scene.3「オレオレ」
『もしもし――、俺だよ』
受話器を取って最初にその言葉を聞いたとき、花江は咄嗟に、それが振り込め詐欺――主に高齢者を狙い、息子や孫を装って電話をかけ、現金を架空の口座に振り込ませてお金を騙し取る詐欺の手口――、ひと昔前はそのお決まりのセリフから"オレオレ詐欺"と呼ばれていたものだ――だと直感した。
花江には子供が一人いたが、それは女の子供で、しかも、その娘は幼くして亡くなっている。それが元で夫とも離婚して、今まで何十年も一人で生きてきたのだ。
普通、振り込め詐欺の犯人は、標的の家族関係等を細かく調べて犯行に及ぶはずだ――。なのに、随分間抜けな犯人もいたものだ――。
呆れるのと同時に、怒りが沸々と湧き上がってきた。
いい歳して年寄りを食いものにしようなどとは腹立たしい――!
何十年も一人きりで生きてきたために、花江は強い女になっていたが、同時に少しだけ心が荒んでしまっていた。
荒んだ心は、外からのものに対して、敵意を増幅させる。
捕まえてやろう――。そう思った。
振り込め詐欺の犯人を捕まえる、最も手っ取り早い方法は、わざと相手の誘導に乗った振りをし、こっそり警察に連絡をしておいて、お金を回収・受け取りに来た犯人を捕らえる、というものだ。
もちろん、犯人だってあの手この手で騙そうとしてくるし、他人と連絡を取らせないようにいろんな手を講じてくるだろうが、今回くらい間抜けな犯人なら多分、大丈夫だろう――。
花江も、その方法を取ることにした。
まずは、相手に話を合わせて、引っ掛かったように振舞うのだ。
「ああ――、ええと――寛だっけ?」
『――ハハ。やっぱり――覚えてないよな』
電話口の向こうで、男が妙な事を言った。
だが、ここで相手に不信感を抱かせるわけにはいかない。花江は、慌ててとりつくろった。
「すまないねえ――。最近どうも、記憶が曖昧でねえ。あたしももう、歳だから」
『しょうがないよ――。もう、四十年近くだから』
四十年――?
一瞬、何を言ってるんだろう、と訝った。
『それより、体の方は大丈夫?』
男は、話題を変えてきた。
花江は、男に合わせるように、話についていく。
「歳相応にガタはきてるけどね――。まだまだ若い者にゃ負けないよ」
『そうか――。でも、あまり無理はするなよ』
「分かってるよ」
『今まで――、一人だったのかい?』
また、おかしな質問をする――。
振り込め詐欺にしては、なぜだか不自然だ。
同時に、何か大切な事を忘れているような、頭の隅に何かがこびりついているような、そんな感覚に襲われた。
だが、すぐに花江はその感覚を振り払った。
今は――、目の前の男を捕まえることが第一目的だ――。そう言い聞かせた。
『そうか――。やっぱり、そうだったのか――』
電話の向こうの声が、少しくぐもった。
『いろいろ――、苦労したんだろうな――』
と、呟く声が聞こえる。
男の声がしばらく途絶えた。電話を切られたのかと思ったが、通話は繋がったままだ。
しばらくして、再び男の声が受話器から聞こえてきた。なにやら神妙な、改まったような顔だった。
『あのさ――。頼みがあるんだけど――』
「なんだい?」
来た――。
おそらく、何かの理由でお金が必要だから――、とかいう内容だろう――。
しかし、その後に続いた言葉は、予想とは全く違うものだった。
『あのさ――。逢いに行っても、いいかな――?』
「――え!?」
思わずそう言ってしまった。
逢いにって――。
『正直、ずっと迷ってたんだ。今更僕のことなんか覚えちゃいないだろう、って――。でも、何十年振りかに声を聞いて、ずっと一人だった事を聞いて――。覚えてなくてもいいから、やっぱり逢いたいって思った。ハナママは――、僕の大切な人だから――』
ハナママ、というフレーズが、強烈に花江の脳天を射抜いた。脳髄の奥に、その言葉が突き刺さる。
自分の事を"ハナママ"と呼ぶ人物――。
一人だけ――。たった一人だけ、花江はその人物を知っている。知っているけど、今の今まで記憶の奥底に、その記憶は封印されていた。あまりにも古くて、そしてあまりにも小さな記憶だったから――。
「まさか――」
