対戦-1.神速と絶対破壊、交錯する二つの矜持
「――ふんッ!」
ティルが不敵な笑みを浮かべ、言葉を吐き終えるより早く、俺の身体は「思考」を置き去りにして加速していた。
肉体に宿る魔力が、血管を焼き切らんばかりの勢いで駆け巡る。マンチカンの短い足では決して届かなかった、地平の彼方まで突き抜けるような「解放感」。
「零式・抜刀」
言葉と共に、俺の姿は空間から掻き消えた。
抜刀の動作、踏み込みの予備動作、その全てを時速400kmという神速の壁の向こう側に隠す。
銀色の閃光が、夜の帳を横一文字に裂いた。
キィィィィィィィン!!
空気が悲鳴を上げ、鼓膜を突き刺すような高周波の金属音が山中に響き渡る。俺の放った至近距離からの居合は、ティルの喉元を捉える寸前で、巨大な鉄の塊に阻まれた。
「チッ……相変わらず、目で追わせる気もねえか!」
ティルは、身の丈を超える大太刀『大虎徹』を盾にするように垂直に立て、間一髪で俺の斬撃を弾き返した。
火花が夜の闇に散り、俺は反動を利用して空中で身を翻す。着地した瞬間、すでに俺はティルの死角――背後へと回り込んでいた。
(……驚いたな。反射神経が鈍っているかと思ったが、むしろ研ぎ澄まされている)
俺は再び加速し、ティルの周囲を「残像」となって包囲する。
ティルの視点からすれば、俺の姿は断片的な銀の光にしか見えないはずだ。
ティルの瞳が、獣のようにギラリと光る。
(この速さ……マンチカンになってた間、こいつのバネは腐るどころか、檻の中で力を溜め込んでやがったな! まるで圧縮されたバネが弾けたようなキレだ!)
ティルの野生の勘が、全方位から迫る不可視の斬撃を、かろうじて捉え続ける。彼が『大虎徹』を一振りするたびに、紅蓮の闘気が渦を巻き、俺の神速の軌道を強制的に歪めていく。
一方で、攻撃を仕掛けている俺もまた、剣から伝わる戦慄的な感触に舌を巻いていた。
(……なんて重さだ。軽く受け流したつもりでも、手首の骨が軋む。チワワとしてルンさんのバッグの中で震えていたのが嘘のような、桁違いの暴力だ)
俺の『白狼剣』が『大虎徹』と打ち合うたびに、まるで山そのものと衝突しているような衝撃が全身を走る。
ティルが大刀を軽く振るうだけで、その余波として発生する真空波が、周囲の直径数十センチもある大樹を、紙細工のように容易くなぎ倒していく。
正面からまともに打ち合えば、たとえ伝説の鋼で打たれた『白狼剣』といえど、三手持たずにへし折られ、俺の肉体ごと「解体」されるだろう。
「どうした、修理屋! 蚊が刺すような攻撃ばっかりじゃねえか! あの保育士に牙でも抜かれたか!」
「抜かれたのはお前の方だろう、チワワ。尻尾を振るのに忙しくて、剣の振り方を忘れたんじゃないか?」
「……言ってくれるじゃねえか。なら、思い出させてやるよ。この『破壊』の味をな!」
ティルが大きく踏み込む。
その一歩だけで地盤が沈下し、古びた社の屋根瓦がバラバラと崩れ落ちた。
紅蓮の炎を纏った『大虎徹』が、大気を焼きながら、俺の頭上へと振り下ろされる。
俺は唇を吊り上げ、再び「極限の速度」へと意識を沈めた。
この感触だ。
死と隣り合わせの、このヒリつくような命のやり取り。
アイリス姉さんの隣で食べるクッキーも悪くなかったが、やはり俺の居場所は、この地獄の底にこそある。
均衡を破ったのは、俺の「本能」が導き出した、一点の隙も許さぬ高速の連撃だった。
「神速・八連」
