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「そ、そうだったのですか。ごめんなさい。私、その時のことは何も覚えていなくて……」

 ジュリアンはゆっくり首を振った。

「いや、謝るのは俺の方だ。君があんな目に遭っていると知っていれば、もっと早く救い出せたのに」


 暫くの沈黙の後、ルイーズはおずおずと聞いた。

「それで、料理というの……?」

 昔の話を聞いただけでは、目の前の状況がルイーズのためと、結びつけることが出来なかった。

「それは、君が癒しの力を使えなくなったことが関係している」



 ジュリアンはルイーズに助けられたその日から、自分の身体に変化が起こったことに気付いた。傷の治りが異常に早いのだ。それは頭の傷が塞がった後、別の傷でもそうだった。


 何かあるのではと思い、ジュリアンの両親が魔力鑑定を依頼すると、治療魔法の資質が発現していることが分かった。つまり、ルイーズの癒しの力がジュリアンに譲渡されている状態だったのだ。



 せっかく受け取った彼女の力。ジュリアンはその力を使いこなせるよう練習を重ねた。しかし、彼女のように強い力は得られなかった。


 彼が出来るようになったのは、手を触れた人の傷や病の治りを少し早くする。

 頭痛を改善させる。肩こりを治す。など、些細なものだった。

 その中で、最も効果を発揮したのが料理だった。



 ジュリアンは15歳から騎士団に3年間所属していた。その際は身分など関係なく一から鍛え上げられたのだが、料理を作るのも新人の仕事の一つだった。

 そこでジュリアンの料理は二つの意味で評判となる。

 評判の理由、一つ目は彼の手料理を食べると、訓練等で負った傷の治りが以上に速いということだった。

 そこから、彼は自分の手料理にも、癒しの力が宿っていることを知ったのだった。

 そしてもう一つが……。


「『あまりに不味い』ということらしい」

 そう語るジュリアンは全く納得はしていないらしく、眉間に皺をよせて腕組みをしていた。騎士団でも、傷の治りが早くなるという圧倒的なアドバンテージがあるにも関わらず、怪我人が出ない時以外は料理当番を外されてしまっていた。



「旦那様の料理は本当に不味いですよ。だからこうして、料理の特訓をしていたのですから」


 力説するニコラス。

 明かりが灯った今、改めて部屋を見渡してみると、そこがキッチンであることは明白だった。中央のテーブル上のものはキッチン台であり、その上には鍋やフライパンなど、鉄製の器具が並べられている。最初に思っていたよりかなり平和的なものだった。


