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9 真意を知りたい(1)

演劇×恋愛系ライトノベルです。

 暗黙の了解のように距離を置いていたはずの貴博さんが職場に現れた。

 以前の反省を活かし、昼休みに経理部を離れたところで捕まえにきたことは不幸中の幸いだったが、それでもイケメンの副社長はよく目立つ。

「深雪、今時間ある?」

「……」

 いや、単に私の視線が彼に引きつけられているだけかもしれない。格好いいってホントにずるい。

「忙しいなら――」

「この会社で私があなたより忙しいなんてこと、あるわけないでしょ」

「確かに」

 皮肉に納得しないでほしい。

 ランチに誘われたのでせめてもの抵抗のようにラーメン屋をリクエストした。女一人ではちょっと敷居の高い、味も量もガッツリした店のカウンターに御曹司を座らせる。

 文脈がなくなると貴博さんもスーツ姿のお兄さんでしかない。そのスーツの高級感にこの場で気付ける人間はそういないし、抜群のスタイルの良さも狭い店内でガタイのいいお兄さん方の中に紛れると少々華奢に見える。

「こうして見るとただの会社員だね」

 食券式のオーダーに手間取っていたところからは上流階級がにじみ出ていたが、それでも焦ることなく堂々と振る舞っていたので目を瞑ってあげよう。

「いや、俺だって今のところは会社員みたいなものだからな」

 みたいなもの、と自称する辺りやはり副社長なのだろうが、ただの同僚でもおかしくない距離感で私たちはラーメンをすする。

 うん、普通に美味しい。今日はどちらかといえば自分の土俵にいるのだし、変に緊張することもない。アツアツの麺を伸びる前にいただきたい料理のためしばらくは黙々と食べ進めていたが、やがて彼がぼそりと尋ねた。

「貴晴の家庭教師をやるって、ホント?」

「……何で知ってるの?」

「本人から聞いた」

 話したのは母親ではなく弟だそう。確かに文乃さんの口からは、私のことは話題にしづらい気がする。

「何がどうしてそうなったんだ?」

「奈央子が私の学歴を文乃さんにアピールしたら、向こうからお願いしますって感じに」

「できるの?」

 貴博さんの視線が思いのほか険しかったので、こちらもちょっと強気に出てみた。

「これでも私、東大卒なんで」

「知ってる」

「そうなの?」

 どうやら篠目社長が私を呼び出す際に行った内偵調査の流れで、彼も私の経歴は目にしていたらしい。脚本家にとって学歴は不要とまでは言わないが、正直あってもなくても困らないものなので、これまで話題に上ることはなかった。

「劇団カフェオレも地味に高学歴集団ってことだよな。学生時代の伝手で人を集めると大概偏差値が偏る」

「そんなこと……」

 反射的に謙遜しかけたところで、確かに勇也さんも大学の先輩だし、奈央子も世間的にはお嬢様学校とされている女子大の出身だと思い至る。

「だから『できるの?』ってのは、キャパシティの問題。新作はどうするんだよ?」

 学歴の件はさらりと流して貴博さんが話を戻す。

 この男はたとえ婚約を破棄したとしてもパトロンの座を諦めるつもりはないらしい。そんなことを考える前に、私を奪いにきてはくれないのかと溜め息をつきたくなる。

 しかしこちらもそう簡単に素直にはなれないので、新作の話題に乗っかっていた。

「舞台脚本はリクエストがあったから、実はボチボチ書き始めてる。で、今回は演出は他の人に任せてみようかなと。脚本家と演出家が違うのも、そんなに珍しいことではないからね」

 そもそも既成脚本を使えば百パーセントそうなるのだ。極端な例を挙げるなら『ロミオとジュリエット』の演出を誰もシェイクスピアには頼めないということである。

「映像作品については、勇也さんと相談中」

 編集と配信の勉強がてら、舞台のアーカイブ配信を試みることを提案された時は戸惑ったが、案自体は悪くない。これまた少しずつ取り掛かり始めている。

 そうだ、貴博さんと疎遠になっていたのは単純に忙しいからでもあったのだ。

「過去の作品を見返すことで自分の強みとか書きたいものとか改めて考えようかな……っていうと自分探し中みたいでちょっと恥ずかしいけど、きっと創作やってる人間なら通る道だよね」

「……それ、何で勇也とやってるの?」

「だって勇也さんの発案だし、映像持ってるのも勇也さんだし」

 貴博さんが信じられないという目を向けてくる。

「あ、密室で二人きりとかではないよ。大量のメールでファイルと文章のやりとりしてるだけ」

 第一、リアルタイムでは間が持たない。私が自分の考えを正しく言葉に落とし込むのに結構な時間を要することは、貴博さんももう分かっているはずだ。

「深雪さ、俺のこと恋愛に向いてないとか散々こき下ろしてたけど、あんたも他人のこと言えないよな」

「へ?」

「そういう女に惚れた俺が悪いんだろうけど」

 とうに丼を空にしていた彼は、箸を置いて立ち上がる。

「ちょっと待って」

 慌てて後を追うと、店を出たところで彼は立ち止まり、私を見下ろした。

「家庭教師は構わないけど、間違っても貴晴には惚れるなよ」

「はい?」

「だってあいつ、深雪好みのイケメンだろ?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。兄と同じ顔立ちなのに、そのことに全く気付かなかったのだ。

「ああ、確かに!」

 とはいえ相手は二十歳の男の子である。街中で貴晴くんを見かけたとしても、役者にスカウトはしなかっただろう。ヒロのイメージに合わない。

「安心して。大事な弟に手を出したりしないから」

「そういうことじゃないんだよ」

 貴博さんが呆れたように首を振り、歩き出す。私も何一つ言葉が浮かばずに、黙ったまま後に続く。

 彼も私もお互いのことが好きなのに、現状はできるだけそこには触れないようにしている。随分とややこしい関係になってしまったと心の中で嘆きながら、私は奈央子の言葉を思い出した。

 ――お母様と仲良くなれる絶好のチャンスじゃないですか。

 文乃さんに認めてもらえたら、卑屈ばかりの自分でも愛を叫べるだろうか。やっぱり結婚したい、愛し愛されたいと、彼に伝えることができるだろうか。


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