夢幻の女
すみません。きりが良いところが見つからなくて7000文字になってしまいました。
夜が明けた。
二人はマリアの墓を作った後、持ち主がいなくなった家の中で眠り、そして朝になると目が覚めていた。
「さあ、出発しよっか」
「そうだな」
二人は朝食を終えた後、誰もいなくなった家を少し見てから旅に出発した。二週間ほど生活していた家から誰もいなくなることに気づくと少し寂しく感じた。
それでも、ずっとここにいるわけにもいかず、次の街へ進み始める。リーネ達に沢山の思い出話を伝えるために色んなことを経験しないといけないから、アレクは足を止めることはない。
「山か」
「うん、山だね」
マリアの家から出発してからしばらく経った後、二人が歩いている道の先が山に続いていることに気が付いた。今までの旅で山道を歩いたことがないわけではないが、その時は雨が降ったりして大変な思いをしたのだった。
そのせいでアレクは山を見るたびに憂鬱な気持ちになるのだった。しかも、それはアレクだけではなく、ミナも同じ気持ちになるようで、露骨に嫌な顔をしていた。
「今回は大丈夫だよな…………」
「うん……今度こそは大丈夫だと思う……」
今度こそは何事もなく山道を歩くことができてほしい。
二人はそんなことを思いながら歩いていた。それでも、これからどんなことが起きてもミナと一緒なら乗り越えることができると思っていた。
何故なら、これまでの旅で乗り越えることができなかったことはなかったからだ。前回、山道を歩いた時も大変ではあったが、それでも怪我なく歩くことができたのだ。
(まあ、ほとんどはミナの力なんだけどな)
アレクはそんなことを考えていた。そのことをミナに言ったら「何言ってんの、充分役に立ってるよ。アリスちゃんやルークの時はわたしだけだと解決できなかったでしょ」と言ってくれるだろうが、アレクはそのことに気付いていない。
すると、突然雨が降り出してきた。葉からこぼれ落ちた水滴が二人の身体を濡らし、冷やしていく。こうなってしまうと雨宿りするための場所を探さないといけなくなる。
「なあ、俺たちって呪われてんのかな?」
「……ここは雨に好かれているって考えよう。そっちの方が幾分気が楽になるよ」
ミナは前向きなことを言おうとはしていたが、それでも同意するところがあったのだろう、その表情はとても憂鬱な顔をしていた。それも当然のことだ。山を登るたびに雨が降るのならば、そう思うのも仕方がない。
そして。二人は雨宿りできる場所を探していく。木の下でもある程度は防げるが、それでも多少は濡れて閉まうので洞窟などの完全に雨を防げる場所を探さなければならないからだ。
「そういえば、一人で旅をしていた時もこんな感じだったのか?」
アレクは今までミナが一人で旅をしていた時にどんな経験をしたのか聞いたことが無かったからだ。アレクが知っていることは一緒に行動し始めてからのことだけであり、ミナについて知らないことがかなり多かった。
「えっとねー、雨が降る気候のところだとこんな感じかな。そのせいで苦労した思い出があるし。まあ、わたしが住んでいたところは雪が凄くて、そっちの方が大変だったかな」
雪?また知らないものが出てきた。何なんだろう?雪っていうものは。
「そっか、アレクは雪を知らないんだ。雪ってのはね、白くて冷たいもので、空から降ってくるんだよ。わたしが住んでいるところは違うかったけど、雪のおかげで綺麗な景色が見れたりするんだよ」
ミナの説明ではどういうものか想像できなかった。白くて冷たいものが空から降ってくる?それは安全なものなのかな。アレクは雪というものに興味を惹かれて、それを見てみたくなった。
「へー、いつか見れるといいな」
「ふふっ、そうだね。見れるといいね。他に何か見てみたいものはある?」
「海とかかな、確かものすごく大きくて青いんだろ」
「よく覚えていたね、それも見に行こっか」
