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1 理想のイケメン、現る(2)

演劇×恋愛系ライトノベルです。

   *


 劇団カフェオレの稽古場兼倉庫は東京の郊外、閑静な住宅地に埋もれるようにして建っている。稽古場と呼んではいるものの、設備としてはだだっ広いワンルームと説明した方が分かりやすいだろう。アマチュア劇団に常設のスタジオを借りる金銭的余裕はない。

「それって、完全に趣味でやってるからってこと?」

「まあ、はい」

 実は今も節電のためにちょっと寒さを我慢している。人が増えて活動が始まれば温まってくるから、冬はまだいい方だろう。

「お金もそうですけど、演劇に使える時間はせいぜい週末とアフターシックスだけですし」

「会社員じゃん」

 その通り。平日の私は、何が何でも定時で帰ろうとするただの事務職員である。

「それでもお金と時間と労力を出し合って舞台を立てちゃうところが、みんな演劇フリークなんですよね」

「演劇フリーク、ね」

 暗幕で囲まれた簡易な舞台に立って、彼は苦笑した。その姿にまた惚れ惚れしてから、はたと我に返る。

「もちろんそこまで求めませんよ。なんならこっちがギャラを出します」

「いや、別に要らない」

 ひらりと断るこの男はいったい何者なのだろう。先程から気になってはいるのだが、盗撮の前科のせいでどうしても質問することにためらいが生じる。

 どう話をつなげようかと考えあぐねていると、背後からバタバタと足音が響いた。

「深雪さん!」

 入ってきたのは赤塚(あかつか)奈央子(なおこ)。純日本人なのが不思議なくらい目鼻立ちのくっきりした顔と人懐っこい性格をした、ウチの看板女優である。

「ヒロくん役スカウトしたんですって!? あ、この方?」

 彼女はずかずかと彼の目の前まで歩み寄り、あわよくばキスできてしまう距離でその顔を見上げた。稽古用のジャージにスニーカーの出で立ちながら、美男美女が並んだ絵面には華があった。

「初めまして、赤塚奈央子です。奈央子でいいですよ」

「……近くないか?」

「あー、演劇やってると自然と近くなりますよね。ウチの団員も基本的に下の名前で呼び合ってるし」

「いや、そうじゃなくて」

 物理的な距離の話をしているのだろうが、それでいて一歩も引かずに美女と睨み合っている彼もなかなかである。

「お名前は?」

「え?」

「なんて呼べばいいですか?」

 私が口にできなかった問いを、何の躊躇もなく放り込む。イケメンはどんなに詰め寄られても表情を崩さなかったが、それでも最後は圧に耐えかねたように名乗っていた。

「なら……貴博(たかひろ)で、いい」

「本名もヒロくんなんですね。え、名字は?」

「は?」

 先程より幾分険しい反応に、私はとっさに奈央子の腕を引き、物理的に距離を取らせていた。

「無理に答えなくてもいいですよ。演劇なんて匿名でも何でもできますから」

「深雪さん?」

 スカウトの経緯を知らない彼女が首を傾げる。が、そちらに構っている余裕はない。

「クレジットも役名の『ヒロ』でどうかと思っていたんです。名前が貴博ならちょうどいいかもしれません」

「……クレジット?」

「パンフレットやチラシに載せる名前です。言うほど仰々しいものじゃないけど、芸名みたいな感じです」

「ああ、なるほど」

 納得して頷く彼は、まんざらでもなさそうに見えた。やはりこの男、初めから舞台に興味があったのでは――。

「深雪、ヒロくんスカウトしたんだって?」

 またしても背後から声がした。振り返れば、我が劇団の事実上の代表が立っている。

「どうも、三井(みつい)勇也(ゆうや)です。主に舞台監督やってます」

「まだスタッフの説明はしてないです」

「じゃあ、事務方の雑用係だと思ってくれればいいですよ」

 ニコッと愛想の良い笑顔は、名うての俳優も顔負けだった。

 勇也さんは私を劇団カフェオレに誘ってくれた大学の先輩である。役者としては「街を歩けば必ず似た顔が見つかる十人並みの容姿」を完全に己の武器とした、名バイプレイヤーと言えるだろう。

