終焉-2.般若の降臨、ピンクの悪夢
視界の端々で火花が散り、熱に浮かされた俺の意識は、ただ目の前の宿敵を叩き潰すことだけに特化していた。だが、その狂熱を切り裂いて入り込んできたのは、背筋を凍らせる「絶対的な理」の気配だった。
俺とティルが放った、魂の底からの罵倒。
「お節介焼きの過保護女!」
「冷血鉄仮面の眼鏡女!」
その言葉が夜の山に響き渡った瞬間、アイリス姉さんの微笑みが、まるで陶器が割れるように剥がれ落ちた。そこに現れたのは、慈愛を完全に排し、深紅の眼光だけを宿した「般若」の如き憤怒。その隣では、ルンさんが眼鏡を静かに外し、冷徹な死神のようなオーラを纏って立っている。
「……あら。ルウくん、もう一度言ってくれるかしら?」
アイリス姉さんの声が、鼓膜ではなく魂に直接響く。俺たちの身体は、その圧倒的な重圧に押し潰されそうになっていた。だが、止まろうとしなかった。否、止まれなかったんだ。ここで止まれば、その瞬間に「恐怖」という名の概念に殺されると、本能が理解していたからだ。
俺は、俺であることを守るために。
ティルは、ティルという誇りを貫くために。
互いの拳が顔面にめり込む、そのコンマ一秒前――。
「「うおおおお……あ……?」」
咆哮が、情けない裏返った声に変わった。
最後の一撃が届く直前、全身に満ち満ちていた魔力と筋力が、文字通り「最悪のタイミング」で霧散したんだ。
バフッ。
山を揺るがすはずだった衝撃音は、どこまでも気の抜けた音に変わった。
ついさっきまで188cmの巨漢だった男と、銀髪の死神だった男は、空中で消失した。
代わってそこに現れたのは、勢い余って空中で「ぶつかり合う」一匹のマンチカンと、一匹のチワワだった。
重力に従い、僕たちはアイリス姉さんとルンさんの足元へ、力なく転がり落ちる。
「にゃ、にゃあ……(……終わった……。世界よ、沈め……)」
「キャン……(……殺せ、いっそひと思いに殺してくれ……)」
見上げれば、月を背負った二人の女神(あるいは魔王)が、冷たい目で見下ろしていた。僕たちの短い足は、もう一歩も動かなかった。
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昨夜の騒動は、僕たちの輝かしい伝説の「終止符」としては、あまりにも残酷な幕引きだった。
翌朝、孤児院の裏庭。そこには、昨夜の精鋭たちが揃って絶望に打ちひしがれている、地獄の光景があった。
アイリス姉さんとルンさんによる、444人リストの怪物たちですら発狂する「連帯責任」のペナルティ。
まず、脱走した僕は1ヶ月間の「フリル地獄」だ。毎日アイリス姉さん特製の「ピンクのフリルドレス」を着用し、そのまま街を散歩させられる。
次に僕と戦ったティル(犬)は「絶対服従訓練」だ。
ルンのバッグの中で、彼女が「伏せ」と言うまで瞬き一つ許されない。
護衛を務めた僕の元メンバーだったリリオと、ティルの元メンバーだったフォコは「無期限の便所掃除」をさせられる。
孤児院と役所の全トイレを素手(および魔法禁止)で磨き上げる。
一方で脱走に間接的に関わったティルの元メンバーだったペセは「苦汁の刑」だ。
自ら作った薬の副作用を中和するため、アイリス特製の「超絶苦い健康青汁」を毎日3リットル完飲しなければならない。
全員が極めて屈辱的なペナルティを2人の飼い主によって下された。
前のペナルティがまだマシだった。
背後では、ペセが「オロロロ……」と、この世の終わりのような色をした青汁と格闘し、リリオとフォコが虚無の瞳で便器を磨いている。彼らはもう、暗殺者でも騎士でもなかった。ただの掃除業者だ。
「はい、ルウくん。今日のお洋服は『フリフリ・イチゴちゃん』よ。昨日の元気な叫び声、もう一度聞かせてくれるかしら?」
(……ふざけるな! 僕は男だ! 殺戮の銀狼と呼ばれた男なんだぞ! これじゃあ、完全に女の子じゃないか!)
アイリス姉さんが、般若の面影を一切感じさせない、しかし逃げ場を完全に封じる「完璧な笑顔」で、レースとフリルが幾重にも重なったピンクのドレスを差し出した。
ピンクのドレスは、もはや「男」だの「俺」だのとにかく威厳を微塵も感じさせないデザインで、可愛らしさに全振りしている。
僕は、鏡に映る自分の姿を凝視した。
白く丸いマンチカンが、フリルに包まれ、イチゴのアップリケを背負っている。
まず、ベースとなる生地は毒々しいほど鮮やかなピンク。そこにアイリス姉さんの情念がこもったレースが、幾重にも、地層のように重なっている。背中には大きなイチゴのアップリケが鎮座し、動くたびに裾のフリルがさざ波のように揺れるのだ。
(……ああ。もう、人間に戻りたいなんて贅沢は言わない。伝説の暗殺者? 最悪の終焉? そんなものは、このピンクのフリルの波に飲み込まれて消えたんだ……)
僕は、静かに瞳を閉じた。鏡の中の自分を「可愛い」と思ってしまったら、本当に何かが終わる気がしたから。
隣では、ルンさんの足元で、瞬きを禁じられたティル(チワワ)が石像のように固まっている。奴の潤んだ瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。
「さあ、お散歩に行きましょうか。ティルちゃんも一緒よ」
「ええ、アイリス。街の人たちも、この子たちの『可愛らしい姿』を見れば、きっと喜んでくださるわ」
こうして、かつての最強の二人は、「フリルの猫」と「震える犬」として、街の人々の微笑ましい視線を浴びる存在へと一歩進化した。
僕の誇りは毛玉と一緒に吐き出され、ティルの威厳はルンさんのバッグの隅で埃になった。
でも、いいんだ。
青汁を飲まされるよりは、ドレスの方がマシだと思えるくらいには、僕もこの「平和」に毒されてしまったみたいだから。
第2部はこれで完結です。次はキャラクター紹介です。




