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6 勝手な未来予想図(1)

演劇×恋愛系ライトノベルです。

「お帰りなさい。貴博から連絡があるなんて珍しいわね」

 上がり框の上からこちらを見下ろした貴博さんの母、文乃(ふみの)さんは、息子だけに視線を向けてそう告げた。隣に立つ私の存在はほとんど無視されている。

 篠目社長の妻でもある彼女は、白のブラウスの上に一枚薄手のニットを羽織り、紺のタイトなスカートを穿いた、線の細い人である。色白の肌もゆったりと結い上げた髪も、上品なご婦人の代名詞のようだが、その優雅さを封殺するほどの圧が漂っていた。

「初めまして、越智深雪と申します。本日はお招きいただき――」

 鋭い一瞥を向けられ、言葉に詰まった。お招きなどしていない、と釘を刺された気分になる。用意した手土産をこの場で渡すべきか否かともたもたしていると、貴博さんが私の手ごと紙袋を握って前に突き出した。

「ほら。二人ともいつまで見つめ合ってんだ」

 張り詰めた空気をぶち壊し、彼がさっさと上がり込む。そしてまだ気後れしている私の方へ振り向いて、ついてこいと視線を送る。

 こうして私は、招かれざる客のまま篠目家に足を踏み入れることとなった。

 貴博さんの実家を訪ねる予定を突き付けられたのは、彼と抱き合ったわずか二日後のことである。家族に紹介する、善は急げだとさっさと日取りを決められてしまった。

 結果として婚約者が一人暮らしをしているマンションよりも先に、婚約者の実家を訪問することになった。怒涛の展開に頭がくらくらしてくるが、交際ゼロ日でのプロポーズを受けたのは自分だから、仕方ないのかもしれない。

 篠目邸は見るからに由緒のありそうな日本家屋だった。

 長い廊下の一方は縁側のように庭に面していて、その鮮やかな緑が都心の一等地であることを忘れさせる。とはいえせっかくの新緑を眺める間もなく、もう一方に連なる襖の一つを開け、貴博さんは目の前のソファにさっと腰を下ろした。

 おそらく応接室なのだろう。畳の部屋にソファとローテーブルが据えられているところが、ワンランク上の純日本家屋という感じがする。

「深雪も座れば」

「え? でも勝手に」

「俺んちだから。あと、たぶん待たされるし」

「けど――」

 何か言葉を口にする前に、彼の手に導かれて座り込んでしまった。黒のソファから滑らかな革の手触りを感じる。

 貴博さんの言う通り、手持ち無沙汰な時間がしばし流れていく。その静寂を破って彼が唐突に口を開いた。

「さっきのケーキ」

「え?」

「深雪の親父さんが焼いたやつ?」

 自分一人の力では渡すことすら叶わなかった手土産を思い出し、首を小さく縦に振る。

「ササメのお菓子を持っていくわけにもいかないから」

「そりゃそうだ」

 だからどうしたということもなく、貴博さんが笑う。

 製菓会社に就職してから、差し入れにはもっぱら勤め先の焼き菓子を利用している。それが今日、久方ぶりに実家のケーキを用意したことで、私の家族も何かあると勘付いていたようだった。あちらにもこの状況をそろそろ説明しなければならないが、全ては今日を乗り越えてからだろう。

「緊張することないからな」

「……はい?」

「前にも話したけど、深雪が『どこの馬の骨』だとか言われるわけがないんだから」

「そんな発言が飛び出すレベルの上流階級に挨拶する時点で、既に気が重いんだけど」

「ものの例えだろ。そもそも馬の骨って何だよ?」

「それは……私も知らない」

 ひょっとして貴博さん、私に気を使ってくれているのだろうか。あるいは彼も緊張している? 沈黙を埋めるようにぽつぽつ話す姿は、ちょっと珍しい気がした。

 そうこう話しているうちに、待ち人が現れた。

 先に顔を出したのは篠目社長、いや、ここは父の貴一さんと呼ぶべきだろうか。相変わらず食えない笑顔を浮かべ、私に会うためか他にも予定があるからかは分からないが、きちんとスーツを着ている。

「やあ、待たせたね」

 こちらが反射的に立ち上がると、いいからとすぐに着座を促し、自らも貴博さんの向かいに腰を下ろした。続いて現れた文乃さんは、恐ろしく冷たい目をしていたが、何も言わずに私の向かいに座った。

