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第3話 12月のパティスリーは戦場である

「そういえばさ、行方不明の彼氏は見つかったの?」


 降誕祭のもみの木に赤いリボンを結びながらガレットが言った。


「こっちで結婚してました」


 金色の丸い飾りを吊り下げながらあたしは淡々と答える。

そういえば、そんなこともあった。


「うわ……きっつ」


「ああ、いいんです。おかげさまで新しい彼氏もできたし」


 全体のバランスを見ながら細部を調整していく。


「よかったね、どんな人?」


「どんな人って言われるとむずかしいな……」


 まさか王太子殿下だとは言えない。


「すごくいい人なのはわかるんだけど、まじめっていうか、融通がきかないっていうか」


 この間、サバランが好きだと言ったら、毎回買ってくるようになった。

確かに好きだけど、別にそればっかりを食べたいわけではない。


 あたしは全体にモールをかけながら小さく笑う。


「でも、忙しい人だからなかなか会えないんです。いつも突然部屋に来て、夜は帰っちゃうし」


 センリの来訪はいつも読めない。

数週間空くこともあれば、同じ週に何回も来たりする。


 来るのか来ないのか、やきもきしてた時期もあったけど、最近はそういうものだと割り切れるようになった。


 それに、センリがあたしを好きなのは、疑いようもないくらい明らかだ。


「それってさ……」


 ガレットはもみの木のてっぺんに金色の大きな駒鳥を乗せると、ニヤリと笑った。


「不倫?」


「違います!」





「どうしたんだ……それ」


 センリがあたしの腕を痛ましそうに見る。


「ああこれ、最近窯出しを任されてね、まだ慣れないから結構火傷しちゃうんだ」


 そう言ってあたしは腕を見る。

腕の内側に赤黒い火傷の線が模様のように刻まれていた。


「大丈夫なのか? 仕事……つらくないか?」


 センリが心配そうに腕の傷を指でなぞる。


「うーん……大変だけど、名誉の負傷っていうのか……できることが増えるのは嬉しいんだ」


 そう言ってあたしは笑った。


「そうか、頑張ってるんだな」


 センリは優しい目で言うと、あたしの頭を撫でた。


「でもさ、面白いの。焼き上がったばっかのケーキって崩れやすいんだけど、職人から『女を扱うみたいに優しくやれ』って言われてさ、そんなのわかんないよ」


 思い出してくすくす笑うと、センリも笑いながら言った。


「じゃあ、俺をケーキだと思って……優しくして」


 うわぁ……気持ち悪いな。


「ええ……じゃあ、目つぶって」


 目を閉じたセンリの嬉しそうな顔をしばらく眺めてから、あたしは中指で思いっきり額を弾いた。


「痛ってえ!」


 額を押さえるセンリを見て笑いながらあたしは言った。


「あのさ、あたし、しばらく会えなくなるから」


 すねたようにふくれていたセンリが急に不安そうな顔になる。


「え……なんで?」


 会えないのがそんなに淋しいのか。

あたしはセンリをそっと抱き寄せるとなだめるように言った。


「降誕祭のシーズンは普段の100倍ケーキが売れるんだって。マーケットにも出品するし、多分忙しくてあまり部屋に帰れないと思うの」


 降誕祭は話を聞く限りではとにかく壮絶だ。

作るそばから売れていくケーキをどうにか間に合わせるために職人も販売員も総動員で店を回すらしい。

シーズンも終盤になると、厨房のそこここに力尽きた職人が転がっているとか。


 想像するだけで恐ろしいけど、戦力に数えてもらえてるのは嬉しかった。


「部屋に帰れないって……店に泊まるのか?」


「うん、泊まるって言うより、交代で仮眠をとる感じだと思うけど」


「そんな、ダメだろ!」


 珍しく強い口調に驚いてあたしはセンリを見る。


「だって……その、男もいるんだろ?」


 あたしは黙って頷く。

男もいるというか、あたしとガレット以外のメンバーは全員男だ。


「危ないだろ……男と同じ部屋で寝るなんて」


 まるでにらみつけるみたいに強い目でセンリがあたしを見ていた。

まさかそんな方向に話が行くとは思わなかった。


 真剣な顔であたしを見つめるセンリを見ていたら、急に笑いがこみ上げてきた。


「あははは! そんな、心配するようなことなんてないって」


 あたしはセンリの頭をぐりぐり撫でる。


「みんな必死だから、変なこと考える余裕なんて絶対ないから大丈夫」


「本当に……?」


 不安げにあたしを見上げるセンリを見ていたら、愛しさがぐっと押し寄せてくる。


「うん、安心して」


 あたしがまっすぐ見つめ返すと、センリはこくんと頷いた。


「わかった、寂しいけど……がまんする」


「会えなくなるぶん、今日はいっぱいギュウしてあげる」


 あたしはセンリを力いっぱい抱きしめた。





 優しく……優しく……女を扱うみたいに……


 型からケーキを外しおわるかおわらないかのうちに、次のケーキが焼き上がる。


 手袋をつけるのももどかしく、窯から焼き上がったケーキを出して、すぐに次の生地を放り込む。

窯に腕が触れてまた火傷ができたけど、もうあまり感覚がない。


 火傷よりも、型を持ち上げたときに手首に走る鈍い痛みのほうが辛かった。


 ふと時計を見る。

針は5時を指しているけど、朝の5時なのか夕方の5時なのかわからない。


 いま、何日だ……?


