世界に不釣合いな自分
──幻想的な空間に、私はあまりにも不釣合いだった。
例えば誕生日、その日に祝ってくれた人が五人いたとして来年の誕生日に同じ人が残っているかと言われればどうだろう。毎日会話をしてくれていた相手でも、たったの半年でパタリと音沙汰なしになる場合もある。
それに対して悲しいとか寂しいとかいう感情は多少湧くが、昔程そういった感情は強く湧く事は無くなった。それらに振り回されジタバタと暴れ回ったり愚痴を周りやSNSに吐き出したとしてもどうにもならないのだ。感情の浮き沈みが激しい者に関わると疲れてしまうのは、自分自身も体験しているし理解は多少しているのだ。
人間というものはそういう生き物、興味が湧けば行くし飽きれば離れる。それは誰だってそうだ。
……力の入らない全身、ベッドの上で何をするでもなく白い天井を見つめていた。最近買い換えた電気の蓋、ここのマンションは引っ越してきた時は綺麗だったがもう十年目でところどころ黄ばんでいる。前の蓋の跡がハッキリと残っていた。それを見つめるのがなんだか怖くなって、頭の横に放り投げていたリモコンを取り電気を消す。
未成年の頃はあんなにもゲームやアニメが大好きだったのに、今じゃ新しいゲームを買ってもやる気は出ないし画面酔いもしやすくなって面倒になった。アニメも昔は兎に角いろんな作品を頭に吸収したかったのか観まくっていたが、今では新しい作品を観るのも億劫。“最新のアニメを観なきゃ”という義務感に近い感覚にもなってしまった。漫画をあまり読まなくなったのも同じ理由。
全てにおいて面倒だった。何かを考えようとすれば頭も痛くなるし、何も考えたくない。誰かと会話をしたくても、自分が何か恥をかく発言をするのではと想像し、好きな物や興味のある事も自分から進んで話題をそんなに振らなくなっていった。自分が思っている以上に周りは物知りだし、自分が思っている程自分は面白い人間でもない。それらを考えるのも疲れてしまう。
こんな事を思っているのだから、周りから人が離れる事に対し寂しく思う資格なんてない。それでも、“かまって欲しい”と寂しさを覚えてしまうのも、人間だからなのだろう。
(何か……食べようかな。)
天井を眺めながら考える。退屈だが何もする事が無い……いや、何も気力が無いから、選択肢が食事くらいしかなかった。しかし食べるのも面倒だった。
この頃、食べ物が美味しくない。味は美味しい……矛盾していると思うが、味は“美味しいのかも”しれないが、噛んでいても“バターを乗せた鮭の味”、“マヨネーズを付けたブロッコリーの味”としか思えなかった。
力の入らない上半身を無理に起き上がらせ、ふらつく体のまま床に足を付くが、足に力は当然入らず立ち上がってもふらついた。頭が重い。
ペタペタと亀よりも遅い歩きで何とかキッチンへ向かい冷蔵庫の前に来た。開ける。中はコンビニの林檎、漬け物、ラップに丸めた昨日のご飯、スーパーのチキンカツ……噛むのが面倒くさい。
(あぁいいや、)
コンビニの抹茶のラテを手に取る。飲むだけでいい、これでいい。
ふらつく足でまた亀よりも遅い歩きで自室のベッドに来た。座った。窓の外は明るくて、締め切った水色のカーテンを照らす。室内は空気清浄機の音だけで、今この瞬間世界は綺麗だった。自分はこんなにも無気力で卑屈で美しくない人間なのに、部屋は朝の光のせいで幻想的に見えて、自室のはずなのに場違いに思えて虚しかった。
矛盾だらけの時間にまた頭が痛くなってきた。持ってきた抹茶のラテに付いていたストローを外し、中に刺す。ストローに口を付け吸い込むと、冷たい液体が舌と喉の順で通った。
(甘い)
甘い、抹茶、甘い……その味しかしなかった。
虚しくて虚しくて、泣いた。