今のアレクはマリアのおかげで生きていく理由ができて、あらゆる物に興味を持つ姿はまるで子供の様だった。
そうなるのも当然のことなのかもしれない。本来は子供のうちにたくさんのことに興味を持つが、アレクが子供の時はそんなことをしている暇など無くて、日々の生活に精一杯だったため子供のうちに経験していることを経験しておらず、ようやく心の余裕ができたおかげで、アレクは子供の様に好奇心に満ち溢れているのかもしれない。
(この世界にはまだアレクの知らないことが満ち溢れているから、これからは最初に会った時の様に死んでもいいなんて言わないよね)
アレクの様子を見ていると、最初に会った時のような危うさは感じられず、安心してみていることができる。ミナの目的を達成することができて、思い残すことは無くなった。
だから、少し気が緩んだのかもしれない。今まではアレクに気付かれないようにずっと表情に出すことは無く何とか耐え忍ぶことができていて、誰にも症状を気付かせることは無かったが、一気にそれが現れた。
片足の感覚が無くなる。地面を踏みしめて言うはずなのにそんな感触が無くなって、足が急に無くなったように感じられた。そのせいでミナの身体は地面に倒れていく。
薄れていく視界の中で、ミナの様子に気がついたアレクが何か言いながら駆け寄ってきている様子が見えたが、ミナの記憶はここで途絶えてしまった。
*
(いったい何が起こっているんだ)
急に倒れたミナを抱え、アレクは混乱していた。つい先ほどまで元気に会話をしていたはずなのに、少し目を話しただけでこんな状態になっていたのだ。理解が追い付かなくても仕方がない。
(マリアさんの家にいた時から少しおかしいと思っていたけど、やっぱり体調が悪かったのか?いや、そんなことよりまずは雨宿りできる場所に運ぶべきだ
)
そうして、アレクはミナを背中に乗せて雨宿りできそうなところまで運ぼうとした。しかし。その時にある一点が目に映り、そのせいでアレクはさらに困惑することのなる。
その一点とは、ミナの右足が薄く透けるようになっていることだ。そのことに気付いたアレクは、足に向かって手を伸ばしてみたが、その手はミナの足を通り抜け、触れることさえできなかった。
(いったいどうなっているんだ、頼むから目を覚ましてくれ)
アレクはミナを背負い、走りながら雨宿りができる場所を探していく。その間もミナが目を覚ます気配は無くて、アレクはこのままミナが目を覚まさず、消えてしまうのではないかと心配になる。
ミナが消えてしまうことを想像すると、胸が苦しくなっていく。何でこうなるのだろうか、周りの人がどんどんいなくなっていき、自分一人が生き残ってしまう。そんな呪いがあるのなら、今すぐに無くなってくれ。
そう思いながら走っていると、やっと洞窟を見つけることができて、そこでら雨宿りをすることができた。だけど、ミナは目が覚める様子が無く、ずっと眠っている。
(透けているところは広がっていないよな。早く目を覚ましてくれ)
アレクはその間、ミナを見ることしかできなくて、自分の力不足を心の底から痛感していた。ミナがこんな状態になっていても、何もすることができない。ルークやマリアさんだと治すことができるかもしれないのに。
「うっ……アレク……いる?」
「ミナ!」
アレクが自己嫌悪に陥っていた時、ミナが目を覚まして呼びかけてきた。だけど、ミナの足はまだ透けていて、治っていない。目を覚ましたら全てが治っていつも通り過ごすことができるという幻想は完全に打ち砕かれた。
もう治ることなどないのだろうか。そうだとしたらミナは一生歩けなくなってしまう。
「大丈夫なのか…………?」
「大丈夫ではないかな。まぁ、こうなることは随分と前からわかっていたことだし気にしないで。今までこの病気のことを伝えてなくてごめんね」
「びょう……き……?」
今、ミナは病気と言ったのか?
