4.勇者は頭が重くなる。
グロリアさんから呼ばれていると聞き、俺は慌てて彼の待つ場所へ向かった。その途中で、何人か教会所属の人達を見かけた。走ってる俺の方を見て少し呆れた表情だった気がする。
まあ無理もない。神聖さの象徴みたいな場所で、勇者と呼ばれているはずの俺が全速力で駆け抜けているんだ。しかも、これで二週間のうちに何度目だろう。さすがに珍しいを通り越して、呆れられるのも当然か。
グロリアさんの部屋の前に着き、俺は荒くなった息を整える。でも、全速力で走っていた俺から、一時たりとも離れなかったクリステルさんは全然息切れしていない。涼しい顔で、衣服の裾を整えるだけ。とんでもない体力だと、改めて尊敬する。
「教皇様、勇者様のご到着でございます」
俺が呼吸を落ち着けたのを確認すると、クリステルさんは澄んだ声で告げた。
内側から「入りなさい」と許可が下り、俺は扉を押し開ける。
「昨日ぶりですね、ミスミ」
グロリアさんがニコリと笑いながら声を掛けてきた。
この部屋は、グロリアさんの執務室。
部屋は執務室らしく整然としているけど、机の脚や椅子の背もたれ、天井から吊るされたシャンデリアに至るまで、精緻な装飾が施されている。その豪奢さはけばけばしくなく、むしろ上品で……、これぞ『品が良い』ってやつかな。
ふわりと鼻をかすめたのは、甘く香るお香の匂い。風通しのいい廊下から流れ込んだせいか、俺の部屋で焚いているものよりも濃く感じられる。
「そうですね」
俺も笑いを返しながら言葉を返す。
ソファには、グロリアさんの傍らにカロルさんが腰掛けていた。
赤褐色の髪に同じ色の瞳をした、端正な顔立ちのお兄さんであるカロルさんは、俺の魔法の先生だ。落ち着いた立ち居振る舞いの中に、鋭さを感じさせる。若くして枢機卿となり、教皇の右腕を担うカロルさんが俺の先生であると知らされた時は、本当に驚いた。
カロルさんの教えはとても分かりやすくて、初心者の俺でもスイスイと魔法の腕前が上達していっている。俺の問いかけにも誠実に答えてくれて、もう感謝しかない。
ソファに腰を下ろすと、すぐにクリステルさんが紅茶を淹れてくれる。
液面から立ちのぼる湯気に、爽やかな香りが乗って漂う。湯気を吸い込むだけで喉が潤いそうで、見ただけで美味しいと分かる紅茶だ。
俺は礼を言い、少し冷ますためにカップを置いた後、そっと口を付けた。
うん、やっぱり裏切らない味だ。いくらでも飲める。
「今日は何をしましたか?」
紅茶を手にしたグロリアさんが問いかける。
「魔法を重点的に特訓しました。もうすぐ下級魔法なら実用段階までいけそうです」
「ええ、カロルからもそう聞いています。物覚えが良く、素直な生徒だと。順調そうでなによりですね」
「そ、それほどでも……」
予想外に伝えられていた評価に、思わず耳まで熱くなる。
カロルさんは優しいが、褒めることは滅多にない。声を荒げることはない代わりに、自然と努力せねばと身を引き締めさせる迫力を持っている。直接褒められたのは、初めて風の下級魔法である【そよ風】を起こせた時と、全部の属性の下級魔法を一通り習得した時くらいだ。
そのカロルさんに、間接的とはいえ褒められたと知って、胸がじんわり温かくなる。思わずえへへと笑みがこぼれた。
その瞬間、二人がふと目を合わせる。
同時に、背後でカチャッと、控えめな音がした。
……あれ? クリステルさんが俺たちの会話中に音を立てるなんて、珍しい。
でも、その音にグロリアさんもカロルさんも眉一つ動かさなかった。
「ミスミ、貴方の役割は?」
「? 勇者……ですよね? 魔王を倒し、世界を救う……」
唐突に、グロリアさんが真剣な眼差しで問いかけてくる。あまりに〝当然〟なことを問われて、俺は首を傾げながら答えた。
勇者としての役割。
それは、魔王を倒し、世界を救うこと。
その為に剣と魔法を鍛え、力を得なければならない。そう言われてきたし、俺もそれを信じて疑わなかった。
「そうです、ミスミ。貴方は世界の運命を背負う勇者です。今、世界は暗闇に閉ざされています。皆、勇者の助けを待ち望んでいるのです」
静かな声に熱がこもる。民は魔物の被害に苦しみ、教会には救いを求める声が絶えない。だが根源を断たなければ何も解決しない。
魔王を倒すこと。それが、唯一の道。
……これらも、いつも言われていることだ。
「勇者は世界を救うために、どんなことでもしなければなりません。戦いを厭う気持ちは理解しますが……」
……なんだか、頭が重い。心臓の音が妙に遅く聞こえる気がする。
話の内容が、入ってこない。瞼が鉛のように落ちてきて、ぼんやりと霞む。視界が揺れて、グロリアさんの笑顔がブレて見える。
やばい、このままじゃ……、グロリアさんの話を聞いてないなんて失礼だ。カロルさんも真面目に頷いているのに、俺だけが夢の中みたいに意識が遠くなる。
空気が、甘くて、温い。
「……そうですね、今は……しておきましょうか」
囁くように落とされた言葉を、俺は理解できなかった。




