8 お近づきミッション(3)
演劇×恋愛系ライトノベルです。
「文乃さんも。私が勝手に誘ったので、私のおごりです」
知らない態とはいえ、社長夫人にまですごいことを言う。
「大丈夫、自分で払うわ」
そう答えてひとまずカップを手にした文乃さんは、私よりは落ち着いてきたらしい。コーヒーを一口含んでから、自ら会話の口火を切る。
「さっきの話だけど、無責任なことを言ってごめんなさい」
「え?」
「越智さんには、息子のことは諦めてもらわないといけないから」
ぴしゃりと断じる文乃さんといよいよ恐縮する私を見て、奈央子はようやく合点がいったかのように頷いた。
「そういうことですか!」
どうしても白々しいと思ってしまうのだけど、向かい側に座る文乃さんは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。彼女の持論が本心であると同時に、愛想を使いこなす奈央子に好印象を抱いていたことが伺える。
アドリブにも定評のある後輩女優が、更に揺さぶりをかけていく。
「文乃さん、貴博さんのお母さんだったんですね」
「ええ。……あなたも息子のこと、知ってるの?」
「もちろんです。彼の舞台を拝見しました」
当初は同じ舞台に立つ予定だったわけだが、そこは黙っておくようだ。今更役者だなんて告げたりしたら、一気に胡散臭く思われそうだからその判断はきっと正しい。
「まさかあの子がお芝居なんて」
「でも、格好良かったですよ」
不意に掛け値なしの本音が飛び出し、私も無意識のうちに首肯していた。
そうだ、貴博さんは格好いいのだ。文乃さんまで「そうなの?」と、まんざらでもなさそうな顔になる。
「あの公演の後、貴博さんがプロポーズしたんですよね?」
「あ、えっと……うん」
急に振られてぎこちない動作で頷くと、隣から更なる視線を感じた。このアドリブ音痴に、何か言えということだろうか。
「でも、あの……」
気の利いた台詞が出てこないまま口をパクパクさせていると、見切ったように次の台詞が飛んでくる。
「もしかして、私が余計なことをしてしまったんですかね?」
「へ?」
「二人がお似合いだと思ったから、私が深雪さんをせっついたんです」
その表情が次第に曇り、奈央子は私の色恋沙汰に首を突っ込むまでの経緯をぽつぽつと話し始めた。だいぶ美化されているような気がしたが、真実を知らない文乃さんにとっては彼女の口から語られたことが全てである。
おまけに奈央子の演技力を知らなければ、コロッと騙されてしまうような自然な感情のグラデーションが目の前で繰り広げられていた。
「やっぱり結婚はできないって深雪さんが諦めようとした時も、そんなことないって私が説得したんです。私、貴博さんの立場のことは全然分かってなかったから」
そして彼女は勢いよく頭を下げた。
「だから、深雪さんは悪くないんです」
文乃さんが困った様子で奈央子を見つめている。
「私が勝手にお節介を焼いて、話を余計にややこしくしてしまいました。ごめんなさい」
虚実入り交じった告白と謝罪に、こちらまで狼狽えてしまった。
確かに後輩に背中を押された部分も大きいが、この子は確信犯だった。玉の輿だとかパトロンで何が悪いとかうそぶいていたくせに。お節介の方向性が今までと随分違うではないかと、文乃さんがいなければ突っ込んでいたことだろう。
「でも、お二人が愛し合っているんだってことだけは、どうか信じてあげてください」
うわ……。
私自身が一番不安に思っていたところを、奈央子はいとも簡単に言葉にしてしまう。しかもその台詞は、どうやら文乃さんにも響いているようだった。
「分かってるわよ、そんなこと」
「……え?」
「越智さんが、その……お金目当てとかではないってことくらいは」
少々バツが悪そうに告げると、それを誤魔化すように文乃さんはケーキの皿に手を伸ばした。
一口パクリと呑み込み、フッと溜め息を漏らす。
「だって貴博って、ものすごく頭が良くてものすごく我の強い子だもの。打算だけで近づいてくる貧相な女には、きっと手に負えなくなるわ」
「確かに」
思わず呟くと、彼女は苦笑した。
「だからもっとおおらかで育ちのいいお嬢さんとお見合いさせたつもりだったんだけど、あれはダメね。お互いのワガママがぶつかっちゃって」
そして最後に毛色の違う歌舞伎役者の娘を連れてきた。彼女の試行錯誤が伺える。
「ねえ、深雪さん」
「は、はい」
呼称が名字から名前に変わっていたことにハッとして、改めて居住まいを正す。
「以前お会いした時は失礼な物言いをしてしまったけれど、私だってあなたが貴博のお友達なら大歓迎なのよ。息子も夫も口を揃えて『面白い』というのだから、本当に面白い人なんでしょう」
文乃さんの口から、初めて肯定的な評価をいただいた。それは息子と夫に対する信頼でもあるらしい。
「でも、結婚には反対だから」
「……どうしてですか?」
「だってもう、跡取り問題はこりごりなの」
ぽつりとこぼした言葉に、隣で奈央子が唸っていた。
「ああ、脚本家を目指す深雪さんに家庭に入る的な感覚はないですからね。貴博さんもあの調子だから結婚しても子供はいいやとなりかねないし、母親としては『お見合いをセッティングしてきた意味は』ってことなんでしょう」
「奈央子さんもそう思う?」
文乃さんは同意を求めるように問うたが、そもそも私のために相手の懐に飛び込んでいる後輩は首を捻ってみせる。
「さすがにそこは結婚してみないと分からないんじゃないですか? 子供は授かりものだとも聞きますし」
「そうだけど」
「私が言えるのは、深雪さんは貴博さんにベタ惚れだってことくらいですよ」
意味ありげに動く奈央子の視線に、こちらはまたドギマギして俯いてしまう。
「貴博さんの考えていることは公演以来会っていない私には分かりかねますが、あの人が先輩をもてあそぶようなことはありませんよね?」
「と、当然でしょう」
ちょっと突っ走るところはあるけど。と、気付けば文乃さんが息子のフォローに回る。篠目家の嫁に相応しいかという問題はさておき、彼女の私に対する負の感情は奈央子が上手いこと拭い去ってしまっていた。
「じゃあ、私たちはもうお友達ですね。私、深雪さんの話でしか篠目家のことは知らないので、今度はお家にお邪魔してみたいものです」
図々しくもニッコリ笑う奈央子に気後れはしていたものの、文乃さんは彼女の言葉を否定しなかった。そしてチェーン店の庶民的なコーヒーを当たり前のように飲み干し、お茶代の割り勘にも存外普通に対応していたのだった。