『わたしの魔法は病気や寿命にはどうすることもできない』
それはマリアさんが倒れた時に言っていた言葉だ。つまり、ミナのこの病気は治すことができず、為す術がないということだった。他の人の魔法なら治せるのかもしれないが、ここから街まではかなり遠く、辿り着いたとしても治すことができる魔法使いがいるかどうかも分からない。
もう、どうすることもできないのか。
その考えが顔に出ていたのかミナはアレクの気持ちをすぐに読み取り、目を逸らしていた。そのことがこの病気を治すことができないということの証明になってしまっていた。
「いったいどんな病気なんだ…………?」
「夢幻病って言ってね、身体がどんどん透けていって最終的に消えてしまうんだよ。これは師匠ですら治せなかったから治す手段なんて無いんじゃないんかな」
そんなことを言わないでくれ、まるで死が避けられないような言い方じゃないか。明日になったら元気になって、また一緒に旅をすることができるんだろ、そうに決まっている。
だけど、ミナが申し訳なさそうに見つめてくる。やめてくれ、そんな目で見ないでくれ。そんな目で見られると現実を受け止めないといけなくなるじゃないか。わかってるよ、もうこの病気が治ることは無く、もう少しで消えてしまうことぐらいは。そんなの嫌なんだよ。やっと、やっと俺と一緒にいてくれる人ができたんだぞ、失いたくないに決まっている。何で俺の周りはいつもこうなるんだよ。セラもレンもロイもリーネも、そしてアリスやマリアさんだって先に逝ってしまって次はミナもだと、いったい俺が何をしたっていうんだよ。何度も何度も周りの人たちが俺を残して逝ってしまう。せめて一人くらいは俺のそばにいてくれよ。いや、俺を一緒に連れて行ってくれよ。そうしてくれたら文句なんて言わないからさ。何だ?呪いでもあんのか?何でこんなことばかり起きるんだよ、少しくらいは良い現実になってくれよ。もしくは、永遠に夢が続いてくれよ、そのくらい良いだろ、こんなにつらいことが多かったら少しくらい良いことがあってくれよ。いや、ミナとの出会いが良いことだったのか、別にこんな結末だとしてもミナと出会えてよかったとは思うが、それでもこの結末はおかしいだろ、何でこんな結末になるんだよ。俺は世界から嫌われているのか?前世で俺は何か悪いことでもしたのか?そうじゃないとこんなことになるのはおかしいだろ、何で大切な人たちがどんどんいなくなっていくんだよ。本当になんでなんだろうな、もう疲れて来たよ、人と出会う度につらい別れが待っているんだからさ。もしかしたら、俺は疫病神なのか?俺がいるから周りの人が死んでいく、そうだとしたら今までのことにすべて説明がつくよ。あいつらが死んだのもすべて俺のせいじゃないか、そうだとしたら俺は何人を殺したことになるんだ?ははっ、そういうことか、あの時よりも前に死んでおくべきだったんだ。
「アレク……その考えはこのわたしが許さないよ。アレクは何も悪いことをしていない、だから、死んでおくべきだったなんて思わないで」
考えていることをミナに見透かされたことに驚いて息を呑む。そうだった、何故かミナには考えていることがすぐにばれるんだった。こんな状態になっても相変わらず考えを読んで来るなんて、本当にすごいと思う。普通は死にそうになっているのならば他人を気遣うことなんてできなくなるだろうに。
「なぁ、本当に死ぬのか」
「うん、今まで死なないように魔法で何とかしていたけど、もう抑えることができなくなっちゃった。明日までもたないかもしれない」
「そうか…………」
もう、現実を受け入れるしかない。ミナは死ぬことを受け入れているから、いつまでたっても自分がうろたえているわけにもいかない。はぁ、なんでこんなことになったのかな、もっといい結末であってほしかった。ずっと一緒にいたかった。
「ねぇ、わたしが消えるまで話さない?」
「いいよ、どうせすることは無いんだし」
「よかった、何から話す?」
「それなら、俺と出会う前の旅でどんなことを経験したのか教えてくれない?」
「いいよ、まずはね……」
残された時間を一瞬でも無駄にしないために絶え間なく言葉を紡いでいく。二人は笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら会話をしていた。その時間は永遠にも、一瞬にも感じられ、とても楽しい時間だった。もし、もっと前にミナと出会うことができたのなら、どれほどよかったのだろうか。
そして、終わりの時がすぐそこまで来ていた。ミナの身体はほとんどが透けていて、いつ消えてしまってもおかしくなかった。
「あのね、本当はわたし、もっと前にアレクから離れるつもりだったんだ」
