第5話 ニンジャ参上!
卵を割ると、小さい卵黄が2つくっついていた。
あ、珍しい……ふたごの卵だ。
こんなことでもセンリに話したくなる自分に気づいてうんざりする。
いつだって、センリはあたしの話をなんでも嬉しそうに聞いてくれた。
まるで抱きしめ合うように繋がった卵黄は、すぐにセパレーターに吸い込まれていった。
◇
石畳に伸びる影を見ながら夕焼けの街を歩く。
あたしは、センリが王太子なことをあまり気にしていなかった。
そりゃあ最初は驚いたけど、なんというか、ちょっと特殊な仕事をしてる人くらいの感覚だった。
でも、今回のことで思い知った。
王族は、もう感覚からしてクソ庶民とは全然違うんだ。
あたしのことを愛していると言いながら他の女と結婚する男をどうして理解できる?
センリはあたしのことを大好きだと、いちばん大切だと言っていた。
きっと、その気持ちに嘘なんてないんだろう。
でも、だからといって結婚をやめるとか、あたしと一緒になるとか、そんなことはひとことも言わなかった。
センリが嘘をついたり、誤魔化したりできるような人じゃないのは知っている。
センリにとって王太子であるということ、隣国との結束を強くすることは、愛とか恋とか、そんなことよりずっと重要なんだろう。
夕焼けに照らされた街が妙に感傷を誘う。
センリの結婚相手はどんな人なんだろう。
温室育ちの、きれいなきれいなお姫さま。
きっと親に守られて、周りから大切にされて生きてきたような女だ。
寂しさに負けて、会ったばかりの男を部屋に上げたりなんて絶対しないような女だ。
単身、田舎を飛びだして、必死になって働いて、彼氏に振られて……そんな中で見つけた恋人を、あたしのいちばん大切なひとを、そんな女に持っていかれるのか。
やりきれない。
あれからセンリとは会っていない。
部屋に来るなと言ったのはあたしだけど、センリはあたしに会えなくても平気なんだろうか。
迷子のように、立ち止まって空を見上げたときだった。
背後から急に口を塞がれた。
◇
暗い路地、あたしは強い力で全身を抱えられるように動きを封じられていた。
口の中に湿った、嫌なにおいのする布を無理やり詰め込まれる。
何が起こったのかわからないまま、頭から袋をかぶせられて視界が塞がれた。
体ごと、袋がぐいっと持ち上げられる。
突然のことに頭がついていかないけど、なにか、とてもやばい状況になってるのだけはわかる。
このまま、おとなしく捕まってたまるか!
あたしは全身で力のかぎりに暴れた。
次の瞬間、蹴られたのか、袋の外から容赦ない打撃が2発加えられる。
ひとつは肩に、ひとつは顔面に入った。
鈍い衝撃に、口の中の布がのどの奥に詰まった気がした。
気道が塞がれて息が止まりそうになる。
あたしを傷つけることにためらいがない。
心臓が凍りついたように全身が冷たくなる。
もしかしたら、殺されてしまうのかもしれない。
嫌だ! 助けて!
センリ……
「ぎゃっ」
思った瞬間、男たちの悲鳴が聞こえて、地面に叩きつけられたような衝撃が走った。
今なら逃げられるかもしれない。
どうにか抜け出そうともがいたけど、袋の口がしばってあるのか出口がわからない。
「ああ、暴れんな。いま出してやるから」
声とともに袋の口が開けられて急に視界が開けた。
あたしを解放してくれたのは、見たことがない若い男だった。
「ほら、あーんして」
彼はそう言うとあたしの口から唾液でベタベタになった布を引っ張り出した。
喉の奥を布が擦れてあたしは激しく咳き込む。
「よしよし、もう大丈夫だからな」
彼はあたしの背中を優しく撫でてくれた。
呼吸が落ち着いてきたころ、彼は立ち上がってあたしに手を差し出した。
「歩ける?」
彼は何者なのか、なぜ襲われたのか、聞きたいことはたくさんあるけど、とにかくこの場を離れたほうがいいんだろう。
それに、さっきから濃い血のにおいがする。
路地の奥の暗がりにいったい何があるのか、考えるのが恐ろしかった。
あたしは頷くと彼の手をとって立ち上がった。
◇
街は夕焼けから夜に変わっていた。
路地を抜けていつもの石畳に出ると、急に力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か? 怖かったよな」
彼はそう言うとあたしをひょいと抱え上げる。
「きゃあ!」
「とりあえず、部屋まで送るよ」
言うが早いか、彼は走り出した。
部屋? あたしの部屋を知ってるの?
