8 お近づきミッション(2)
演劇×恋愛系ライトノベルです。
最近プロポーズされた「先輩」の背中を押すためにここに来たことは、早々に明かしていた。どんな言葉が飛び出すかと冷や冷やしながらも、舞台度胸の足りない私は陰で見守ることしかできない。
「先輩の腰が引けてたので、代わりに私が着てみたんです」
「あら、そうなの」
さすがはウチの看板女優。するりと相手の懐に潜り込み、この不可思議な状況もあっさり呑み込ませてしまった。
気付けば自然な成り行きで隣に腰を下ろしていて、早くも彼女の独壇場である。
「だけどそのドレス、あなたが着てしまって良かったの? ほら、結婚前にウェディングドレスを着ると婚期を逃すっていうじゃない」
「そうなんですか!? 初めて聞きました」
奈央子が驚きの声を上げる。
この距離では彼女の反応が演技なのか本当に知らなかったのか判断がつかないが、どちらにしろ古い迷信に動揺するような子ではない。案の定けろりとしている。
「まあ、少しくらい婚期が遅れたところで私は大丈夫です。本当に好きな人と巡りあえたら、それだけで」
「ダメよ!」
強い口調で釘を刺してから、文乃さんは相手が見ず知らずの女性であることに思い至ったらしい。少々言葉を選びながら、それでも「結婚するなら早いに越したことはない」と持論を語っていた。
「だって……子供が欲しいと思ったら、のんびりしてはいられないでしょう?」
「子供ですか?」
「あなたの年ではピンと来ないかもしれないけれど、ちゃんと考えておいた方がいいことよ」
「言われてみれば、そうですねえ」
ただでさえ外面のいい奈央子が乗り気で相槌を打っているからか、文乃さんの舌は滑らかによく動く。
彼女は「失敗例」として自身の兄の話を始めた。
その人は一言でいえば生真面目なワーカホリックで、特に若い頃は目の前のことに突っ走る傾向にあったという。その後いい年になってから結婚はしたものの、子宝には恵まれなかったらしい。
「だけど、子供は諦めるといって『はい、そうですか』とはならないのよ。兄は跡取り息子だったし」
ならば結婚そのものも外圧によるところが大きかったのではないかと、勝手な想像が膨らむ。何せ篠目社長の妻の実家だ。彼女自身からも育ちの良さはにじみ出ているし、由緒正しき家柄なのは間違いない。
「で、どうなったんですか?」
奈央子が先を促すと、文乃さんは顔をしかめた。
「養子を取ることになったわ」
それで丸く収まったのなら「失敗」というほどでもない気もするが……そう感じるのは、跡取りなど考えたこともない庶民の感覚なのだろうか。
「ホントに困った人だったわ」
険しい表情を崩すことなく、彼女は呟くように告げていた。
……なるほど。
つまり文乃さんは、結婚にまるで興味を示さない息子が兄の二の舞となることを恐れてお見合いをセッティングしていたのだ。
晩婚が全ての元凶ではないだろうが、一度気になってしまうと不安というのはなかなか拭えない。それに貴博さんの少々強引に突っ走る気質は見るからに母方の系譜だから、つい重ねてしまうことも理解はできる。
「だからやっぱり、結婚するなら早いに越したことはないのよ」
文乃さんは最後に持論を繰り返すことで強調し、話を終えた。
「その先輩にも、いい人がいるなら今を逃してはダメだとしっかり伝えてあげて」
「……分かりました。ちょっと待っててくださいね」
奈央子は鷹揚に頷くと、こちらへ戻ってきた。
「だそうです、深雪さん」
「え?」
すかさず私の手を取り、踵を返す。そして文乃さんの前に引っ立てると、ポンと私の肩に手を置いた。
「すいません。今の言葉、ぜひ先輩にもお願いします」
初めはつい俯いてしまったが、何も言われないので恐る恐る顔を上げる。目の前に連れてこられた「先輩」を見た文乃さんは、これでもかというほど目を丸くしていた。
具体的な挙式の予定もないのにウェディングの専門店に居座るのは甚だ迷惑だ。という至極当然の理屈で、奈央子は私たちを近くの喫茶店まで連れ出した。
私たち、つまり私と同じように動揺して固まっていた文乃さんを巻き込むため、背後から急き立てるような形で店まで誘導し、自動ドアが開くと同時に現れたスタッフの力も借りて、あっという間に席に着く。
ここまでは彼女の話術というより度胸の賜物だろう。気付けばチェーン店のギュッと詰まったテーブル席の並びに、どうにも不釣り合いなご婦人が座っている。座面に合皮を張った木製の椅子はクッション性が皆無で、今の我々の居心地の悪さをそのまま表しているように思えた。
何も知らない態のまま、奈央子は三人分のコーヒーと季節柄オススメらしいイチゴのミルフィーユを注文し、改めて自己紹介を始めた。彼女に促され、我々も形ばかり自分の名前を口にする。
――茶番だ。
と、思っているのに流れに逆らうことができない。
すぐにコーヒーとケーキが運ばれてきたが、手は付けられなかった。代わりに奈央子が隣で目一杯はしゃいでみせる。
「深雪さん、食べないんですか?」
「いや……」
言葉に詰まり、目の前の黒い液体をじっと見つめる。一杯百五十円ほどの安いコーヒーでも、香りだけは悪くない。
「どうかしました?」
無邪気に小首を傾げる奈央子の仕草に、私は少々呆気にとられた。全て分かっているくせによくそんな顔ができたものだ。