「……何で?」
「初めてあった日の夜のことを覚えてる?あの時にアレクが他人との別れを恐れていることに気が付いて、わたしと一緒にいたらまた別れを味わうことになるから、そうなる前にはなれるべきだと思ったんだよね」
「でも、離れてないじゃんか」
「ふふっ、そうだね。わたしはアレクと離れたくなくてね、できることなら最後の時まで一緒にいたかったんだ。本当に我儘だよね、またアレクを傷つけることになるというのに」
最後の時まで一緒にいたかったと言ってくれたことに対する嬉しさと、もう少しで消えてしまうという悲しさに挟まれて何も言うことができなかった。
目に涙が浮かび、視界が歪んでいく。
「そういえば、第一印象は最悪だったんだよ。傷を治したお礼も無いし、盗みで暮らしているなんて信じられなかったから」
「でもね、今は違うよ。アレクは繊細で優しくて子供っぽいくて、盗みをして暮らしているのも仕方がないことで、それに過去について話してくれなかったけど、それがどれだけ辛かったのか伝わったしね」
「でも、少しくらいは話してくれても良くない?一か月以上も一緒にいたんだよ」
ミナが透けた指先で頬を突いてきたが、その指先はアレクの身体をすり抜けていく。今のミナは触れることさえできず、ただ会話をすることしかできない。その事実せいでミナがより遠くに行ってしまったように感じられ、さらに苦しくなっていく。
「……ごめん」
辛い気持ちを押し込めながら口に出した言葉は、謝罪の一言だけだった。もっと話したいこと、伝えたいことがあったけれど、それを言葉にすることはできなかったから。
その謝罪の言葉を聞いたミナは少し頬を膨らまして、聞き分けの悪い子供を叱るような口調でアレクに対して怒ってくる。
「も―、わたしは会話をしたかっただけなんだよ、謝罪の言葉なんていらない。謝罪の言葉なんかより、もっとアレクのことを話してよ」
「だって……だって!今の俺の気持ちわかるだろ!そんなことを言う余裕なんて、少しも無い!何で先に逝く?なんて俺だけが生き残る?ずっと旅を続けたかった!ずっと一緒にいたかった!なぁ、頼むから……」
――――置いていかないで――――
最初からのうちは勢いがあったが、どんどん勢いがなくなっていき、最後の言葉なんてとても弱々しく、今にも消えてしまいそうになっていた。
これからはどうすれば良いのか少しも分からず、迷子の子供のように不安になっていた。一人で生きていくことができるのだろうか。
そんなアレクの言葉を聞いたミナは一瞬目を伏せ、そして、優しい声でアレクを諭していく。一瞬目を伏せたのはアレクを傷つけてしまった罪悪感があるのかもしれない。
「ごめんね……だけど、マリアさんのおかげで生きていく理由を見つけたんでしょ。だから、わたしがいなくても大丈夫、きっと生きていけるよ」
ミナの身体はもう限界だった。身体がかなり薄くなってしまっていて、遠くから見るとそこには誰もいないように見えるだろう。
そんな状況だから、アレクはミナに残されている時間がほとんど無いことなんて理解している。もう、いつ消えてしまってもおかしくはない。だから、覚悟を決めないといけなかった。
「……ああ、そうだな。俺は大丈夫だよ」
嘘をつく。
大丈夫のはずがない。ミナが消えた後も一人で生きていけるという自信が持てない。でも、ミナを不安にさせないためには大丈夫だと強がる必要があった。そんな嘘なんてミナは一瞬で気づいているだろうが、それでもしないといけないことだった。
「ふふっ、そうだね。後、これから経験していくことをわたしにも聞かせてよね。楽しみにしてるから」
「……ああ、わかったよ」
涙が溢れ、頬を濡らしていく。その涙は止まることがなく、どれだけ手で拭っても乾くことはない。
そんなアレクの様子を見たミナが優しく抱き着いてくた。
だけど、その感触は無くて身体を通り抜けていく。もうミナの身体は足の方から完全に消えていき、最後の言葉を伝えようとしてミナの口が耳元に寄せれた。
――――ありがとう、アレクと出会えて本当に良かった――――
その言葉が伝えられた後、ミナは完全に消えてこの世から離れていった。最後の瞬間までミナは笑っており、その人生に少しの未練は無いようだった。
だが、アレクは違う。また大切な人の命がこの手の平をすり抜けていくのをただ見ていることしかできず、新たな傷として心に刻まれてしまう。
「あ、あぁあぁぁぁぁっぁぁっぁぁ――――――」
ミナが消えるまで必死に耐えていた感情が決壊する。どうすれば良かったんだろうか、これからどうすればいいのだろうか。過去、現在、未来、そのすべてに希望は無く暗雲に包まれている。
アレクは今、泣き叫ぶことしかできなかった。