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今日も明日も、ここにある景色

細かなデティールとか登場人物の情報とかは抜きにして、とりあえず雰囲気を味わっていただければ、という初回

 駅のまえには、四車線の国道が、まっすぐに伸びている。

 道の両脇には、ショッピングモール、ビジネスホテル、飲食店、コンビニなどが、整然と並んでいる。

 茶色と黄色のレンガで舗装された歩道を歩くこと10分。

 三階建てのオフィスビルが目印。そこで路地に吸い込まれ、大通りに別れを告げる。

 アスファルトで固められただけの道は、ところどころにヒビが入っていた。

 買い物袋をカゴに詰め込んだ自転車が、蓮子とメリーの横を通りすぎていく。

 電信柱の下で、おばさんたちが立ち話をしている。

 犬の散歩している老人と子どもの姿もある。

 一戸建ての住宅から、魚を焼く匂いが漏れてきて、秘封倶楽部の胃袋を刺激する。

 街灯が、点こうかな、どうしようかなと迷い、ちかちかと点滅してから、曲線を描いている路地を照らす。

 道行く人たちを焦らすように、視線の先の景色を隠している曲がりくねった路地は、この先になにが待っているのだろうと、ワクワクさせてくれる。

 お店の入り口に吊るされた小さなお日さまが、目に飛び込んできた。

 赤ちょうちんに光が灯るとき。

 街が、夜のとばりに包まれ始めるとき。

 たそがれどき。

 呑兵衛たちが覚醒する時間だ。






「いらっしゃいませ。おつかれさまです」

 年季の入った木戸をスライドさせ、【居酒屋たそがれ】と記された暖簾をくぐって店内に入ると、しっかりと通る声で、しかし、うるさすぎもしないちょうど良い声量で、店員さんが出迎えてくれる。

 いや、今日はいつもより、少しだけ声に張りがあっただろうか。

「どうぞ」

 その店員は、秘封倶楽部を先導して、席に案内してくれた。

 彼女は、バイト中ということもあって、化粧はエチケット程度にとどめている。匂いがキツすぎる香水は絶対に使わないし、水仕事をしないといけないので、ネイルもマニュキュアもしていない。

