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scene.2「タンジョウビ」

 エレベーターで六階まで上り、細い廊下を歩いていく。

 エレベーターホールから出て、左に五番目。扉の前に立ち、ポケットから出した鍵を、鍵穴に差し込む。

 金属製の扉を開いて部屋に入ると、扉を閉めて鍵をかける。

 部屋の中は薄暗い。

 誰もいない部屋――。真帆が帰宅する時は、大抵そんな感じだ。

 リビングに面したダイニングのテーブルの上に、一枚のメモが置かれている。

 真帆は、メモを手にとって、書かれている文字を眺めた。


 "真帆へ

  今日も遅くなると思うので、晩御飯は先に食べていてね。

  宿題は先にちゃんと済ませるように。それから、テストの成績は後で見させてもらうから出しておきなさい。

  晩御飯の残りはちゃんと冷蔵庫に入れて、お皿は洗っておいてね。

  それから、戸締りとガスの元栓は寝る前に必ずチェックする事。

  そうそう、10歳の誕生日おめでとう。プレゼントはリビングに置いてあります。

  あと、冷蔵庫にケーキが買ってあるから、食べてね


                                   母より"


 真帆は、ため息をついた。

 別に期待していたわけじゃなかった――。だけど、予想通りというのは少々こたえる。

 真帆は、母親と二人暮しである。

 幼い頃両親が離婚してからは、真帆は一人でいることが多くなった。

 母親は仕事が忙しくて、あまり顔を合わせる事がない。

 仕方がない事は分かっていた。父親は慰謝料も養育費も払わずに別な女の人の所へ行ってしまったから、母親が頑張ってお金を稼がなくてはならない。

 二人が生きていくためにも、真帆が学校に通うためにも、お金がかかる。

 その事は痛いほど理解できていた。母親がどんな思いをして頑張っているかも分かっていたから、不満は言わなかった。

 言いたいことは全部胸の中にしまいこんで、ずっと我慢していた。

 自分が我慢していれば、母親に余計な心配や苦労をかけなくて済むから――。幼いながら、そう考えていた。

 ランドセルをリビングのソファの上に置くと、冷蔵庫の扉を開けてみた。メモに書いてあったとおり、駅前のケーキショップの名前が書かれた白い、小さな箱が入っている。

 取り出して、箱を明けてみる。再び、真帆の口からため息が洩れた。

 やっぱり三角か――。

 箱の中には、三角形のピースケーキが一つだけ入っていた。

 誕生日に、小さな三角形のケーキを見るたびに、真帆は悲しくなる。

 ケーキを再び冷蔵庫にしまうと、今度はリビングのテーブルの上に置かれた包みを開けてみる。

 花の飾りがついたカチューシャが入っていた。

 花は好きだし、カチューシャも日常的に使っている物で、今使っているのは少しきつくなってきていた。

 だけど――。

 嬉しい、という気持ちはあまり湧いてこなかった。

 誕生日のプレゼントが嬉しくないわけじゃない。

 だけどやっぱり、誕生日は一人より二人の方がいい――。本当は父親もいるのが一番だけど、それが叶わないことは分かっているから――。せめて母親だけでも一緒がいい――。

 テーブルで二人向きあって、目の前には小さくてもいいからまあるい誕生日ケーキがあって、ゆらゆら揺れるロウソクの火を、ちょっと照れながらふぅっと吹き消す。母親が優しい声で、"お誕生日おめでとう"と言ってくれる。

 一般的な家庭ならごく普通の事――。ただ、それだけでよかった。

 どんな高価なプレゼントよりも、そっちの方がよかった。

 一人きりの誕生日は、寂しい気持ちがよりいっそう深くなる。だから、誕生日はいつも、早く眠ってしまうことにしていた。少しでも寂しいのをやわらげるために――。

 今年も一人っきりの誕生日か――。

 真帆は、ソファの上にごろん、と横になった。

 その途端、インターホンが鳴った。突然だったので、驚いてソファから転げ落ちそうになってしまった。

 インターホンの受話器を取ると、いきなり甲高い声が耳に飛び込んできた。


「おーす」


 モニターに、クラスメートの夏海なつみの顔が写っていた。夏海だけじゃない。はるか千里ちさともえ浩太郎こうたろう飛鳥あすかもいる。


「何、どうしたの、いきなり?」

「どうしたのって、マホ、今日誕生日でしょ? だからお祝いしに来たのよ」

「お祝いって――」


 そもそも、クラスメートには自分の誕生日の事を具体的に話したことはない。

 訊かれたときは大抵はぐらかしていた。

 家の事情があるから、パーティーなんて開けないし、友達に気を遣わせるのも嫌だったからだ。


「とりあえず入れてよ。話はそれから、それから」


 夏海に言われるまま、真帆は玄関の鍵を開けた。

 夏海を先頭に、包みや袋を抱えた連中が上がりこんでくる。たちまち部屋の中が賑やかになった。


「あの、なんで私の誕生日――」

「あたしがマホのおばさんに聞いたんだよ。この前、偶然ピアノの帰りに会ってね。その時に訊いたの」


 と、千里が言った。


「だから、今からマホの誕生日パーティーやろうと思ってさ」


 飛鳥がニッと白い歯を見せて、言った。


「でも、うちお母さん仕事だし――。何にも――」

「知ってるよ。だから、あたしたちでパーティーするんだよ」

「せっかくの誕生日だもん。一人で寂しくすごすより、みんなでワイワイやった方が楽しいでしょ?」


 と、遙が言った。


「うん――。だけど、どうして――?」


 なんで、皆わざわざ――。

 真帆が訊くと、夏海は笑って答えた。


「だってマホ、いつも律儀にあたしらの誕生日パーティーに来てくれてたじゃん? ちゃあんとプレゼントも持ってきてくれて――。でも、いつも申し分けなさそうに、小さくなってたでしょ。遠慮して、ロクに食べたり飲んだりもしないでさ。そんで、いつもなんだか寂しそうにしてた」


