2.勇者は不安になる。
「……だから、君はこの世界に喚ばれたのです。さあ、思考の整理はできましたか?」
「た、多分、できたと思います」
丁寧に話してくれたグロリアさんの説明を、俺はなんとか理解した。もう寝ぼけてなんかいない……と思う。けど、ちょっと、まだ寝ていた方が良かったかもなぁ……なんて思い始めていたりもする。
だって、勇者だよ? 魔王を倒すことが決まってるんだよ?
そんな危険なこと、俺にできるわけがない。
だって俺は、ただの大学生なんだから。
「ではまず、君の名前を教えてください」
でも、俺が無理だと思っていることを、グロリアさんたちは知らない。ようやくやって来た勇者に、きっと期待しているはずだ。俺が魔王を倒してくれるって。
その期待に応えられないと思う一方で、「無理です」なんて断れそうにない自分もいる。……これが優柔不断ってやつか。
「えっと、美澄瑠斗です」
とにかく、グロリアさんの質問には答えようと、自分の名前を名乗る。
「名前はミスミですね。改めまして、私はグロリア・シュピッツェ。気軽にグロリアと呼んでください。これからどうぞよろしくお願いします、ミスミ」
あれ? 名前は瑠斗なんだけど……。
あ、そっか。ここって、俺の世界でいうヨーロッパっぽい感じだから、『姓・名』の順番じゃなくて、『名・姓』なんだな。うっ、失敗した。
……でも、グロリアさんが手を差し出してくれてるこの場で、わざわざ名前を訂正するのもなぁ。姓か名かの違いだし、別にこのままでもいいか。
差し出された手を、俺はそっと握る。思いのほかグロリアさんの握力が強くて、思わず手を離してしまった。
「? どうされました?」
「い、いえっ! なんでもないです……」
痛いわけじゃないけど、反射的に手が離れてしまうくらいには強かった。でも、握手を振りほどくなんて失礼だよな。
恐る恐るグロリアさんの様子をうかがうと、彼はじっと俺を見つめていた。笑顔ではあるけど、こっちが後ろめたい気持ちになってるせいか、どこか目が冷たく見えてしまう。
「そうですか。では早速、大聖堂の中をご案内しましょう」
「はいっ!」
꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖
俺がさっきまでいた部屋は、地下室だったらしい。
ロウソクがたくさん置いてあったから地下とは思えないほど明るく感じたけど、地下室から出た瞬間、もっと明るく感じた。
ステンドグラスを通して差し込む太陽の光が、神秘的な雰囲気を作り出している。
まさに“大聖堂”って感じだ。
そんな綺麗な通路を歩きながら、施設をどんどん紹介されていく。
神様に祈りを捧げる『礼拝室』、いろんな道具を置いている『聖具室』、信者が集まってさまざまな活動を行う『信徒会館』……
「そして、これから君が住む場所がこちらです」
前を歩いていたグロリアさんが振り返りながら、手で建物を示す。
その先にあったのは、まるで城と見間違うほどの大きな建物だった。
「おっき〜……」
驚きが口をついて出た。慌てて口を押さえると、グロリアさんたちが苦笑する。
「す、すみません!」
「いえいえ、大丈夫ですよ。私も初めて来た時は驚きましたから」
そう言って、グロリアさんは俺をやさしく励ましてくれた。
その言葉に少し安堵して、俺は他の人たちと一緒にその建物へと入った。
「今日から私、クリステル・プフレーゲが勇者様のお世話をいたします。よろしくお願いします」
グロリアさんたちと別れる直前に、俺付きの侍女として紹介されたのが、クリステルさんだった。
「俺、侍女なんて必要ないですよ!?」
「君はこの世界に来たばかりで、ここの常識もまだ知らないでしょう? 何でもクリステルに聞いてくださいね」
「でも……」
「よろしくお願いします、勇者様」
グロリアさんとクリステルさん、二人の圧に、俺は何も言い返せなくなってしまった。
「それでは、明日は朝から伺いますので」
「わ、分かりました」
ペコリとお辞儀をして、クリステルさんは部屋を退出した。
扉が閉まったのを確認してから、俺はベッドにダイブする。
つ、疲れた……。
というか、そもそもここが本当に現実なのか、まだ疑ってしまう。
なんだよ、「勇者」とか「魔王」とか。物語の中だけの話じゃなかったのか?
ボーっとしていると、ふと、側にあった鏡が目に入った。
肩まである黒髪は後ろで短く一つ結びにして、『男』って言われたら男に、『女』って言われたら女に見える中性的な顔立ちの、なんの変哲もない日本人。
でも、瞳の色は黒色から緑色に変わってる。
通路の壁にあった大きな鏡を見た時に気がついて、心の中で悲鳴を上げた。この建物に入る前に大声を上げてしまったから、実際には声を出していない。多分目を見開いただけだと思う。
なんで変わったのか分からない。恐らく、転移の影響だ。それ以外の異変なんて無かったはずだし。
「……家に帰りたい」
思わず、ぽつりと本音がこぼれる。
家に……家族に会いたい。
あっちの世界で俺はどうなっているんだろう。キャンプ中に行方不明ってことになってるのか?
うわぁ、絶対家族に迷惑かけてるじゃん。
父さんも母さんも心配性で、キャンプに行くって言っただけで、これでもかってくらい道具を持たされた。
高校生の妹と弟は、〝あいつ〟とキャンプに行くのを羨ましがってたっけ。
そうだ、〝あいつ〟はどうしてるんだろう。
俺が意識を失う直前、確か、俺に手を伸ばしていたのが見えた。
もしかしたら、突然俺がいなくなって、驚いたかもしれない。
……なんだか、みんなに申し訳ない気持ちになってくる。
「……寝よ」
考えても仕方がない。どうあれ、俺が異世界に来てしまったという事実は、変えようがないんだ。
今後のことは明日の俺に任せて、今日の俺は、とにかく寝ることにした。