 部屋の隅には、排気を行うための大きな暖炉が備え付けられており、それが地上に伸びているようだ。

 ここに階段で下って来たことを考えると、その装置が中庭の搭のような建物と、位置がぴったり一致している。


 つまりあれは暖炉と繋がっていて、地下との空気を循環するための排気口だったのだ。


「で、あまりに健気だから、お兄様がお嬢様のために頑張ってるところを見せてあげようと思ったの。まあお兄様は見られたくないみたいだったけど」

 アナベルがキッチンの上の調理器具を眺めまわしながら言った。

「そうだったの……え、お兄様?」

 ルイーズが目をぱちくりさせていると、アナベルはいたずらっぽく笑った。

「あ、言っちゃった。本当はもうちょっと秘密にしておこうと思ったんだけどね。そうだよ。私たち、兄妹なんだ」

 兄妹ならば、あの妙な距離の近さや、料理を一緒に食べる習慣も納得がいく。


「で、でもどうしてメイドの恰好なんか……」

「それは趣味」


 アナベルが言うには、彼女は可愛い女の子とメイド服が大好きらしい。本人は「ドレスよりメイド服の方が絶対絶対可愛い」と断言する。

 彼女が着ているもの、ひいては公爵家のメイド服自体を彼女がデザインしているらしい。可愛いと若い女性から人気があり、そのおかげで若い使用人が多いのだった。



「で、でもどうしてわざわざ地下室で料理をしていたんですか?」

「それは……」


 何だか言いづらそうに口を曲げるジュリアン。

「爆発したことがあるからです」

「ば、爆発ですか?!」



 ニコラスの言葉にジュリアンは両手で顔を覆った。

 ジュリアンは騎士団を退役した後も、毎日のように料理は行っていた。それはルイーズから貰った癒しの力を伸ばすためだった。

 しかし一向に上達する気配はなく、そしてある日、とうとう惨劇が起こる。

 窓ガラスが割れるほどの爆発だった。食材は飛び散り、辺りに異臭が立ち込めた。

 幸い、ジュリアンのほかに人はおらず、怪我人は出なかった。

 しかしキッチンはパニックに落ち入り、広大な公爵家の「食」が滞ったことにより、使用人たちはその日、大変な作業に追われたという。


 こうしてジュリアンは当主でありながら、キッチン出禁を喰らった。そして他人を巻き込む心配の無い、頑丈な扉に守られた地下室で、料理の修行に明け暮れていたというわけだ。


 この国では治療魔法を使える者自体がかなり希少だ。ルイーズや彼女の母親が例外だっただけで、この国に強い力を持つ治癒魔法使いは殆どいない。

 だから彼はどうにか自分の料理でルイーズを治癒しようと必死になっていたのだ。



「そ、そうだったのですか……。では数日前の悲鳴は?」

「それは私でございます」

 ニコラスが名乗り出て、続ける。

「今日もですが、毒見をしておりました」

「味見と言え」

 ジュリアンが即座に訂正した。



 ジュリアンの料理は壊滅的である。しかし、たまに人に出しても大丈夫な味の物が出来ることもある。ジュリアンはそれをルイーズに提供していたのだ。

 ルイーズはそれまで腐りかけのものしか食べてこなかった。だからジュリアンが作った、落第点ギリギリの味のものも、神の食べ物かの如く美味しく感じられたのだった。


 勿論、人に出してはならない味の時の方が遥かに多い。ジュリアンは味音痴のため、一人では正常な判断が下せない。そのため判断役をニコラスが担っていたのだ。


「他の者にはまだ未来がありますが、私などはいつくたばっても大丈夫でございますので」

「だから、俺の料理で死ぬわけ無いだろう。むしろ元気になっているはずだ」

「幾ら元気になると言っても、私には『ハズレ』を食べる気にはならないわ」

「失礼だぞ、お前ら。俺は仮にも公爵だ」

「旦那様、失礼ながら食の前では全人類が平等でございます」

「そういえばお前、ルイーズにハグされていたな? 俺もまだなのに許せん」

「旦那様、男の嫉妬は見苦しいですよ」

「ち、違う! 俺は……」



 ジュリアンたちがワイワイやっているのを聞いて、ルイーズは思わず笑みがこみ上げてきた。

 良かった。ここに悪い人は一人もいない。全員、ルイーズのことを思って行動してくれていたのだ。

 こんな人たちに囲まれて、自分はとても幸せだと思った。これからもずっとこの場所で過ごせるのなら、どんなに良いだろう。



 後でわかったことだが、ジュリアンが「吸血公爵」と呼ばれていたのは本当に吸血鬼だったからではない。

 汚職議員を大量に制裁して結果的に絶大な権力を手に入れた彼を、制裁された議員が腹いせに

「血を吸って肥え太った」と揶揄し始め、いつしか「吸血鬼」と呼ばれるようになったのだった。




「ああ、そうだ」


 ジュリアンが思い出したかのように振り返った。

「モンフェラン男爵家を牛耳っていた者たちのことだが……確か名前はイネスとサンドラだったか」


 その名前が出た瞬間、頬が強張るのが分かった。お腹の下の方から、じわじわと恐怖が沸き上がってくる。

 訥々と喋るジュリアンの顔からは穏やかさが消え去っている。国王を支える、酷薄ともとれる厳しい公爵の表情そのものだった。


「お義母様たちが何か?」

 ルイーズは恐る恐る聞いた。


「彼女らには地獄を見てもらうことにする」



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