「あなたは何者なの?」
しがみつきながら聞くと、彼はニヤッと笑った。
「ニンジャ」
◇
とりあえずニンジャを部屋にあげて、座ってもらった。
聞きたいことは山ほどある。
「あの、さきほどは危ないところをありがとうございました」
頭を下げると、ニンジャは笑って言った。
「ああ、いいよ。これが仕事だし」
「仕事?」
あたしがいぶかしげに聞くとニンジャはゆっくり頷いた。
「王太子殿下直々のご依頼により身辺警護にあたらせていただいてます」
「え……センリが?」
センリと声に出した瞬間、体がどきっと反応した。
「うん、俺もともとセンリの護衛なんだけど、しばらくはこっちを見といてくれって言われてさ」
それであたしの部屋を知っていたのか。
あんな別れ方をしたあとも、センリがあたしに気をまわしてくれていたと知って複雑な気分になる。
「あのさ、ニンジャ……」
「んー? なんだあ?」
笑顔のニンジャを見ながら、あたしはためらいがちに口を開いた。
「センリは、元気?」
こんなことを聞いてどうするんだろう。
センリはきっと結婚をやめるつもりも、あたしとやりなおすつもりもない。
ニンジャはしばらく黙っていたけど、大きくため息をついて、苦い顔で言った。
「元気じゃねえよ……」
◇
部屋の中をにわかに沈黙が包んだ。
「元気じゃないって……どういうこと?」
センリの身に何かあったんだろうか……急に不安になる。
ニンジャはふうーっと息を吐くと話し始めた。
「なんていうか、やべえんだよ……いや、もともと少し変なところはあったけど。お前に捨てられてからさ、仕事中もボケーっとしてるし、食事しながら急に泣き出したりするし、『めっちゃ共感できるわー』とか言いながら失恋ソング聴いてるし、暗い部屋でずっとアンちゃんに話しかけてるし……」
「ちょっと待って、アンちゃんって誰?」
当然のように出てきた名前に思わず口をはさんだ。
あたしの問いにニンジャはしんどそうな顔で答える。
「ぬいぐるみ……サルの」
「サル?」
ニンジャは頷いて話を続ける。
「なんか、お前に似てるって嬉しそうに買ってきて、部屋に置いてよく話しかけてるんだ。毎晩抱きしめて寝てるし」
「うわあ……気持ち悪」
聞かなきゃよかった。しかもサルかよ……
「気持ち悪いよな」
あたしとニンジャは同時に深いため息をついた。
「言っとくけど、お前のせいだからな」
ニンジャが疲れた目であたしを見る。
「ええ……なんでよ」
話を聞いている限り、どう考えてもあたしは被害者じゃないのか。
「お前がバカ王子の童貞食ったせいで大変だったんだぞ……すっかりハマってフニャフニャになって、急に変なポエムとか言い出すし、国王陛下もひどく心を痛められて……」
「ちょっと! 変なこと言わないでよ」
あたしは真っ赤になる。
「あ、あたしだって初めてだったんだから」
言ってて恥ずかしくなってきた。
あたしはいったい何を言ってるんだ。
「それに……あのときはセンリが王太子だなんて全然知らなかった」
こっちを先に言えばよかった。
「まあそうだろうな」
ニンジャは頷いて言った。
「とにかく、バカ王子がクソ庶民にどハマりしたせいで王宮はやべえ騒ぎになったんだよ。隣国との婚儀だってあるのに、どうすんだよこれって」
「婚儀……」
そのことばを聞いて胸が苦しくなる。
泣くほどあたしを好きなのに、センリに結婚をやめると言う選択はなかった。
「国王陛下は、そんなに好きなら愛人として囲えっておっしゃったんだけど、センリは嫌だったみたいでな」
「あたしだって嫌だよそんなの」
確かに、そのあたりが落としどころなのかもしれない。
でも、センリが他の女に触れて、キスして……それを知りながら、たまにくるセンリをひたすら待ち続ける生活なんて、死んだ方がマシだ。