 でも、ひとつの乱れも枝毛も無い髪と、いつも綺麗に整えられている眉から、身嗜みへのこだわりが感じられる。

 ぱっちりした吊り目は、勝ち気な印象を与えるけれど、

「お二人とも、お酒はいつものにされますか?」

 注文を受けるときに見せる笑顔は柔らかで、客に親しみを与える。

「うん。お願い」

 蓮子が、メニュー表も見ずに注文をした。当然、メリーにも異論は無い。

「実は、メリーさんに飲んでみてほしいお酒があるんです。私が奢りますから、飲んでいただけませんか?」

「あらそうなの? じゃあ、せっかくだからいただこうかしら」

「かりこまりました!」

 鉛筆を走らせて、伝票に注文を記載して、カウンターの中へ帰って行く。

 セミロングの茶髪を一本にまとめた、ポニーテールを揺らしながら。

「ねえ蓮子。美咲ちゃん、いつもより元気じゃない?」

「メリーも、そう思う?」

 互いの顔を寄せ合って、カウンターの中にいる美咲を一瞥。

 てきぱきとした動きで、蓮子とメリーの酒を準備し、今日のお通しを小鉢によそっている。

「もしかして……」

「なに、メリー」

「美咲ちゃん、あの話を受けることにしたのかしら」

「あの話っていうと……。あっ、たそがれの正式な店員になるってこと!?」

「まだ在学中ですから、就職は、卒業してからってことになりますけどね」

 店内が混んでいなかったこともあって、蓮子が発した声は、美咲の耳に届いていた。

「はい。蓮子さんはいつものですね。メリーさんには、こちらを」

 美咲は、メリーのまえに、カクテルでも入っていそうな細長いコップを置いた。中には細かく砕かれた氷が入っていて、透明な液体が、しゅわしゅわと泡を立てている。

「これは?」

「芋焼酎のソーダ割です」

「えっ? 芋焼酎をソーダで割っちゃったの?」

 蓮子はものめずらしそうに、その酒を眺めた。

 人それぞれ好みがあるから強制はできないが、芋焼酎と言えば、たいがい、ロックで飲むか、水で割るかの二択となる。

 それをソーダで割るのは、いつも焼酎をロックでたしなんでいるメリーにとっては斬新だった。

「どんな味がするのか、楽しみだわ」

 メリーがグラスを持ち上げると、蓮子は酒がなみなみと注がれた升を滑らせて、テーブルの中央へ移動させる。

「おつかれさま」

 お決まりの乾杯の音頭を発声し、蓮子はて自分からコップを迎えに行き、口寄せる。

 メリーは探るように、ちょんと軽くグラスに口づけると、びっくりして美咲を見やる。

「これ、本当に芋焼酎なの?」

 そんなメリーの反応に満足した美咲は、得意気にメニューを指さした。

「正真正銘、芋焼酎です。いかがですか?」

「いい意味で芋焼酎っぽく無いわね。若いライチみたいな香りが炭酸で強調されて、すごくさわやかだわ」

 酒レポを終えたメリーは、二口めを口に含んだ。

「私から店長さんにお願いして、試しに仕入れてもらったんです。芋焼酎って、好きな人は好きですけど、匂いがきついって感じる人もいるじゃないですか。でも、この銘柄なら、万人受けするんじゃないかなって」

