おまけ 脚本家と御曹司の夜
演劇×恋愛系ライトノベルです。
ファミレスやカフェで仕事をしていると、パソコンのタイピング音がやたらとうるさい人がいることにふと気付く。何を隠そう、私自身のことである。
会社で伝票を打つ時はそれほどでもないのだが、脚本だとどうしても熱が入るらしい。筆がノッている時ほど、無意識に指先をキーボードに叩きつけてしまう。
ということで、近頃はもっぱら自宅で脚本を書いている。
自宅とは貴博さんが独身だった頃から住んでいたこのマンションである。会社員としては通勤の便がものすごく良いこと、メゾネットタイプの「面白い」間取りを彼が気に入っていたことから私が転がり込む形になった。少々申し訳ない気もするが、彼からすればこれもウィンウィンなのだろう。
「深雪、ちょっと休んだら?」
顔を上げると、貴博さんが両手にコーヒーカップを持っていた。
「締切が近いのは分かるけど、そろそろキーボードが壊れるぞ」
「もしかしてうるさかった?」
「そんなことは……いや、うるさかったから一服しよう」
ノートパソコンを広げているダイニングテーブルの、ほぼ対角に二つともカップを置いて貴博さんが席に着く。確かにこの布陣では私が移動するのがベストだろうと、パソコンを放置して彼の隣に回り込んだ。
カップを手に取り、中身の温度を探っていると視線を感じた。
「何?」
「深雪って基本、人のいるところで書くよな。俺の物書きのイメージって、いわゆる缶詰だったんだけど」
「あー、私は適度に雑音とか人の目があった方が集中できるかな」
実家が店舗だったからだろうか。完全な静寂というものにはあまり馴染みがない。
したがって夕食後は、ソファでくつろぐ貴博さんを背にダイニングテーブルで執筆するのがルーティンとなりつつあった。
「やっぱり邪魔だよね?」
「そんなことはない」
彼は首を振るが、せっかくの大画面テレビが点いているところを全然見ないのは、こちらに気を使っているからではないだろうか。
「邪魔ならちゃんと引きこもるけど」
もちろん自室はあるのだ。思いのほか俗っぽいエンターテインメントを好きな彼が書庫の如く使っていた部屋が、その蔵書ごと私の書斎になっている。やはりこの結婚、私の方が絶対に得をしている。
「いや、むしろここにいてほしい。いくら見てても怒られないし」
「そんなに見てたの?」
反射的に尋ねると、貴博さんがくすくす笑い出した。
「ホントに集中してたんだな」
彼がカップを傾けたので、つられて私も口をつけた。インスタントには出せないすっきりとした苦みが口内に広がっていく。
「やっぱり脚本家は面白い」
「ホントに変わった趣味してるよね」
その趣味のおかげで、彼の方も新婚生活が楽しくて仕方がないらしい。私も仕事柄人間観察は時々するが、分かるような、分からないような……。
しばらく黙ってコーヒーを味わっていると、貴博さんがおずおずと口を開いた。
「なあ。その脚本、俺に手伝えることとかないの?」
「出演してくれるならいい役用意するよ? 舞台より映画の方がその顔使いやすいし」
「そうじゃなくて」
せっかく私の商業デビュー作への出演を打診しているというに、彼は渋い顔で溜め息をついた。
「まさか母親に先越されるとはな」
「いやいや、営業までしてくれるパトロンってよっぽど――あ、貴博さんは物好きだったっけ」
思いつくまま言葉にすると、彼は口を尖らせた。
実は今回の仕事は、文乃さんの知り合いから紹介されたものなのだ。
当然ながら営業ではなく、話の流れで脚本家の嫁のことを口にしただけのようだけど。考えてみれば歌舞伎役者の娘をお見合い相手に引っ張ってきた人である。その人脈作りのスキルが学べるものならば、今後のためにぜひとも学ばせてもらいたい。
「深雪がバリバリ書けるなら結果オーライだけど、パトロンに立候補した身として少しは脚本家業の役に立ちたいじゃないか」
一見わがまま御曹司のようでいて、こんな台詞もさらりと伝えてくるからこの男は面白い。
「貴博さんにできること……貴博さんにしかできないことがあるじゃない」
「何?」
私はコーヒーカップをテーブルに戻し、椅子ごと寄せて彼との距離を詰めてみた。
「私の癒し。目の保養」
間近でこの顔を拝めるのは妻の特権である。
