9 真意を知りたい(3)
演劇×恋愛系ライトノベルです。
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貴晴くんから模試の結果が届いたと聞き、いそいそと篠目邸へ足を運ぶ。
家庭教師をするうちに、この家は私にとっても勝手知ったる場所となってきていた。夏の盛りに入り、ラフなティーシャツスタイルさえ気にしなくなっている。
インターフォンを押したら案内を待たずに通用口へ進み、玄関で文乃さんに挨拶したらまっすぐに貴晴くんの部屋に向かう。
今日の彼は、少々緊張した面持ちだった。
「どうだった?」
「まだ見てない。なんかちょっと怖くて」
「いいことじゃない」
結果が怖いということは、それだけ頑張った証だ。以前の彼なら、どんなに悪くても「こんなもの」と思っていただろう。
「じゃあ、いくよ」
貴晴くんがスマホを掲げつつこちらに寄ってきたので、私も一緒に覗き込んだ。
画面が白く光った後、ちょっと懐かしさを感じる図表の形式で数値が並んでいく。学力テストの結果など何年ぶりに見るだろう。
「ウソ……」
呟いたのは彼の方。現状はまだ、合格ラインには遠く及ばない。
大丈夫、ちょっと勉強しただけで急にA判定が取れるわけじゃないんだから。と、声を掛けようとして彼が笑みをこぼしていることに気が付いた。
「こんな点数初めて取った」
……ああ、そうくるか。
もともと成績が揮わなかった貴晴くんの伸びしろは大きい。上手くやる気にさせたことで点数自体はすぐに上向いたわけだが、きっと大変なのはここからだ。
とはいえ、今は素直に喜んだっていいだろう。初めてプレッシャーを感じたらしいこの模試で、勉強した分がそのまま点数に反映されたのだから彼の本番力も褒めてあげたい。
「やったじゃん」
スマホを持っていない彼の左手に右手を合わせ、小さくハイタッチをした。
「あ、お母さんにも報告する?」
「うん」
一度素直に頷いてから、貴晴くんは反抗期がぶり返したように「いや、でも」としり込みしてみせる。
「いいよ。後で」
やっぱり兄貴よりずっと可愛いな。と、つい余計なことを考えてから彼の背中を押してやる。
「授業を始めたらもう次に意識を向けないといけないから、喜べるのは今だけだよ」
「えー」
「ほら、行っとこう」
文乃さんの姿を探すと、彼女は応接室にいた。
来客中なら仕方ない。後にしようかと貴晴くんに告げようとした時、彼がうっすらと開けた襖の隙間から中の様子が目に映る。
そこにいたのは藤宮麗さんだった。
「え?」
「……深雪先生?」
気になった途端、また考えなしの行動が炸裂してしまった。
戸惑う貴晴くんを押しのけるようにして襖に手をかけ、一気に開いた。中にいた二人の視線が同時にこちらに突き刺さる。
「深雪さん?」
一瞬キョトンとしたものの、麗さんはちょうどいいわと言わんばかりの勝ち気な笑みを浮かべた。
「いらしてたの?」
「ええ、まあ」
曖昧に頷くと、私が篠目家で家庭教師をしている事情を文乃さんがわざわざ説明し始めた。
東大卒で、面倒見が良くて、手を焼いていた下の子も先生のことをすごく信頼しているのよ――と言い訳がましく伝えている。
ああ、そうか。麗さんは文乃さんが連れてきたお見合い相手だから、自称婚約者の私が家にいたらまずいのだ。近頃は家庭教師として認められつつあったから、自分の立場を忘れるところだった。
「へえ。まだこんなところをうろちょろしていたわけね」
しかし麗さんは余裕の表情を崩さない。初めて会ったらしい貴晴くんにも笑顔で挨拶していた。
「私、文乃さんにお話があって来たのだけど、良かったらあなたたちも聞いてくださる?」
返事を待たずに文乃さんの方へ視線を戻すと、一音一音はっきりと、聞こえよがしに言い放った。
「貴博さんの子供を妊娠しました」
「……はい?」
理解できずに聞き返すと、彼女はもう一度全く同じ台詞を繰り返した。
「貴博さんの子供を妊娠しました」
そんな馬鹿なことはない。
信じられなかったのは私だけではなく、文乃さんもまた同じくらい驚いて言葉を失っていた。
そんな中、真っ先に声を上げたのは私の隣にいた貴晴くんだった。
「マジ!?」
彼の口調に合わせて、麗さんが「マジよ」と答える。
「いきなりこんな話を聞かせてしまってごめんなさい」
「いや、俺は全然いいけど」
と言いながら私の方を見る。
「深雪先生、ドンマイ」
いやいや。
貴晴くんは知らないだろうが、あの男は結構な恋愛下手で、そういうことにも淡白だった。妊娠が発覚するということは少なくとも……二ヶ月前とか? つまりは私が家庭教師を始めた頃には関係があったことになる。断じてあり得ない。
と、この場で私が反論できるわけもない。
否定的に捉えたこちらと違い、文乃さんの表情には期待がこもっていた。
「ホントに?」
恐る恐る尋ねた彼女に麗さんがコックリ頷けば、もう笑みがこぼれている。
「だとしたらきちんと籍を入れなければ、ね。結婚式の日取りも早めに決めないと」
ぼそぼそした彼女の呟きに、麗さんがニコニコと相槌を重ねていた。そしてそんな二人を前にして、私は途方に暮れていた。
いったいどうすれば……?
「あーあー」
隣から間延びした声が聞こえて、ハッとした。
「模試の成績どころじゃなくなっちゃったな」
貴晴くんの言葉で、我々が何をするためにここへ来たのか思い出す。
「深雪先生、どうするの?」
「そっか、ごめん。授業に戻らないとね」
「じゃなくてさ。兄ちゃんと結婚できなくなるのに、俺の家庭教師やってる意味ないでしょ?」
この子はまだそんなことを言っているのか。
「それとこれとは別でしょう。仕事として引き受けたんだから、君のことはちゃんと最後まで面倒見るよ」
「へえ、最後まで」
貴晴くんがふてぶてしい笑みを浮かべ、小首を傾げる。ちょっぴり彼の兄を思わせる仕草だった。
「じゃあ俺が結婚してあげようか?」
「へ?」
「俺とだって、玉の輿には違いないよ」
この子は何を――。
「貴晴!」
ひときわ大きく、鋭い声だった。
その場にいた人間を瞬時に黙らせる一喝と共に貴博さんが現れる。
表に続く縁側を渡って入ってきた彼は、麗さんのことなど見向きもせずにソファの脇を横切り、部屋の奥にちょこんと立っていた私と貴晴くんの間に割って入った。
「人の女を口説くな」
弟を睨む横顔は、これまで見たどんな貴博さんよりも美しかった。その圧倒的な存在感でこの場にいる皆の視線を一気に引きつける。
……ああ、やっぱり格好いい。
どう考えてもそれどころじゃない状況なのに、前方をひたと見据える形の良い目に私は思わず見惚れてしまった。会えると分かっていればもっとちゃんとした格好をしてきたのに、なんて今日のラフな服装を密かに後悔していた。初めて彼と出会った時から全く学習していない。
静寂を破ったのは貴晴くんだ。
「いや、冗談に決まってるでしょ」
彼は圧など飄々と受け流す。