 この生活になって、どのくらい経つのか、あとどれくらい続くのかわからない。

最後に寝たのは一体いつだったのか。


 ああ、柔らかいベッドの上で眠りたい……センリに、会いたい。


「続きは俺がやるから……マーケットの搬入に行ってくれ……」


 疲れきって死人みたいな顔の職人がゆらりと厨房に入ってきた。





 どうやら、いまは夕方だったみたいだ。


 日が暮れ始めた街かどは、屋台の灯りに包まれてキラキラに輝いていた。


「すいませーん! 通ります!」


 色とりどりの屋台を楽しそうに眺める人のあいだを、大きい木箱を抱えて通り抜ける。


 窯場で汗まみれになった体に外気が沁みて涙が出るほど寒い。

それに、全然寝てないしお風呂にも入ってない。

きっと、あたしもさっきの職人みたいにひどい顔をしてるんだろう。


 一年に一度の降誕祭、きれいな服を着てキラキラの街に浮かれる人々をふと眺める。


 この仕事を続ける限り、あんなふうに穏やかに降誕祭を楽しめることはたぶん一生ない。


 ぎゅっと木箱を持つ手に力を込める。


 でも、こうやって降誕祭を盛り上げる側にまわること、店で一丸となって売上のために死力を尽くすのも悪くはない。


「お待たせしました!」


 屋台に着くと、神話に出てくる天使みたいな格好をした売り子さんたちが忙しそうに立ち働いていた。





「やばっ! いま何時?」


 あわてて飛びおきると、目の前に驚いたようなセンリの顔があった。


「どうした? 今日は休みだろ」


「え……」


 状況がつかめなくて、あたしは辺りを見まわす。


 ここは仮眠室……ではなくてあたしの部屋のベッドで、机の上には例によって手土産のサバランが置いてある。


「夢の中まで働いてたのか?」


 センリが笑ってあたしの髪を撫でる。


 しばらくぼーっとしてたけど、やっと思い出してきた。

そうだ……終わったんだ。


 あたしはどうにか、降誕祭から年末年始にかけていちばんの繁忙期を乗りきることができた。


 途中、職人が脱走したり、支配人がケーキに名前をつけて話しかけるようになったりと些細なトラブルはあったけど、おおむね目標通りの売り上げを達成した。


 最終日、すべての作業が終わったあと支配人がねぎらいの言葉とともに、ささやかながらワインと料理を振る舞ってくれた。

ちなみに逃げた職人は2日後に何事もなかったかのように戻っていた。


 普段の休みは1日だけど、今回は特別に連休をもらった。

久しぶりにセンリが来ていたのに、どうやら熟睡してしまったみたいだ。


 頭を撫でるセンリの手が心地よくて、また眠ってしまいそうになる。


「だめ……それ、寝ちゃう……」


 あいまいな意識のなかでつぶやくと、センリは優しい声で言った。


「いいよ、寝てろ。俺はゆっくり寝顔を楽しませてもらうから」


 センリが言い終わるか終わらないかのうちに、あたしはまた眠りの世界に沈んでいった。





 風はまだ冷たいのに、降り注ぐ日差しは暑いくらいだ。


「のどかだねえ」


 午後の日差しに輝く川を見ながらあたしはワイングラスを傾ける。

爽やかな空の下で飲むワインは、安物なのにびっくりするほど美味しかった。


「そうだな」


 あたしを見ながらセンリも嬉しそうに目を細める。


 天気がいいから出かけようというセンリの提案で、あたしたちはサンドイッチとワインを買って川辺に来ていた。


 はじめは誰かに見つかって騒ぎになるんじゃないかと気が気じゃなかったけど、全然そんなことなくてなんだか拍子抜けした。


「親父ならともかく、俺の顔なんてみんな知らないし大丈夫だって」


 サンドイッチをかじりながらセンリは楽しそうに言った。


 まわりを見ると、みんな思い思いに春の午後を楽しんでいる。

もしかしたら、王太子だって気づいたからって、いちいち騒ぎたてるのも野暮なのかもしれない。


「あたしさ、今度、生地の仕込みを教えてもらうんだ」


 あたしが明るく言うと、センリもワインを飲みながら笑った。


「頑張ってるんだな」


「うん、一人前になったら、センリにも作ってあげるね」


 降誕祭を戦い抜いたことで店での扱いが少し変わった。

どんどん新しいことを教えてもらえるようになったし、任される仕事の量も増えた。


 きつい言い方をされることもあるけど、これまで新人だったのが、ちゃんと仲間として認められたみたいで嬉しかった。


「それは楽しみだな」


 嬉しそうなセンリの横で、あたしは思いっきり伸びをして寝っ転がった。


 天気はいいし、サンドイッチもワインも美味しいし、隣には大好きなセンリがいる。


 ずっとこうしていられたら最高だな。


 愛しそうにあたしの頬を撫でるセンリの手のひらを感じながら、あたしはそっと目を閉じた。





 今日も忙しかったな。

バックヤードに下がって帰り支度をしていると、机の上の新聞にセンリの顔をみつけた。


 なんだか、こうやって見ると不思議だ。

確かに描かれているのはセンリなんだけど、美化されてるというか堅いというか、本物はもっとフニャフニャしてる気がする。


 小さく笑って新聞を眺めると、妙な見出しが目に入った。


『王太子殿下 ご婚約を発表』

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