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2 舞台の上と裏側(1)

演劇×恋愛系ライトノベルです。

 稽古を進めて目に見えて良くなったのは、貴博さんの笑顔である。

 初めの頃、彼は常に勝ち気でふてぶてしい笑みを浮かべていた。それはそれで格好いいし、ヒロインを現実へ送り出す文脈では強がっているようにも見えるから、その顔さえあれば問題ないと思っていた。

 けれども、役作りを始めた彼がもっと柔らかい微笑みも見せるようになったことで、序盤のひたすら彼女を甘やかす都合のいい男が思いのほかハマったのだ。

 奈央子はもう舞台の上でメロメロになっていた。

 客席の――といってもスタッフ数名分の椅子しか出ていないが――ど真ん中に陣取る私がシーン終わりのクラップを鳴らす。しかしその後も主人公に感情移入した彼女は、とろけるような瞳でイケメンを見つめている。

「無理です、無理です。私、ヒロくんを置いて現実になんて戻れません」

 土足上等の板張りの床に、直接どさりと座り込んだ美女は、ブルブルと激しく首を振った。

 対して貴博さんは切り替えが早く、クラップが鳴る度に「ヒロくん」はいなくなる。ほんの数秒前に奈央子の手を取って笑いかけていたはずの男が、次の瞬間には鋭い目つきで彼女のことを睨んでいる。

「は? 何言ってんの?」

 愛想はゼロでも、立ち姿はきれいなのが憎らしい。いや、演出家としては大歓迎なのだけど。

 稽古を重ねるにつれ、貴博さんも動きやすいティーシャツなどを着てくるようになったが、他の男たちに比べて彼一人だけがシュッとしている。きっと演劇系男子が絶妙にダサい安物を稽古着に選びがちなので、余計にそう思うのだろう。

「だってそんなふうに優しくされたら、もういいやってなっちゃうじゃないですか」

 ふらふらと立ち上がった奈央子は、演技でそうしていた時のように、彼の腕を取って自身の腕と絡ませようとしていた。彼が迷惑そうに振り払ってもお構いなしである。

「理想のイケメンがここにいるんですから」

「……あんた、ユメの思考回路分かってる?」

 貴博さんのトゲのある声音にヒヤリとする。それでも二人が脚本の話を続けていることに、今度は一人でホッとする。

「書きたい、書けない。その自己嫌悪の中で、ちょっと優しくされたくらいで現実逃避する女じゃないだろう。だからこそヒロはこの後、ユメを振り向かせようとするんじゃないのか?」

 どうやら彼は理詰めで役作りをするタイプらしい。ものすごく頭のいい人だということが、言葉の端々から感じ取れる。

「それはそうですなんけど」

 奈央子が駄々をこねるようにこちらへ訴えた。

「ねえ、深雪さん?」

「こんなイケメンに微笑まれたら、ときめいちゃうもんねえ」

 遠慮を知らぬままベタベタする彼女へのもやもやを押し殺し、適当に話を合わせたら彼は更に眉間にしわを寄せた。

「深雪はそれでいいのか?」

「うん?」

「ウチの看板女優って奴が、こんなガバガバでいいのか?」

「……うーん、そういうことでもないんだけど」

 貴博さんの目には、今の奈央子は「ちょっと可愛いだけでちやほやされ、何をやっても許されるアイドル女優」のように映っているかもしれない。確かに若干の腫れ物扱いは否めないが、それは彼女を自由にさせた方がいいと分かっているからだ。

「たぶん奈央子と貴博さんって、役作りへのアプローチが真逆なんだよね」

「え?」

「だから二人とも間違ってはいないというか……」

 私の所見でしかないけれど、奈央子は稽古の中で感じたものからヒロイン像を構築しようとしている。それなりに場数を踏んで必要な表現力を身に着けている彼女にとって、必要なのはよりリアルな感情だ。

 対して貴博さんは、脚本から読み取ったヒーロー像をどう表現すべきか模索している。経験の足りない彼が技術的なところで考え込むのは至極当然であるが、それ以前に自力で脚本解釈を深められているのが驚きだった。

「深雪」

 ポンと私の肩を叩いたのは勇也さんだ。そのまま腕を引き、舞台上の二人から距離を取る。

 ついてこようとした貴博さんを奈央子が引き留めたのは、変な独占欲ではなく演出と舞台監督が密談できるように――だったらありがたいが、あの顔でそこまで察せているとは思えない。

「遠慮してないで、貴博くんに頼んでみたら?」

「……はい?」

 勇也さんは私の考えていたことをズバリ突いてきた。

「やる気みたいだし理解力も半端ないし、ちゃんと説明すれば分かってくれるんじゃない?」

「でも」

「実際問題彼の方が器用だし、きっと役作りにも使えるよ」

「それは分かるけど」

 改めて稽古場を俯瞰する。

 部屋の隅っこに――単純にコンセントの近くに――構えるのが基本の音響班だけでなく、前のめりで稽古を見ることが多い照明班も、近頃は壁際に縮こまっている。美術班に至っては、いつになく自分たちの作業に勤しんでいる。

 それもこれも、ヒーローとヒロインの間に流れる空気感のせいだった。

 貴博さんがヒロであろうとするのは舞台の上、クラップとクラップの間だけで、劇団員もびっくりの切り替えの早さである。一方の奈央子は自分の中のユメを見い出し、入り込み、常にユメであろうとしている。これまた極端に役が抜けないタイプだろう。

 つまり二人は、役者としてかなり相性が悪いのだ。

 現状を打開しようと考えた時、稽古中だけでも貴博さんにはもう少し丸くなってもらえるとありがたい……なんて、本当にお願いしてもいいものだろうか。

「舞台に立ってるだけでいいって言ったのに」

 切り替えの利かない奈央子のせいで、貴博さんに演技をしていない時までヒロであることを求めるのは、さすがにどうかと思ってしまう。

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