5
その夜、ルイーズは、飛び起きた。男爵家での過酷な生活がフラッシュバックしたのだ。身体中に汗をかいていた。
こんな時、もう一度寝ようとしても絶対に寝付けないものだ。
ベッドから降り、扉の方へ向かう。気分転換に、少し廊下を歩こうと思ったのだ。
ギッ、と鳴る重い扉を開き、廊下に出る。
外には燭灯が等間隔で灯っていたが、その感覚が開きすぎていて、洞窟の中にいるような暗さだ。
一歩歩くたび、靴音が石の床に吸い込まれていくようだった。巨大な廊下を一人で歩いていると、まるで自分が小人になって、大きな影の巨人に追跡されているかのような気分になる。
早くも心細さが募ってきた。来るべきでな無かった、早く帰ろう。
ぴたりと動きを止めた。
耳を澄ます。
誰かの靴音が、曲がり角の先から聞こえる。
近付いてくる。
「怒られる」ルイーズが先ずその発想を抱いたのは、男爵家での悲惨な扱いが影響していたからかも知れない。
咄嗟に左側の扉を開けて隠れた。中は真っ暗だったが、目は暗闇に慣れていたため、そこが貴賓室であることに気付けた。
足音はどんどん近づいてくる。
足音が二つある。二人は何かを言い交わしながら歩いてくる。不明瞭だった言葉が、近付くにつれて明瞭になっていく。
彼らの声は、ルイーズの真正面で止まった。心臓が早鐘を打ち始める。
気付かれているのだろうか。
固く目を閉じ、しゃがみ込んだ。
「しかし、●●●に、ここまで手間をかける必要があるのですか」
「愛情をかければかけるほど、●●●は美味くなるというものだ」
密閉されたドアの先から響くくぐもった声。全部は聞き取れなかったが、ルイーズは思わず顔を上げる。
一つはジュリアンのものだった。
ところどころ聞き取れなかったが、どうやら料理の話をしているらしい。
重々しく扉が開く音、閉まる音がして、再び廊下には静寂が訪れた。
ルイーズは穴から外を見るウサギのように、貴賓室から顔を覗かせ、誰も居ないことを確認してからようやく廊下に出た。
貴賓室の反対側に扉がある。恐らく二人はここへ入って行ったのだろう。けれど、こんな時間に、何の用だろう。
その時ルイーズは夕食後のジュリアンの忠告を思い出した。
『貴賓室の向かいにある扉、あれは絶対に開けてはならない。良いね?』
「公爵様が言っていた扉って、これのことだよね……」
ルイーズは扉の前に立った。この部屋で、ジュリアンは何をしているのか。一体何が行われているのだろうか。
ルイーズは取っ手に手をかけた。
知りたい。ジュリアンのことを知りたいと思った。好奇心とジュリアンへの好意が、彼女をいつもとは違う行動に移らせようとしていた。
ジュリアンなら、きっと笑って許してくれる。
彼の優しい笑みが脳裏に浮かぶ。
いや、違う。
ルイーズは、ゆっくり取っ手から手を離した。
止めよう。
ジュリアンがあんな忠告をするからには、恐らくそれなりの理由があるはずだ。それを開けるということは、彼の信頼を裏切ることになってしまう。不誠実だ。
「……部屋に戻って、刺繡をしよう」
ルイーズが元来た通路を戻ろうとした時。
「うわあああああああ!」
闇夜をつんざくような悲鳴。
正気を失いそうなほどの狂気を全身に浴びたようだった。
全身が強張り、思わず耳を塞いでしまう。
それは明らかに、目の前の扉の先から聞こえてくるものだった。




