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ルイーズは薄暗い部屋に横たわっていることに気付いた。ベッドの上に寝かされていて、頼りない明かりがぼんやり部屋を照らしている。
身体の上には羽毛布団がのっており、肌触りが良くふかふかしていた。
良かったと、ルイーズは胸を撫で下ろす。どうやら天国に来れたみたいだ。両親の「人を信じて助けなさい」という教えを、ずっと実践してきた甲斐があった。
さあ早く、お父様とお母さまを探さないと。
「目が覚めたかい?」
起き上がろうとしたルイーズは、声のする方を見て目をしばたたかせた。ベッドの横に座っていたのは、天使、というより神を思わせる男性だった。
髪は薄暗い中でも小麦のような黄金をしていることがはっきりと分かり、目は深い海を宿しているかのような瑠璃色。その顔は全てを超越するかのような、繊細なバランスで成り立っていた。
そのことが余計にルイーズを勘違いさせた。
「お、動いた。良かったね、旦那様。生きているわ」
その男性の横から明るい声がした。そこに居たのはメイド、だと思われる。メイド服を着ているのに断定出来ないのは、彼女の言葉があまりに主人に対して礼を失していたからだ。
髪は黒くて長い。破顔しているので恐らくだが、かなりの美少女のようだ。薄闇に笑う美女は美しくもあり、また不気味でもあった。
彼女の後ろにも5人ほどのメイドが控えているのだが、全員髪を短く結ぶか切りそろえ、前で手を組み、目を伏せて微動だにしない。全員年齢は黒髪のメイドと同じくらいでまだ若い。
「ねえあなた、調子はどう?」
「失礼な口を利くな。彼女は俺の客人だぞ」
メイドを注意した後、男性は口に握りこぶしを当て、咳払いをした。
「自己紹介が遅れたな。俺の名前はジュリアン・ロシュヴィル。爵位は公爵だ」
言葉を聞きながらも、ルイーズの頭は状況を整理し切れていなかった。彼……ジュリアンの言うことをまとめると、どうやら自分は公爵に助けられたらしい。
ロシュヴィル公爵という名前はルイーズもよく知っていた。そもそもルイーズの実家であるモンフェラン男爵家は、ロシュヴィル公爵家とは主従関係にあり、いわば領地も公爵領を借り受けているようなものなのだ。訳あってルイーズは公爵家主催の茶会などには参加していなかったので、面識があるわけではないのだが。
もし主従関係に無かったとしても、国内でジュリアン・ロシュヴィルの名前を知らぬ貴族は居ないだろう。
国王陛下の実の妹君を母親に持ち、国内での影響力はかなり大きい。
ジュリアンは王国の評議会議員として頭角を現している。一番有名なのは、国王暗殺の計画をいち早く察知し、止めたことだろう。また、彼はそれまで腐敗のはびこっていた議会で、徹底的に汚職を調査し、旧勢力を一掃し、「冷酷な執行者」として恐れられることとなる。
そしてその結果、国の財政が大きく改善したという。
国王陛下は命を救われたこともあり、ジュリアンに対して絶大な信頼を寄せている。最早彼はこの国トップ権力者の一人と言っても過言ではない。
しかし、華々しい活躍の裏ではある噂が流れているのだった。耳を疑いたくなるような、黒い噂。
「こ、こちらこそ申し遅れました。私はルイーズ・モンフェランと申します。ヨーク男爵の娘で……」
そこまで言ってルイーズは口をつぐんだ。果たして家を追い出された自分を、男爵令嬢だと紹介して良いのかと思いとどまったのだ。
黙りこくっているルイーズを見て、ジュリアンはにこりと微笑んだ。
「食事を」
ジュリアンが手を上げると、メイドの一人がカートを持ってやって来た。皿の上で揺れているのは、スープのようだった。
甘くて、少し焦げた匂いが漂ってくる。
玉ねぎやニンジン、それにバターが入っているだろうか。突然、ルイーズのお腹が大きな音を立てた。カッと顔が熱くなる。
「ご、ごめんなさい。私、行儀が悪くて……!」
しかし誰もそれを嗤う者は居なかった。薄暗い部屋で、異質ともとれる静寂に、ルイーズは少し居心地の悪さを感じた。