「そうね。見ためもカクテルみたいでおしゃれだから、若い人でも注文しやすいと思うわ」

「あー、良かった。芋焼酎好きのメリーさんがそう言ってくれるなら、間違い無いですね」

 美咲は安堵の表情を浮かべながら、小鉢をテーブルに置いた。

 本日のお通しは、きゅうりと人参の辛子漬け。

 大きめに乱切りした人参ときゅうりの歯ごたえが嬉しい一品である。

 食材大事に。余らすな、腐らすな。

 が、合言葉のたそがれでは、中途半端に余った野菜をまとめて塩漬けにしてしまえるお漬ものは、お通しのメニューに困ったときの切り札だ。

 ぽりぽりと音を立てながら、それを咀嚼する蓮子とメリー。

 辛子は、ほど良く風味を感じられる程度で、とても良い塩梅なのだが……。

「美咲ちゃん、お願いがあるんだけど……」

 蓮子が、いたずらを思いついた子どものように笑みを向けてくると、

「練り辛子、ですね」

 心得たことだと、美咲は辛子を乗せた小皿を蓮子に渡した。

「そうそう。これが無くっちゃねぇ」

 お漬物の味付けは申し分無い。だが、真理の探究者たる秘封倶楽部には、このくらいではもの足りない。

 辛子漬けに辛子を加えて食べるというマゾヒズムな食事方法なのだが、この刺激を覚えたら、もうやめられない。

「美咲ちゃんが、ずっとお店にいてくれるの、いいわね」

 蓮子は涙目になりながら、辛子漬けを飲み込んだ。

「そうね。同年代の女の子がお店にいてくれると、私たちも通いやすいわ」

 辛子の辛味に耐えきれず、メリーは焼酎のグラスに手を伸ばす。

「こうやって、お客の嗜好も把握してくれるしねー」

 性懲りも無く、蓮子はきゅうりに辛子を乗っけて、辛い辛いと、楽しそうにわめきたてる。

「それに、美咲ちゃん目当てでお店に通ってる人、いるでしょ?」

「そうですねぇ。自分で言うのも、うぬぼれてるみたいで恥ずかしいですけど……」

 実際、美咲の容姿はバランスが取れていて、美人の部類に入る。

 身なりはさっぱりしているし、現役の女子大生と、年も若い。

 これで、おっさんたちに人気が無いほうがおかしい。

 いまや美咲は、居酒屋たそがれの立派な看板娘であった。

「でも、ご両親は心配なさったんじゃない?」

 本日のおすすめが記されたボードを眺めつつ、メリー。

 たそがれは人気店だから、経営が行き詰まるということは無いだろうけれど、親御さんとしたら、娘の生計がちゃんと成り立つのか、心配なはずだ。

「奥さんが、上手いこと両親を説得してくれたんです」

 メリーから受けた注文を、美咲は伝票に書き込んでいった。

「奥さんが?」

 カウンターの中にいる店長さんの奥さんは、見るからに物腰が柔らかそう。

 メリーと蓮子の視線に気づくと、つつましく笑いかけてくれて、それだけで気持ちが和む。

 美咲のご両親も、こういう人が務めている店なら大丈夫だと、安心したことだろう。

「美咲ちゃんも、早く奥さんみたいな料理を作れるようになってね」

「まだ私には、里芋の煮っころがしで、お客さんからお金をいただける自信はありませんよ。ご注文、以上でよろしいですか?」

「ええ」

「はい。お待ちください」

 伝票を店長さんに渡す美咲。

 Tシャツ、ジーパンという能動的な服の上には、まっ白な割烹着を羽織っている。この割烹着は、奥さんのお下がりだった。

「みんな、期待してると思うけどね」

 蓮子は、運ばれてきた里芋の煮っころがしに箸を伸ばした。

 甘辛くて濃い味付けが、お酒に合うこと合うこと。柔らかくて、それでいてねっとりした里芋の食感も損なわれていない。

 奥さんが出勤しているときは、奥さんの手料理、特に煮ものがおすすめとなることが多い。

 里芋だけを煮っころがした料理を、さぁ食べてみなさいと、堂々と客に提供するのは、料理の経験値に自信が無いと、できないことだ。

 この奥さんの味付けを、誰かにひき継いでほしいと、客たちは密かに願っている。

 その願望は、奥さんのお下がりの割烹着を着こなしている美咲に向けられていた。

「あんまりプレッシャーをかけないでくださいよ」

 テーブルに、里芋の煮っころがし、大根と鶏肉の含め煮、小松菜と油揚げのおひたしが並んだ。

 すごく凝った料理では無いけれど、どれも見事なバランスで調理されているし、奥さんの愛情が、しっかりと具材にしみ込んでいた。

「いまは、レシピを覚えるので精いっぱいですよ。愛情とかそういうのは、年季がなせる業なんですから、そこまで求められても困ります」

 美咲が肩をすくめると、

「美咲ちゃん……?」

 背後に、店長さんの奥さんがいた。

「ひっ!?」

 奥さんは、顔こそ笑っているが、目が笑っていなかった。幽鬼ゆうきと見まごうほど、鬼気迫るものがある。

「いま、年齢の話をしていたかしら……?」

「しっ、してないですっ!」

「でも、年季がどうとか言っていたでしょう……?それって、私が年寄りってことかしら……」

「そそっ、そんなわけ無いじゃないですか! 奥さんは、若くて美人ですっ!」

「そう。それならいいわ……」

 発言には気ぃつけぇやとばかりに美咲の肩を叩き、奥さんは去って行った。

「蓮子。奥さんが移動してくるの、見た……?」

「見て無い……。たしかにさっきまで、カウンターの中にいたはずなのに……」

 オカルトや超常現象には耐性のある秘封倶楽部ですら、戦慄していた。

 高速で移動してきたこともそうだが、あの迫力。

 奥さんはただ者では無いと確信したが、いかな蓮子とメリーであっても、その真相に迫る気にはなれなかった。

 その代わりというわけでは無かったが。

「そうだ。美咲ちゃん。幻の酒場って、聞いたこと無い?」

 蓮子は、別のオカルト話をきり出した。

「幻の酒場……。無いですねぇ。どんな話なんです?」

「この奥さんの手料理みたいに、愛情のこもった料理を出す居酒屋らしいんだけどね。どこにあるのか、どうやったらたどり着けるか、謎なんですって」

「また眉唾な話を仕入れてきましたね。探すんですか?」

 蓮子とメリーは、論無くうなずく。

 旨いものを出す居酒屋の噂に、オカルト話までくっついてきている。

 この餌に食いつかなかったら、秘封倶楽部の名折れである。

「良かったら、美咲ちゃんも参加しない?」

 蓮子は、純真な瞳をきらきらと輝かせていた。

「考えておきます」

 苦笑いをして、美咲は二人のテーブルを離れた。

 そろそろお店も混んできた。おしゃべりをしている余裕も無くなってくる。

 酔客たちが、喧騒を生み出している。

 笑い話や、愚痴や……。

 十人十色の感情を吐き出して、お店に置いて行く。

 それを受け入れるのが、居酒屋という空間だ。

 秘封倶楽部の二人はと言うと。

 酒を楽しみ、料理を楽しみ、おしゃべりと、ちょっとの喧嘩を楽しみ……。

 年齢層が高めの客たちに溶け込んで、ごく自然に、お店の景色の中にいた。

(幻の酒場ね……)

 もしそれが実在するならば、あの二人は、絶対にそのお店にたどり着けるだろうと美咲は思う。

 なぜなら。

 彼女たちほど、旨そうに酒と料理を呑み食いする客は、いないからだ。

 酒と、料理と、渋い居酒屋をこよなく愛する、女子大生二人。

 秘封倶楽部は、今日も明日も、旨いものを求めて、たそがれどきをさまようのだった。


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