「改めてお父さん、お母さん。こちらが越智深雪さん」

 貴博さんがいつもより穏やかな口調で切り出した。

「ウチの経理で働く傍ら、劇団で脚本を書いてる」

 初っ端から演劇の話もするのか。つつましやかな経理職員だと紹介した方が、婚約者としての印象は幾分マシになるだろうに。

 ふとそんな思考が頭に浮かんだけれど、よくよく考えれば貴一さんは私が貴博さんをスカウトしたことも知っていた。

「彼女と結婚したいと思ってる」

 さすが、貴博さんは堂々と言い切った。対して私は、彼の傍らで頭を下げるのが精一杯だった。

「そうか、結婚したいのか」

 貴一さんが独り言のように呟く。

「あんな啖呵を切っておいて、よく挨拶に来られたなあ」

 途端に貴博さんが怪訝な顔をする。そして僅かな視線の流れから、今の言葉が私に向けられたものであると理解し、更に表情を曇らせた。

「啖呵って?」

「前に社長――貴博さんのお父様に呼び出された時に、結婚はしない……とまでは言ってないけど、それに限りなく近い宣言をしてしまって」

 あの時はまだ貴博さんがササメの副社長だという衝撃の事実を、上手く呑み込めていなかった。正直、今だって受け止めきれてはいないけど。

「どうして急に、息子のプロポーズを受ける気になったのかい?」

 嫌味がたっぷり振りかけられているが、真っ当な質問ではあるだろう。私は懸命に答えを探す。

「貴博さんの言葉に納得したからです」

「納得?」

 端的にいえばそういうことになるが、響きが良くない。もっと適切な台詞を探さなければ。

「初めはどうして彼が私なんかにプロポーズしたのか、ホントにもう訳が分からなくて。でも改めて貴博さんと話し合って、彼の率直な気持ちが伝わってきたので、結婚してもいいのかなと」

「してもいい?」

 今度は文乃さんが目を細めた。ああ、やっぱり私にアドリブは向いていない。

「いえ、あの……決して上からものを言っているわけではなくて、私なんかが彼と結婚しても許されるのかなという意味合いで」

「どうして許されると思ったのかしら? 自分に不釣り合いだと分かっているなら、貴博のためにも身を引くところでしょう」

「意味分かんねえ」

 貴博さんが吐き捨てるように呟いたが、意味は分かる。文乃さんは断定的な口ぶりで語り出した。

「この子は欲しいと思ったものは、とことん欲しがる子です。ただのワガママで終わらせず、手に入れるための努力を惜しまない子です。私がそう育てました。自分の意思を強く持てと」

 彼女の言う通りだと思った。

 確かに貴博さんは我の強い御曹司だが、筋は通してくる。舞台に立つために脚本を読み込み、演技を模索してくれた。プロポーズにも言葉を尽くしてくれた。自分が悪いと思ったら潔く謝るし、理不尽なことは決して口にしない。

「そのせいで時折、的外れなものにまで執着することがあるのです。この子の人生には不要なもの、取るに足らないものにまで」

 つまり私は彼の人生には必要のない、取るに足らないものということか。

「貴博はどこの馬の骨とも知れない女に、現を抜かしている暇はないのです」

 結局言われてしまったではないか、馬の骨。

 私が呆然とする横で、貴博さんはきっぱりと主張した。

「深雪はササメの社員だ。これ以上の身元の保証はないだろう」

 そして父親へ視線を向けると、社長たる貴一さんは「そうだねえ」と曖昧に頷いた。

「越智さんの直属の上司による評価は、まめまめしく働く真面目な一社員、それ以上でもそれ以下でもない。と、聞いている」

 実に公平なジャッジだ。さすが一流企業、お菓子業界のドン。私にはもったいない職場である。

「君は仕事を頑張りたい人ではなさそうだね」

 図星を指されて私は恐縮するばかりだが、貴博さんはどこ吹く風だった。

「別にいいだろ。俺と結婚するんだから、仕事は辞めたって構わないし」

「貴博さん、その言い方はちょっと」

 まだ辞めるとは決めていない。が、問題はそこではないだろう。

 結婚にまるで興味がなかったはずの息子の方針転換によって、文乃さんの表情は悲壮感に溢れていた。

「あなた、貴博に何を吹き込んだの!?」

「べ、別に私は……」

 強いて言うなら演劇の魅力を吹き込んだことになるが、それが結婚につながるとは思ってもみなかった。

 もじもじするばかりの私に代わって、貴博さんが更に言葉を重ねる。

「これは俺の精一杯の親孝行でもあると思ってる。正直、深雪と出会うまでは誰とも結婚するつもりはなかったから」

「貴博、どういう意味?」

「言葉のまんま。俺がお見合い相手に一切興味が持てなかったこと、本当は気付いてたんだろう?」

 文乃さんの顔がみるみるうちに赤く染まり、その鋭い視線は彼ではなく私に注がれた。

「この――」

 続く罵倒のフレーズを彼女は必死で呑み込んだ、ように見えた。衝動のまま怒りをぶちまけるようなことはしないと自分を律している。そういう気高さというか、矜持のようなものを感じた。

 さすが、性格が悪くても性根はまっすぐな貴博さんを育てた母親だ。

「そういうことなら、越智さんはさぞかし家庭的なお人なんでしょうね?」

「へ?」

「貴博が突然結婚する気になるなんて、ひょっとして胃袋でも掴んだのかしら? あなた、得意料理は?」

 文乃さんから、思いがけないことを聞かれた。

「それは……」

 いや、思い至っておくべきだった。私はお嫁にいこうとしているのだから。

 自炊のための簡単な料理ならできなくもない。もっと繊細な洋菓子だって――ケーキもプリンもシュークリームも――父のおかげで作ろうと思えば作れる。

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