かすれそうな声で、そう絞り出した。
『思い出してくれた――? そうだよ、僕だよ――。悠一だよ、ハナママ――』
電話の主は、穏やかな声でそう言った。
悠一――。
それは、もう四十年近くも前の話になる。花江が、一人娘を失ってしばらく後の話だ。
一人娘を失った悲しみを癒すために里親に申し込み、一時一緒に暮らしていた男の子――。それが悠一だ。
里親制度は、やむを得ない事情で親と一緒に暮らせなくなってしまった子供を、一定期間引き取って同居する制度のことである。役所などに申請し、審査を通過したものだけが、里親となることができる。花江夫妻は、運良くこの審査を通過し、悠一の里親となったのだった。
子供が親と暮らせなくなる事情は色々ある。例えば、親の失職で経済的に同居が困難になった場合、虐待などがあって同居が困難と児童相談所などが判断した場合――。そして、悠一の場合は唯一の肉親だった父親が病を患い、入院を余儀なくされてしまったためだった。
一年にも満たない短い間だったが、花江は悠一と一つ屋根の下ですごした。悠一は優しく聡明な子で、花江夫妻にもよく懐いてくれた。
だが、そんな時間も長くは続かない。父親が退院し、悠一は再び父親の元に戻っていった。最後まで笑顔を崩さず、舌足らずな言葉でお礼をいい、父親と共に去っていった。
それから程なくして花江は夫と離婚し、厳しく孤独な生活に身を落としていった。孤独な生活は、いつしか彼女に、昔の記憶を封印させていったのだった――。
「本当に――、悠一なのかい?」
『そうだよ――。あの後しばらくして親父が死んじゃって――。僕はあちこちの施設を転々としてたんだ。だけど、ハナママの事は、忘れた事はなかったよ。やっと一人立ちできるようになって、ハナママの家に行ったけど、もう誰もいなかった。ずっと――、ずっと探し続けてたんだ』
その頃には花江は夫と離婚して、街を出ていたはずだ。悠一はそれを知らず、ずっと探していたということか――。
一緒に暮らしたのは、ほんの短い間だったのに――?
こんな自分を――?
花江は耳を疑った。
『僕に本当の愛情をくれたのは、両親とハナママだけだったんだ――。だから、僕にとっては、ハナママも母さんなんだよ――。だから――、何とかしてもう一度逢いたかったんだ』
と、悠一は言った。
花江の胸が熱くなる。こんな気持ちは、一体何十年ぶりだろうか――。
『ねえ――。逢いに行ってもいいかな? そして――』
悠一は、そこで一度言葉を切った。そして、二、三度受話器の向こうで息を整えているような音がした後、言葉を続けた。
『そして――、もし、ハナママが迷惑じゃないなら――、一緒に暮らさない? また、あの頃のようにさ――』
花江の目が大きく見開かれた。
『ハナママを探し続けていて、気がついたら僕ももうこんな歳だ。結婚する余裕なんてなかったし、多分これからもそんな縁はないと思う。だから――、できればハナママの傍にいたいと思うんだ。そして、残りの時間をハナママと過ごしたい――。今の僕には、ハナママしかいないから――』
花江はふっと、息をついた。
そして、受話器に向かって静かに言った。
「おいで――」
久しく忘れていた、優しい声だった。
「待ってるよ――。この家で、あなたの事を――。だから、逢いにおいで。その後のことは――、それから決めようじゃないか」
受話器の向こうで、悠一がうん、とうなずいた。少し、涙声だった。
『それじゃあ、ハナママの所に行くから、待ってて――。それから――、ありがとう、母さん』
そう言って、電話は切れた。
花江は、そっと受話器を戻した。
その表情は、久しく忘れてしまっていた、とても穏やかな顔だった。
こういう"オレオレ"なら悪くないねえ――。潤んだ目頭を押さえながら、そんな事を思った――。
<あとがき>
ということで、“振り込め詐欺”をモチーフにしたお話でした。
孤独な老人に心の安らぎを――、ってとこですかね。w
人生辛い事ばかりでも、いつかはいい事もあるさ――。
そんな感じで、綴ってみました。
その後、二人がどうなったかは――、ご想像にお任せします、ってことで。w
次回は「踏み止まれない一線」をお送りします☆