょっとしたら、只単純に、バーンズが遠回しな自殺をしたかっただけなのかも知れねえし」
死体は、メアリーによって何処かへ持ち去られてしまった。隠しに行ったのだろうか、それとも捨てに行ったのだろうか。
観察する対象を失ったフランは、ウィルのもとへ戻って来た。
「もういいのか?」
「うん」
「よし、じゃあ、帰るか」
「うん」
「じゃあ、俺達はもう帰るわ」
ウィルは、フォリーの方を向いて言った。
「ええ、その方が良いです。これ以上此処に居ると、ボクはあなた達を殺してしまいそうですから」
「お前らは、これからどうするんだ?」
「分かりません」
「そっか。じゃあ、元気でな」
まるで、明日また会うことを約束されているかのような軽い調子で手を振り、フォリー達に背を向ける。
二人の改造人間には、絶望しか残されていないというのに。
屋敷の扉は閉じられ、もう開かなかった。
「でもさぁ、怪力なうえに死なないなんて、おまえ、すごいな」
太陽はもうすっかり沈んでいた。
街灯と月だけが光源となった街の、左右に民家が隣接する広い路地。
そこを、来たときよりも大分ゆっくりと歩きながら、ウィルはそんな、稚拙で率直すぎる感想を述べた。
「死なないんじゃない。最初から死んでるだけ」
ウィルの少し前を歩きながら、何でもない風にフランはそう言った。
その、ともすれば生物の定義すらくつがえしそうな訂正を、
「ふーん」
ウィルはどうでもいいと言うように軽く流した。
生まれた時から、周りで異常な事しか起こらなかったウィルは、心の中のある部分が磨滅している。そういう意味では、ウィルもまた、彼女たちと同じなのかもしれない。
「あの二人、どうなる?」
「さあな、一緒に逃げるかも知れないし、一緒に死ぬかも知れないし、二人ともあそこにとどまったままかも知れない。何れにせよ、俺達の知ったことじゃない」
ウィルは本当に、心の底からつまらなそうに答える。まるで、今まで散々やってきて、すっかり手慣れてしまった作業を繰り返すかのように。
「ところでさ、さっき刺された時、どんな感じだった?やっぱ痛いのか?」
「うん、痛い。すごく……かなり」
「そっか、そりゃ悪かったな」
フランは何も答えなかった。
誰も見えなくなった街には、二人の影だけが伸びていた。
初めて書いた小説です。
最後まで完走できるかはわかりませんが、ヘタクソなりにがんばります。