5 それは果たして恋なのか(3)
演劇×恋愛系ライトノベルです。
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ほぼ間違いなく、貴博さんにそのつもりはなかった。
初めから下心があったなら、ホテルのバーに呼び出した時点で部屋くらい押さえてあるはずだ。しかし彼は本当にゆっくり話ができる場所を指定しただけのようで、私たちは一度フロントに戻ることになる。
淡々とスタッフとやり取りしている彼の傍らで、「急遽お泊りが決まりました」感を全面に出してもじもじしているこの時間がじれったい。
いや、じれったいというか……ちょっと焦っているのかもしれない。
これから結婚するかもしれない男がプレイボーイなのも困りものだが、あまりに淡白なのも心もとない。自分一人で舞い上がっているのではないかと次第に不安が頭をもたげていき、エレベーターで二人きりになった瞬間、思わず彼の腕を掴んでいた。
「深雪?」
貴博さんが真顔でこちらを見下ろす。
「酔ってる? だから飲みすぎるなって言ったろ」
違う、そうじゃない。確かに酔ってはいるけれど。
「……雰囲気作りも大事かなと。根が脚本家なもので」
「何それ?」
お酒の力で甘えたら、良識ある男からまたの機会にしようと提案されてしまいそうで、つい気丈に振る舞ってしまった。役者として登場人物の心情を的確に読み解いていた貴博さんが、私の気持ちはまるで汲まずに鼻で笑っていた。
「気遣いは無用だ」
だから違うって!
到着音と共に扉が開くと、こちらを気遣うことなくエレベーターを降りる。さすがにスタスタと置いていくようなことはないが、御曹司ならばもう少しレディファーストの精神を身に着けていてほしいところだ。なんて、彼の隣を歩きながら考える。
ここまで来たのに、貴博さんが分からない。
部屋の前まで辿り着き、カードキーを使って彼がドアを開ける。内開きなので扉を押さえてもらうまでもなく共に足を踏み入れた。
パチッと、部屋中の照明に一斉に明かりがともる。
真っ先に目に付いたのは大きな窓に映し出された東京の夜景だ。それから広々としたダブルベッド、お洒落な間接照明、ソファも大きなコの字に設置されていてかなり贅沢だ。ここが一流のシティホテルであることは分かっていたが、一般的なツインルームと比べると三倍くらい豪華だった。
「こんないい部屋……」
「急だったから、空いてたとこ適当に選んだ」
御曹司は素っ気なく告げて、部屋の入り口で立ち止まった私を奥へ連れていく。
「で、どうする?」
「はい?」
「俺はこのまま始めちゃってもいいけど、シャワーとか使いたい?」
「あ、え、えっと」
時間を置いて冷静になってしまったら、そういう空気まで消えてしまう気がした。
「大丈夫です」
「そう」
頷いた貴博さんはすぐさま私を抱き寄せ、唇を重ねた。
対してこちらも、彼の肩にしがみつき、更なるキスをせがんだ。全てはこれからだというのに、無事にことが始まったことに安堵している自分がいる。
ああ、やっと。
彼がそろりと探るように突き出した舌を、積極的に引き入れる。瞬間、相手の身体がびくりと震えた気がしたが――構うものか。私だって散々じらされたのだ。少しでも彼に近づきたくて、何度も唇を押し付けた。
息の詰まるような口づけを繰り返しながら、私たちはベッドになだれ込んだ。
仰向けになった私を見下ろし、彼の掌が肩から胸へと這っていく。服の上から胸のふくらみをなぞる。鈍い快感が期待となって、身体の中心がうずいた。
「んん」
思わず漏らした吐息は、彼に唇を塞がれて行き場を失う。上の空でキスを続けていると、いつの間にかその唇は首筋に吸いつき、ゆっくりと下へ向かっていった。襟ぐりの際で鎖骨に触れる。
そこでふと、彼の手が止まった。
「これ、どうやって脱がせるの?」
大人っぽく攻めたつもりのワンピースは、遊びの恋などしない貴博さんには少々ガードが堅かったらしい。
「背中に、ファスナーが」
皆まで言う前にその手が背後に回る。袖を抜いて上半身の布地を腰元に引き下ろすと、彼もまた服を脱いだ。引き締まった身体が目の前に現れる。
「待って」
「何をだよ?」
容赦なく脱がされたワンピースがベッドの下に落ち、互いに下着一枚になって肌を晒したところで、こちらが羞恥心に耐えられなくなった。
「あの……せめて電気を」
とめどないキスを振りほどくようにベッドサイドに手を伸ばし、照明のスイッチを切ると、私は布団の中に潜り込んだ。貴博さんが追いかけてくる。
「なんだ、見せてくれないのか」
「だって……」
手探りで読書灯だけ点けた彼の瞳が、反射でキラリと光る。ああ、この人も普通に男なのだ。
改めて私を抱きすくめ、貴博さんが耳元でささやいた。
「深雪も普通に女なんだな」
「やだもう」
そんな言葉だけシンクロしないでほしい。
共に布団を被った後、彼は遠慮なく下着も剥いだ。直接肌が触れ合うことで、互いの身体が更に熱を持つ。
胸の先端を彼が口に含んだ。その舌でじっくりともてあそび、軽く歯を立てる。
瞬間、快感が全身に走って、私は息を呑んだ。
「た、貴博さん」
我ながら甘ったるい声が出た。
それを聞いた貴博さんが欲望の中心へ手を伸ばす。彼の指先が、十分に潤ったそこを探っていく。
「やだ……あ、ああ」
一番気持ちいいところを刺激され、反射的に身をよじる。けれども私の身体は完全に彼に捕らえられていた。
見上げれば、熱っぽい視線が突き刺さる。
その目が私の反応をつぶさに観察し、更なる快感を引き出そうとする。
「だ、だめ……」
うわ言の拒絶は拒絶になっていなかった。むしろ相手を煽ったようで、しつこいくらい丁寧に指での愛撫が続く。
「貴博さん。もう」
「うん?」
怖いくらいに気持ちいい。けれどもこのまま貴博さんの手によって、一人で達してしまうのは、嫌だ。
「い、一緒に……貴博さんが、欲しい」
喘ぎながら縋ると、一瞬、彼の手が止まる。
「深雪」
貪欲に彼を求めるこの身体に、応えるように貴博さんが身体を沿わせた。今度はもっと深いところでつながっていく。
「一緒にいこう」
その言葉にうんうん頷きながら、私は彼にしがみついた。
再び、彼が動き出す。
初めはゆっくりと、次第に激しく抱き合い、共に高みへ昇りつめていく。そして次の瞬間――私たちはふわりと恍惚の淵に沈んだ。
そのまま二人で、ベッドに倒れ込む。
「ほらな」
息を弾ませながら、貴博さんが耳元でささやいた。
「……え?」
「深雪のこと、抱けただろう」
何を今更、と働かない頭で考える。
抱ける……抱けた……ひょっとしてこの男は、私を抱きたいわけではなくて、恋愛に不向きな自分でも結婚生活の義務は果たせると主張しているのだろうか。考えてみれば一連の行為は、貴博さん自身よりも私の欲望を満たすものであった……ような気がする。
「貴博さん」
「ん?」
「私のこと、好きですか?」
「何を今更」
鼻で笑って、ギュッと抱きしめる。
大丈夫。もし彼が私を女として求めていなかったとしても、私を選んだことには変わりない。
今はただ、この腕の中で眠りたい。