「結局顔だけってか」
「そんなことは……あ、でも脚本家として稼げるようになったらパトロンは要らなくなるでしょう? 私が夢を叶える前に、目一杯惚れさせといた方がいいんじゃない?」
とうに惚れ込んでいるけれど。ちょっと意地悪して告げると、同じように悪意のこもった目と目が合った。
「分かった」
「え?」
唐突に私の肩に手を回して抱き寄せるから、彼に身を預ける格好となる。
「じゃあ今は、俺で癒されて?」
耳元でささやく声は破壊力抜群だった。身体がぞくりと反応しそうになって、慌てて突き放す。
「ちょっと!」
このままでは執筆どころではなくなってしまう。
「まだ仕事中だから。コーヒーブレイクだけだから!」
彼の隣を抜け出してパソコンの前に戻ると、イチャイチャしそこねた貴博さんがついてきた。背後から私の首に腕を回し、またしても耳元に顔を寄せる。
「大事な話忘れてたから、もう一つだけ」
「今? 大事な話なら後で――」
「深雪は子供って、欲しい?」
「……え?」
思わず振り返ろうとしたが、後ろから抱きしめられているので彼の表情は見えない。
「結婚のメリット語ってプロポーズした俺が何言ってんだって感じだけど。深雪の子供だったら欲しいかもしれないし、親に孫の顔を見せてあげたい……みたいな気持ちもないことはなくて」
「貴博さんって、なんだかんだできっちりお母様にしつけられてるよね」
自他共に認めるわがまま御曹司のくせに。
「悪かったな」
別に悪いことではない。親の愛情をしっかり受け取っているからこそ、彼は根っこが素直なのだ。そして今、わざわざこの体勢で切り出したのはどんな顔して話せばいいか分からなかったから――というのは穿ちすぎだろうか。
「で、深雪はどう思う?」
「……ごめん、考えたことなかった」
「だよな。忘れて」
「じゃなくて。これから考えるから、要らないって言ったわけじゃないから」
急に振られたらまずはびっくりするしかない。
とはいえ遠回しに探られるのも嫌だし、貴博さんが直球勝負する人間なのは分かっている。きっと私たちのコミュニケーションはこんなやり取りの繰り返しになるのだろう。
「何もこんな原稿に追われてる時に切り出さなくてもいいのに」
「深雪ってスイッチ切れると結構ポンコツだからさ、深雪の頭が働いてる時に話したかった」
「それは……」
貴博さんの言う通りかもしれない。
「なんかごめんね」
「いや、俺の方こそいつも急でごめん」
私を抱きしめる彼の腕に、ギュッと力がこもる。
「でも結婚して生活環境が変わっても、俺みたいなパトロンができて変なプレッシャーがかかっても、パソコン壊しそうな勢いで執筆してるから安心した」
だからぼちぼち子供の話もできる気がしたらしい。
「脚本に関しては学生の頃からもう十年以上? 舞台立て続けてるからね。結局は何があってもやめられないんだと思う」
といってたいした実績や名声があるわけでもなし、プレッシャーなど感じる必要もなく次の作品にのめり込んでいるだけなのだが、傍から見れば私も強心臓だったりするのだろうか。
「終わったらしような」
「うん?」
貴博さんが抱擁を解き、私の頭をポンポンする。ちらりとしか見えなかったが、彼は極上の笑顔を浮かべていたように思う。
「今夜って意味なら期待しないでね。実際のところ締切は結構やばいから」
「ここは照れないのかよ。本当にオンオフで反応変わるよな」
ぶつぶつ何か呟いているが、もうそれどころではなかった。パソコン画面の中では主人公が結末を待っている。
さて――。
「貴博さん、やっぱりこの映画出演しない? ラストでヒロインに新たな恋の予感だけ示唆するイケメンとか、どう?」
「……俺、あんたの夫なんだけど」
「だったね」
間近でこの顔を拝める特権を、手放してしまうのはあまりにもったいない。
「やっぱりやめとくか」
画面に向かったまま呟くと、耳慣れた溜め息が聞こえてきた。振り返らずとも彼の呆れたような、でもどこかまんざらでもなさそうな表情が目に浮かぶ。
今宵、貴博さんとイチャイチャできるかは私のタイピング速度に掛かっている。キーボードを壊すわけにはいかないが、そう簡単に壊れないことも分かっている。
「よし!」
カタカタと指先が奏でる音と共に、脚本家と御曹司の夜は更けていった。