「なんかお前が仕事頑張ってるから、邪魔したくないって言ってたぞ」
それを聞いて、言葉が出てこなくなった。
毎日暗いうちから出勤して、火傷だらけになって、降誕祭をボロボロになるまで戦って……あたしが全力で働いてたこと、センリはちゃんとわかってくれてたんだ。
わかってて、大事にしてくれてたんだ。
「あとなあ、王宮もいろいろあるから……その手の争いに巻き込みたくなかったってのもあるだろうな」
そうだ……! あたしは別にセンリがサルと一緒に寝てる話を聞きたいわけじゃなかった。
「あの、あたしはさっき……なんで襲われたの?」
あたしはおそるおそる聞いた。
「お前が、センリの女だからな」
ニンジャはこともなげに答えた。
「センリの……女」
甘いようで、どこか虚しい……単純な響きの言葉に胸がざわつく。
「お前はセンリの弱みになるんだ。センリを王太子から降ろしたい連中はお前を利用したいだろうし、センリを国王に推したい奴らにとっては邪魔になる」
つまりあたしは、あのロイヤルクソ童貞と知り合ってしまったばっかりに、いつ危険な目にあうともわからないってことになる。
考えるだに迷惑な話だ。
でも、センリはあたしの前に姿を現さないけど、あたしの身を案じてこうやって護衛をつけてくれていた。
わからない。
「ねえ、センリは……なんでお姫さまと結婚するの?」
あたしのことが好きなのに、どうしようもなく好きで好きでたまらなくて、あたしから離れることなんてできないくせに、今だって、どうせあたしのことを考えているくせに。
ニンジャは少し黙ったあと、いいにくそうに口を開いた。
「王家の……正統性のためだ」
「正統性?」
ニンジャは頷いて続ける。
「センリは時期国王だから、センリに子どもができたら王位継承権を持つだろ? そのときに、その子が王家の血を引いていなかったら、いろいろと面倒なことになるんだ」
「え、何それ」
なんだその気持ち悪い理由は。
「この国が今、外勢力の脅威にさらされてるのはわかるよな。ここで王家の正統性を示しておかないと、そこにつけいられるかもしれない。実際王宮にもセンリの弟を国王に立てたい連中はいるしな」
ニンジャの言ってることは全然わからなかったけど、クソ田舎娘のあたしより、お姫さまの方が「ちゃんとした正しい女」だって言っているのはわかる。
「同じ女じゃん……お姫さまだって、あたしだって」
「あー……それはそうなんだけどさ」
ニンジャが気まずそうに言う。
なんだ、それ。
本当に、なんなんだそれは。
センリがあたしを好きで、あたしもセンリが好きで、それだけでいいはずだ。
会いたくて会いたくて会いたくて、抱き合えたら嬉しくて、それだけでいいはずなのに、なんでそこに王位がどうとか、血筋がどうとか、クソ面倒くさいものを増やすんだろう。
「何が王家だよ……何が正しい血だよ」
なんで、そんなどっかの童貞が30秒くらいで考えたような気持ち悪いルールのために、あたしは大好きなセンリと離ればなれにならなきゃいけないんだろう。
そんな謎ルールを忠実に守って、センリはこの先、あたしじゃない女に好きって言って、あたしじゃない女に触れて、あたしじゃない女にキスして、あたしじゃない女にブチ込んで、あたしじゃない女で気持ちよくなって、あたしじゃない女でいくのか。
バカみたいだ……いや、バカだ。
わかったような顔をして、正しそうな顔をして、いちばん大切なものを見落としている。
こんなにわかりやすい「大好き」がここにあるのに。
「ねえ、ニンジャ」
あたしはぎゅっとこぶしを握り締める。
「なんだあ?」
「ちょっと、協力してもらえないかな」