ジュリアンは皿をメイドから受け取ると、スプーンで一さじ掬い、彼女の口に近づけた。
「さあ、口を開けて」
ルイーズは再び混乱した。つい意識を失うまでは、地位も財産も全て失って路頭に迷っていた。それが目を覚ました瞬間、目の前に有名な公爵様が居て、なぜか私にスープを飲ませようとしてくれている。初対面の自分に。
仮に彼が最初からルイーズが男爵令嬢であることを知っていて、主従関係にあることを考慮して助けたにしても、十分に奇妙さを感じる状況だった。
「あ、わ、私、自分で食べられますから……」
右手を上げようとして、激痛が走った。そして思い出す。そうだ、この手は屋敷を出る直前、あの方に踏まれた。きっと折れている。この異質な状況に緊張して気付かなかったが、何だか頭もふらふらする。
「ルイーズ。君はケガしているだろう。だから遠慮しないで。それに、これは必要な儀式だ」
ジュリアンの顔は右から明りを受け、左半分に深い影を作っていた。
彼の言葉の意図は測りかねたが、ルイーズは恐る恐る、口を開けた。何より空腹に耐え切れなかった。
トロリとした玉ねぎの甘味、旨味が口の中に広がった。香ばしさが鼻腔を抜けていく。もっと、もっと欲しい。
ルイーズの目の輝きを見て、ジュリアンは頷いた。そして何度も彼女の口にスプーンを運ぶ。その音と外からの雨音だけが部屋を満たしていた。
「美味しいかい?」
ルイーズは何度も首を縦に振った。するとジュリアンの口角が僅かに上がり、「俺が作ったんだ」と付け足した。
いつの間にか、ルイーズはスープを飲み干してしまっていた。一杯飲んだだけでお腹いっぱいだ。こんなまともな料理を食べたこと自体、本当に久しぶりだった。
「本当はもっと美味しいものを沢山食べさせてあげたいんだが、見たところ、栄養失調に近い状態のようだ。今普通の食事を摂ると危ないから、少しづつ慣れていこう」
その声は優しかった。
「はい、ありがとうございます」
ルイーズは頭を下げた。頭を下げた時、ジュリアンの上着の裾に、黒い小さなしみが付いていることに気付いた。インクか、料理を作っていたというから、その時付いたものだろう。
「とにかく君は痩せすぎている。早くもっと食べられるようになって、肉付きが良くならないと、俺が困る」
そう言うとジュリアンは立ち上がった。
不意にベッドが上下に揺れた。先ほどの髪の長いメイドが、ベッドの上に腰を下ろしたのだ。
「私、メイドのアナベル。よろしくね、ルイーズお嬢様」
やはりメイドにしては、あまりにもフレンドリーだ。他のメイドが食事の片付けなどをテキパキこなしているのを見ても、明らかに彼女だけ異質だ。
「メイドならメイドらしくしろ」
ジュリアンの声が飛んだ。先ほどルイーズに話しかけている声とは違い、かなり迫力のある声だった。緊張が他のメイドたちにも伝わったのが分かる。
ところがこのアナベルと呼ばれたメイドは肩をすくめただけで、あまり反省した様子を見せない。
「え、えっと、アナベルさん。よろしくお願いします」
何だか沈黙が心地悪くなって、ルイーズは言葉を返した。
「アナベルで良いわ。今日から誠心誠意、あなたのお世話をさせてもらうから、仲良くしてね」
「あ、ありがとうございます」
間近で見る彼女の顔は同性のルイーズからしても、うっとりするほど美しかった。笑うと、尖った八重歯がのぞく。これをコンプレックスに感じる少女も居るだろうが、彼女ほど顔が整っていると、可愛らしい魅力の一つに変わってしまうようだ。
「おい、アナベル」
後ろで部屋を出ようとしていた当主のジュリアンがアナベルを呼んだ。
「はーい」
アナベルは軽く返事をしながらそちらへ向かう。
二人は何事かを話している。二人とも、ちらちらルイーズの方を見ていた。どうやら彼女のことを話しているらしい。
離れているので殆ど聞こえなかったのだが「本当にあの子なの?」「間違うはずがない。とにかく今は血だ」
という言葉が聞こえた。




