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 公爵家に来てから10日が過ぎていた。ルイーズの体力はみるみる回復し、問題なく歩けるまでになった。怪我をしていた右腕も、スプーンを握れるまでに回復していた。


 それでも事あるごとに、ジュリアンはルイーズを甘やかした。彼女の手を握って祈りを捧げたり、彼女の体調を事細かにチェックし、自分で書類にまとめた。

 彼女に食事を食べさせるという行為も、数日前まで行っていた。

 有難いことだった。しかしそれが国内トップ権力者の行いとは、どうしても結びつかないところをルイーズは感じてしまうのだった。




 日が沈みかけていた。

 ルイーズはジュリアン、アナベルと共に食事をとっていた。

 ルイーズを含む3人は、細長いダイニングテーブルの上座にジュリアンを配し、右にアナベル、左にルイーズという順番で座っていた。


 カーテン越しに深紅の夕日が、薄暗いダイニングルームへ差し込んでくる。雨音も聞こえる。奇妙な天気だった。



 縦に並べば5人以上が寝そべれそうなテーブルの上には、リネンの、染み一つ無いテーブルクロスが掛けられていて、その上に整然と料理が並べられていた。肉は食べる度に旨味を出し、パンは柔らかく、とても甘い。

 あれから、散発的にジュリアンの手料理を振舞われたが、今日のものは違うようだ。


 ルイーズは二人の様子を観察してみた。何も言わず、メイドと公爵は同じテーブルで黙々と食事を続けている。

 アナベルの食事の所作は決して汚くなく、むしろ洗練されており、違和感がない。違和感がないからこそ、後ろで働いているメイドたちと同じ服装であることが余計に際立った。来た時も思ったが、やはりこの屋敷には若い使用人が多い。


 次にジュリアン。彼は赤いスープをすくって、口に運ぶところだった。ルイーズは自分のスープと見比べる。透明に近い黄色だ。アナベルのものもそうだった。

 きっと、彼はトマトが好きなのだろうとルイーズは思った。今回もだが、彼の食事だけ自分たちのものとは違うことがある。


 それにしても、一度観察すると、まじまじとその美しい顔に見惚れてしまう。この人が、どうしてあんな噂を流されているのだろう、と思わずにはいられない。




 評議会議員を務め、華々しい活躍をしている裏で、彼の黒い噂は絶えない。


 彼に敵対する議員が次々に事故に遭うとか、裏で邪魔者を始末しているとか、彼自身がある目的のために殺人に関与し、出た死体を屋敷に運び込んでいるとか。


 その目的とは、血を吸うこと。


 彼の秘密を知ってしまったら最後。どこに居ても探知され、必ず追い詰められ、最後には血を吸われて殺されてしまうという。

 ついたあだ名が「吸血公爵」だ。



 自分を拾ってくれた公爵様が、そんなことをするはずがないとルイーズは信じていた。

 それにしても、とは思う。


 公爵様はどうして自分のような者を拾ってくれたのだろう。拾ってくれるだけの人ならば居るかもしれない。しかしジュリアンは彼女を甲斐甲斐しく世話し、同じ食卓で食事をとらせてくれる。何故なのか。

 この問いを頭の中で投げかけた時、ルイーズの答えはいつも決まっていた。


『きっと公爵様はとても情け深い方に違いない』


 男爵家であれだけの仕打ちを受けておきながら尚、ルイーズは人を信じ続けるのだった。


 不意にジュリアンがルイーズを見た。驚いて、肩をびくりと震わせてしまう。先ほどまで凝視していたことに気付かれただろうか。

「食事は美味しいか?」

「はい。とても美味しいです」


 ルイーズの言葉に彼はゆっくり頷いた。

「良かった。うちの料理人に腕を振るって作らせたものだ。君は軽すぎるから、沢山食べてくれ」

「旦那様、女の子に太れだなんて、デリカシーが無さすぎるわ」

 横から、既に食事を終えていたアナベルが口をはさむ。

「彼女の場合は生命に関わる事態だったんだ。デリカシーも何も無いだろう」


 そう言われてアナベルは肩をすくめた。ジュリアンに何かを指摘された時に見せる、彼女の癖だった。ジュリアンはアナベルと、自分なんかとよりずっと仲が良さそうだ。

 そう思うと何だかモヤっとしたものが心に出てくる。

 いやいや違う、とルイーズは首を振った。こんな気持ちになるなんて、まるで自分がジュリアンを好きになったみたいではないか。それは流石に早すぎると思った。


 それにしてもアナベルは、その使用人らしからぬ態度とは裏腹に、仕事はしっかりこなす人物だった。ボロボロでうまく動けなかったルイーズを、半ば介護する形で支えてくれた。着付けや髪の手入れも、かつて男爵家に居たメイドたちより上手かった。

 最初は苦手だったが今では彼女が大好きだ。


 何より、アナベルはルイーズの良き話し相手になってくれる。嘘の無い、真っすぐで明るい性格は、傷付いていたルイーズの心を開かせてくれた。


 アナベルは特に男爵家での生活について知りたがった。それはルイーズにとって思い出したくもない記憶のはずだが、アナベルに聞かれると、ついつい話してしまうのだった。




「それにしてもお嬢様は本当に旦那様に気に入られているわね」

 食事が終わって自室に戻る時、アナベルから話を振られた。

「どうして?」

「だって、あの人普段殆ど笑わないのに、あなたと話しているときはニコニコしているじゃない」

 ルイーズは基本的に穏やかな表情のジュリアンしか知らないが、彼女の話だと、いつもは違うらしい。

「そ、そうなのかな」

 頬をかいていたルイーズの目は、ある一点で止まった。中庭に立つ構造物だ。


「アナベル、あれは何なの?」

 それは低い塔のような建物だった。

 既に日が落ち、雨の中に佇むそれは塔というより墓標のように見える。初めに見た時からずっと気になっていたものだ。

 今は暗くてよく見えないが、いつもは先端に煙突のようなものから、黒い煙が吐き出されていることがあった。けれどそれは、人が中に入って何かの作業をするには細すぎるのだ。



「ああ、あれね」

 いつもは饒舌なアナベルが、やけに言いよどむ。じっとルイーズの顔を観察していたが、意を決したように口を開いた。

「ルイーズになら言ってもいっか。実は……」

「おい」

 アナベルの口の動きが静止した。彼女の後ろ、ルイーズの正面から、ジュリアンが早足で歩いてくる。その顔を見てルイーズは思わず萎縮してしまった。今まで見たことの無い険しさだった。


「ルイーズに余計なことは吹き込まないでくれ」

「あーはいはい。言わないわよ、ごめんなさい」

 アナベルは手を振った。いつもの態度に見えるが、彼女がジュリアンに謝ったところは初めて見た。

「ルイーズ」

「は、はい!」

 思わず声が裏返ってしまう。ルイーズが怖がっていることに気付いたのか、ジュリアンの顔がふっと緩んだ。

「すまない、でもあまり余計な詮索はしないでくれ」


 ルイーズはただ頷くしかなかった。


「ああ、それから」


 背を向け、去りかけたジュリアンが再びルイーズの方を向いた。


「貴賓室の向かいにある扉、あれは絶対に開けてはならない。良いね?」


 念押ししてから、今度こそジュリアンは遠ざかって行った。

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