 彼もまた遠慮なく貴博さんの顔を覗き込むと、ある意味で奈央子よりも容赦ない言葉を浴びせた。

「深雪って、こういう顔がタイプだったんだな」

「ちょっと!」

 強引にスカウトした以上、決して否定はできない。できないけれど……何も本人の前で指摘しなくてもいいではないか。

 あまり噛みついても仕方ない。役者も揃ったので本題に入ろう。

 そのためにもまずは客席に置いてあった椅子を舞台上にぐるりと並べ、円陣を組んでいく。他の団員たちも、来た順に適当に輪に加わってもらう。

「では――」

 今回の脚本『結末が決められない』はとある小説家志望の夢と現実を描く、少々抽象的でメタフィクショナルな作品である。

 主人公のモデルが私自身であることは想像に難くないだろう。ただ、脚本家には一緒に舞台を作り上げる仲間が必然的に生まれてくるので、本作では執筆がより孤独になる小説家を採用した。

「夢見るアラサー女子、ユメを演じるのが奈央子です」

 貴博さんに改めて紹介すると、彼は小首を傾げてこちらを伺う。

「深雪じゃないの?」

 劇団の慣習に倣っただけだろうに、名前で呼ばれたことにドキリとした。

「私は脚本家なので。舞台に立つこともありますけど、基本的には客席から見て演出を考えたいんです」

「へえ」

 気のない返事に、奈央子がぷりぷりしてみせる。

「何ですか、私じゃ不満ですか?」

「……というか、ガキっぽくないか?」

「な!」

 わざわざ一番グサリと刺さる言い回しをしなくても。

 実年齢は私が二十九歳で奈央子が二十七歳だけど、見た目の印象でいうと奈央子は更に若い。もちろんそれはアングラでも女優を続ける彼女の意識と努力の賜物なのだが、三十歳という大台を意識し始めた「アラサー女子」にしては幼く見えるという彼の指摘も、現時点では間違っていない。

「まあ見ててください。役に入ったらこの子もグッと大人っぽくなりますから」

 ウチの看板女優を売り込んでから、この機会に聞いてみる。

「ところで、そういう貴博さんはおいくつなんですか?」

「三十歳」

 アラウンドどころかドンピシャだったらしい。

「だからコンセプトは俺もよく分かる。『もう大人なんだから』も『まだ若いんだから』も飽きるほど聞いたし、現状に不満はないのに周りがやんや言い始める年頃だろう?」

「そう、それ!」

 思わず声が上ずった。当の我々は実感のないまま数字に踊らされていると、貴博さんもそこは同意見のようだ。

「自分の年齢に密かに焦りはあるけれど、何を言われようが結局は目の前のことで手一杯なんですよね。それが私にとっては――ユメにとっては原稿だったということです」

 しかしユメには創作仲間がいない。だから代わりにヒロがいる。物語冒頭の彼は、いつでも黙って話を聞いてくれる彼女にとって理想の男、もとい都合のいい男である。

「どこにも明記はしていませんが、私の想定ではヒロはいわゆるイマジナリーフレンドなんです」

 というか本当は、貴博さんをキャスティングするにあたってそう結論づけた。

 主人公の妄想が生み出した……なんて聞くと少々イタく感じるかもしれないが、小説を書く彼女にとって妄想でキャラクターを作ることなど日常茶飯だ。自分が生み出したキャラクターが自分の手を離れて勝手に動き出すことさえ、珍しくもなんともない。

「だから貴博さんは、本当に舞台の上に立っているだけでいいんです」

 ヒロインの頭の中にしか存在しない男だから、例えば、台詞を覚えられずに他の登場人物と会話が噛み合わなくなったとしても構わない。ただし存在感は誰よりも必要なので、華のあるイケメンがぴったりというわけだ。

「でも、何もしなくていいって言われても」

「初対面の人間に囲まれて、それだけ堂々としていられたら上出来ですよ」

 すらりと長い脚を組んで腰掛ける姿は、一時間でも見ていられる。あとは奈央子が一方的に話し掛けるだけでも成立するよう演出プランを立ててある。

「上出来ならもっと何かしてみたいじゃないか」

「……え、やってくれるんですか?」

 私の表情が期待に溢れていたのだろう。慌てて勇也さんが割って入る。

「いきなり無茶振りするなよ」

「早速勇也さんはミノルくんですね」

「おい」

 現実の「実」から取ってミノル。貴博さんに体現してもらうのが理想なら、勇也さんに演じてもらうのは現実である。

「よろしければ奈央子とはどんどん絡んでもらいますので、よろしくお願いします」

 台詞を増やしていいのなら、序盤も黙って聞いているだけでなくヒロインを励ましたり慰めたり、思い切り甘やかしてあげたい。そこから最後は現実に立ち向かう彼女の背中を押してくれるのが、理想の男ではないだろうか。

「分かった。やってやろうじゃないか」

 この男、想像以上に肝が据わっている。


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