視覚を欺き、因果を逆転させる八筋の銀光。それはティルの死角、防御が最も薄くなる瞬間の関節と急所を正確に射抜く、俺の真骨頂だ。
「ぬぅッ!」
ティルは大太刀を盾にしたが、俺の剣はそれをすり抜け、彼の肉体を直接捉えた。肩、脇腹、太腿。分厚い筋肉を裂き、鮮血が夜の闇に飛散する。
「……ハッ、やってくれるじゃねえか」
先に深手を負ったのはティルだった。普通の人間の剣士なら、今の連撃で四肢の自由を失い、絶命していてもおかしくない。しかし、奴はあふれ出る血を気にする素振りも見せず、むしろその「痛み」を歓迎するように凶悪な笑みを深めた。
「だがなルウ。この程度の傷、俺に言わせりゃあ『痒い』うちに入るんだよ!」
奴が咆哮すると、傷口から流れる鮮血が紅蓮の闘気によって一瞬で蒸発し、傷口が強制的に収縮して止血されていく。信じがたい再生能力と、それ以上に異常な精神力。数万の軍勢を一人で蹂躙し、歩く災害として恐れられてきた男の、絶望的なまでの生存本能。
俺の剣が奴を「削る」端から、奴の闘争心はさらに巨大な炎となって燃え上がっていく。
「ちょこまかと……いい加減に、捕まりやがれッ!」
ティルは受けた傷を意に介さず、文字通り「肉を切らせて骨を断つ」覚悟で強引に踏み込んできた。俺が追撃を仕掛けるコンマ数秒の隙――そのわずかな硬直を、奴の野生の勘は見逃さなかった。
大太刀『大虎徹』をあえて「縦」の斬撃ではなく、遠心力を極限まで乗せた「横」の薙ぎ払いへとシフトさせる。
「虎王・壊山波!」
それはもはや「剣の技」と呼べる代物ではなかった。物理的な暴風、あるいは空間そのものを押し潰す圧殺の衝撃波。
回避不能。俺が「神速」で背後に回ろうとした瞬間、奴の剣圧が俺の全方位を包囲していた。
「くっ……!」
空中で『白狼剣』を交差させ、防御姿勢をとったが、受けた圧力は想像を絶していた。大型の魔獣に正面から撥ね飛ばされたような感覚。
俺の身体は木の葉のように吹き飛ばされ、数本の巨木を背中でなぎ倒しながら、地面を数十メートルも転がった。
「――がはっ……!」
喉の奥に熱いものが込み上げる。内臓がひっくり返るような衝撃だ。
「……はぁ、はぁ。流石だな、ティル。まともに喰らえば、またマンチカンの姿に戻る前に、肉塊になるところだった」
口角から流れる血を手の甲で拭い、俺は瞬時に立ち上がった。全身の骨が悲鳴を上げているが、アドレナリンが恐怖を塗りつぶしている。
しかし、俺は再び剣を正対して構えるような愚は犯さない。
俺の強みは「神速」だけではない。『白爪』のリーダーとして、あらゆる手段を用いて敵を葬る「暗殺の知略」にこそある。
「だが、速さだけが俺の武器じゃない」
俺は懐から、一見するとただの小石に見える複数の黒い球体を取り出した。
「にゃあ……じゃなかった。食らえ!」
ふとした拍子にマンチカン時代の鳴き声が出そうになり、舌を噛みそうになる。それを誤魔化すように、俺は球体をティルの足元へ叩きつけた。
――カッ!!
夜の森を真昼に変えるほどの強烈な魔導閃光。
それと同時に、視認困難な極細の、しかしドラゴンの鱗さえ切り裂く「超硬度鋼糸」が、網のように展開される。
「なにっ……!?」
「逃がさないと言ったはずだ、ティル」
光で視界を奪い、鋼の糸で回避路を断つ。
俺は影のように低い姿勢で再加速し、ティルの首筋へと肉薄する。暗殺用のサブウェポンを惜しみなく投入した、これが『白爪』本来の戦い方だ。
飼い主のいない今、俺たちはかつての「怪物」としての牙を、互いの喉笛に突き立てようとしていた。




