scene.4「踏み止まれない一線」
目の前で兄ちゃんの姿が揺れている。
兄ちゃんは、もう、いない――。その事に僕が気づいた時、いなくなってから1ヶ月も経っていた。
それまで、ずっと兄ちゃんは僕の傍にいた。――いや、いるように感じていた。
「何で――、なんで僕なんか助けたんだよ――!」
はっきりいって、僕なんかより兄ちゃんの方がずっと出来がよかった。勉強もスポーツも得意で、それ以外もなんだって出来る。僕はと言えば、勉強もスポーツもごく普通。得意なものなんて何もない――。
僕がいなくなってたほうが、よかったのに――。
「何でって、兄貴が弟を守るのはフツーだろ?」
「守って兄ちゃんがいなくなっちゃ意味ないじゃん! パパとママだって――、兄ちゃんより僕がいなくなった方がよかったって思ってるよ。自慢の息子の兄ちゃんより、何も出来ないし迷惑かけてばっかりの僕がいなくなってた方が――」
兄ちゃんは、ちょっと寂しそうに首を振った。
「父さんと母さんは、お前がいなくなってた方が悲しんでたはずだよ。だってオレは――」
兄ちゃんはそこですこし言葉に詰まった。だけど、思いを吐き出すように、その言葉を言ったんだ。
まるで越えてはいけない一線を、止まることができずに踏み越えてしまうかのように――。
「オレは――、父さんと母さんの、本当の子供じゃないから――」
本当の子供じゃないって――。
「オレはさ、子供のできなかった父さんと母さんに施設から引き取られたんだ。ある日血液型がおかしいのに気づいて、問いただしたらそう言われたよ――」
兄ちゃんが、僕の本当の兄ちゃんじゃない――。
兄ちゃんは、さらにしゃべり続けた。
「でもそのすぐ後にお前が生まれた――。多分、父さんも母さんも、複雑だっただろうぜ。――だからさ、オレは優等生でいるしかなかったんだよ。自慢の息子でいれば、一人にならずに済むからな――。だから、これでよかったのさ――」
本当はね――、うすうす気づいてたよ。
あの日から、パパやママと兄ちゃんが、なんだかぎこちなくなってたから――。
いろんな事を、いっぱい考えた――。
でも――。
「――違うよ」
しぼり出すようにそう言った。
「絶対違うよ。パパとママは、そんな人じゃないよ!」
「大人ってのはそういうものなんだよ――。お前も、もう少し大きくなれば分かるさ」
そうじゃないんだ――!
「パパとママが話してるのを聞いた――。『本当の事を知って、あの子は心を閉ざしてしまった』って。『あの子の心を溶かしてやるにはどうすればいいんだろう』って――! だから――」
僕は、兄ちゃんの目を真っ直ぐ見つめて、言った。
「だから――、素直になればよかったんだよ――。今までどおりパパとママの子どもでいればよかったんだよ。それに、僕にとって兄ちゃんは兄ちゃんだよ。血が繋がってなくたって、兄ちゃんだもん」
兄ちゃんは、じっと僕を見つめていた。
「でなきゃ――。でなきゃ、こんなに悲しいわけないもん――。こんなに、悲しいわけ――」
そこで、声にならなくなってしまった。
涙がとめどなく溢れてきて、しゃくり上げる声が止まらない。
兄ちゃんの手が、ふわりと僕の頭に触れた――、ような気がした。
「ごめんな――。兄ちゃんが弟をこんなに泣かせちゃ、ダメだよな――」
僕は、泣きながら首を振った。
イヤイヤをするように、首を振り続けた。
「大丈夫だよ。オレはいなくなるわけじゃない――。お前の中に、いつでもいるさ。だから、逢いたくなったら話しかけてこいよ」
僕の体に重なるようにして包みこむと、兄ちゃんは優しくそう言った。
「なあ――」
兄ちゃんは言った。
「父さんや母さん、悲しんでくれるかな――。オレのために、泣いてくれるかな――」
「絶対悲しんでくれるよ。それに、泣くと思う。――だって、パパとママだもん」
「――だな」
兄ちゃんは、そう言って微笑んだ。
兄ちゃんの姿はだんだん薄くなって、そして消えてしまった。
悲しさが、涙が止まることなく溢れだしてくる。
生まれて初めて心の底から感じた悲しさだった。
だけど、同時に兄ちゃんの言葉が、僕の頭の中に響いたんだ。
『オレはお前の中にいつでもいるよ』
僕は、僕の胸をぎゅっと握り続けていた。
僕の中の、兄ちゃんを確かめるように――。
逝ってしまった兄と、遺された弟――。
某サイトでやったバトン小説のお題を、自分なりに解釈して独自の結末にしたものです。
設定的なものは、『東京マグニチュード8.0』のオマージュ的な。(爆
いろんな物を乗り越えて、残された者は歩き続けなければなりません。
強く――、強く生きていきましょう。
次回は「Re:act」をお送りします☆