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1 理想のイケメン、現る(3)

演劇×恋愛系ライトノベルです。

   *


「本当にキスしちゃってもいいですよ。減るもんじゃないんだし」

 芝居をやっていると一度は耳にするフレーズを、奈央子が臆面もなく口にする。殊勝な心掛けではあるが、問題は相手を思い切り煽っていることだ。

 舞台上で、汎用性の高い箱型の椅子に腰掛けて、勝ち気な笑みを浮かべて貴博さんを見上げている。二人とも照れたら負けだとばかりに見つめ合っているので、彼が手を出す前に私が止めに入らなければならなかった。

「何ムキになってるの?」

 実際に稽古が始まると、段々と敬語を使う余裕はなくなってくる。芸能界で年齢より芸歴が優先されるのは、こういうところから来ているに違いない。

「ふりでいいわ。映画みたいに大写しでばっちり見えるわけじゃないんだから」

「でも」

「気持ちが入って本当にしたくなったら、その時また考えればいい。ここは今まで聞き役に徹していたヒロが、初めて自分の意思で動き出すところなの。その気持ちの変化の方が大事なの。やる気があるなら動きよりもそういうところを作り込んでほしいんだけど」

 分かってやっていた奈央子は、少し反抗的な表情を残しながらも素直に頷く。対して貴博さんは反応らしい反応を見せなかった。

「聞いてる?」

「あ、ああ、もちろん。聞いた上でちょっと考えてた」

「何を?」

「ヒロが何を考えているのか、かな」

 ならば構わない。

「これから二ヶ月近く、それしか考えられない日々が続くからね」

「え?」

「本気でヒロを演じてたらそうなるって話。仕事してる時もデートしてる時も、自分がヒロならどうするかって考え始めたら役者を名乗ってもいいかな」

 その特殊な設定上、仕事をしている時というのは考えにくいかもしれないが。

「ちょっと待ってください。貴博さん、彼女いるんですか? 深雪さん、それ知ってるんですか?」

 奈央子の問いに、私と貴博さんはほぼ同時に答えていた。

 私は「そりゃいるでしょう」と。

 彼は「いるわけないだろう」と。

 そして変な間が生まれる。

「もしかして、あの後完全に振られちゃったの?」

「そこ勘違いしたままだったな。俺はあの時、振られたんじゃなくて振ったんだ。で、あの女がキレて……まあ、ああなった」

 そうだったのか。

 確かに彼は、彼女のことを追いかけようとはしなかった。思い返せば「仕込み?」というのも、振られた直後にしては変な質問である。

「ついでに言うと彼女でもない。とうにお断りしたはずのお見合い相手」

「え!?」

 今度は私と奈央子が同時に驚嘆の声を上げ、奈央子はわざわざ両手でタイムのTの字まで作って叫んだ。

「貴博さん、ちょっと飲みに行きましょう!」

 というわけで、稽古終わりに三人で晩ご飯をいただくことになった。


 劇団カフェオレ御用達の近くの居酒屋へ行けばいいところ、奈央子はわざわざ足を延ばしてスペイン系のこじゃれた飲み屋を選んだ。黒のパーテーションできっちり区切られたテーブル席で、三人でパエリアを食べている状況がよく分からない。

 彼女が迷わず彼の隣に座ったので、私は彼女の向かいに腰を下ろしてこの会の行く末を見守っている。

「貴博さん、お見合いとかするんですか?」

「断ったって話したろ」

「その現場に深雪さんが居合わせたわけですか?」

 彼が答えずにいると、奈央子の視線がこちらに向かう。もちろん私もだんまりを決め込む。

「えー、教えてくださいよ。どうなったんですか?」

「どうなったっていいだろう」

「……まあ、確かに? 深雪さんがこの顔に一目惚れしたことだけは分かってますしね。ホントにイケメン」

 相変わらず遠慮なく距離を詰める奈央子を、貴博さんがものすごく面倒くさそうにあしらっている。よく一緒に食事する気になってくれたものだ。

「でも、深雪さんはキャストに欲しいだけですよね。恋愛対象とかではないでしょう?」

「え?」

 あからさまな牽制だった。奈央子は完全に貴博さんをロックオンしたらしい。

「……まあ、そうだね」

 実は、彼女が共演者に惚れ込むことは珍しくない。

 もともと演劇の稽古期間は常に一緒にいるものだし、苦労を共にするので吊り橋効果が生まれやすい。そして彼女の場合、気持ちの浮き沈みが演技に直結することもまた珍しくないので、できるだけ刺激しないように見守るのが最善だったりする。

「深雪」

「え? あ、はい」

 今度は貴博さんに呼ばれた。

「こういう時、俺は黙って聞いていればいいわけ?」

「へ?」

「だから、俺がヒロだったら黙ってニコニコしていればいいんだろう?」

「ああ、そうだね」

 ニコニコからは程遠いが、お見合い相手を激高させるような男である。もしかしたら既に相当譲歩しているのかもしれない。

「貴博さん、知ってます? 深雪さんってアドリブ嫌いで有名なんですよ」

「うん?」

「演劇って生ものだから、トラブル対応とかとっさの判断みたいなイメージがよくあるじゃないですか。深雪さんはあれが嫌いなんです」

 奈央子が私をダシに語り始めた。だいぶお酒が回ってきたようだ。

「私とか勇也さんはその場の空気でお芝居するのも好きなんですけど、やっぱり脚本家は台詞が命だと思っているみたいです」

「そんなことないよ。稽古場ではいろいろ試してみてもいいって、いつも言ってるでしょう」

 ただ、私は練習で積み重ねたものを大事にしたいのだ。だから本番でいきなりアドリブを放り込むようなやり方は好きではない。

「練習通りに本番を迎えられたら、それが一番だとは思っているかな」

「ほら。貴博さんも気を付けてください。舞台に立ったら演出は絶対ですからね」

「へえ」

 彼の笑顔はどちらかというとニコニコではなくニヤニヤだったけれど、目の前の二人は私が求めていた構図に近かった。この会で二人の距離が縮まったのなら、それは喜ばしいことだろう。

 隣り合う二人の姿に私が悶々とするなんて、そんなのきっと間違っている。

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