 隠していた――つもりだった。

 大切な友達だし、繋がっていたいから、無理してでもそういう場には参加していた。

 でも、自分の時にはそれが出来ないことが、すごく辛かった。いつもおよばれしているだけの自分が申し訳ないような気がして、いつもどこか遠慮していたのだった。

 そして、そんな場の雰囲気が羨ましくて、ちょっと切なくて、寂しかった――。


「だからね、みんなでマホのこと、お祝いしてあげよう、ってことになったんだよ」


 と、千里が言った。


「チサがマホのおばさんから誕生日を聞いて、みんなに連絡をまわしてくれたの。それで、今日まで急いで準備してたのよ」


 萌がのんびりした口調で言う。

 今の今まで、全然気づいていなかった――。そんな事をしていたなんて――。


「食いもんはオレが持ってきた。親父、奮発してサービスしてくれたから、たっぷりあるぜ」


 そう言って、飛鳥が片手に提げた大きな袋を持ち上げてみせた。

 飛鳥の家は商店街のお惣菜屋さんだ。和のお惣菜だけでなく、中華や洋食、パーティー用のお惣菜も取り扱っている。


「飲み物はボクが持ってきたよ。お中元でもらったジュースなんだけどさ、うち飲む人がいないから、余ってたんだ」


 浩太郎が、抱えていた袋を、よいしょ、とテーブルの上に置いた。ガラン、と中で缶の音がする。


「私はケーキ持ってきたよ。お店の残ったのでいいよ、って言ったんだけど、パパがそれならとびきりのを作ってあげるから持って行きなさい、って。まだお店に出してない新作だよ」


 千里はそう言って、大きな白い箱をテーブルの上に置いた。

 千里の家は、商店街のケーキ屋さんだ。クリスマスはいつも忙しくて、一日遅れだ、とよく文句を言っている。


「少しだけど、飾りも作ってきたのよ。さあ、早く飾り付けて始めましょう」


 そう言って、萌は袋を開けた。中から、色とりどりの折り紙で作った輪を連結させたおなじみの飾りや、いろんな折り紙を張り合わせたもの、それから丸めた横断幕がでてきた。

 広げられた紙の横断幕には、カラフルなイラストと"HAPPY BIRTHDAY MAHO"の文字が踊っていた。


「これ、皆で描いたんだよ」


 と、横から浩太郎が言った。

 皆の手で、飾りが部屋の中に取り付けられていく。

 あっという間に、部屋の中がカラフルに飾り付けられていった。


「おーし、じゃあ始めようぜ」


 飛鳥が号令をかけ、皆テーブルへと集まる。

 お決まりの歌が歌われ、ケーキに建てられたロウソクに火が灯される。明かりが消され、薄闇の中で真帆は大きく息を吸い込んで、ふうっとロウソクの火を吹き消す。明かりがついて、皆からおしみない拍手が贈られた。

 それから、次々とプレゼントが手渡される。色とりどりに包まれた、思い思いのプレゼントが真帆の手に渡される。

 誰もが笑顔で、真帆の誕生日を祝福していてくれた。真帆は――嬉しいけど、どうしていいか分からなくもあった。

 同時に、ある思いが彼女の胸に浮かんでくる。


「どうしたの? なんか、楽しそうじゃないよ?」


 その様子に気づいたのか、夏海が話しかけてきた。


「ううん、そうじゃないの。すごく嬉しいよ――。だって、一人じゃない誕生日って、覚えてる中じゃ初めてだし。ただね、お母さんがここにいたらな――、って思って」

「きっと、おばさんだっておんなじような事、考えてると思うよー」


 と、千里が言った。


「さっき、マホのおばさんに会ってマホの誕生日のこと聞いた、って言ったでしょ? その時ね、おばさん言ってたんだ。『娘の誕生日も満足に祝ってやれないなんて、母親失格よね』って。だから、おばさんも本当は誕生日くらい傍にいてあげたい、って思ってると思うよ」


 なかなか顔を合わせる時間がないから、会話もあまりできていなかった。

 言いたいことも満足に言えずに、今まで過ごしてきた。その事が始めて分かったような気がした。


「マホは、我慢しすぎなんだよ」


 と、夏海が言った。


「おばさんに苦労させたくない、ってのは分かるけどね。でも、たまには我慢せずに言っていいと思うよ。だって、我慢してばっかじゃ、マホが何を考えて、何を思ってるのか、おばさんだって分かんないじゃん? おばさんだって、マホが自分の思っている事をきちんと言ってくれた方が、マホの事が理解できるし、自分の思っている事も気を遣わずにマホに伝えられると思うんだ。――まあ、あたしみたいにポンポン言い過ぎてしょっちゅうケンカばっかしてるのも問題だけどね」


 うん、と真帆は小さくうなずいた。

 我慢し過ぎか――。


「マホって優しいもんね」


 と、千里が言った。


「でも、おばさんもすごくやさしい人だと思う。お互い優しすぎて、相手に気を遣っちゃうんだよね」

「何となく分かるな、それ」


 飛鳥はうなずいた。


「飛鳥が? 似合わなっ」

「うっせーなー。――うちさ、親が再婚だろ? 親父が再婚したばっかの頃って、新しいお袋に変に気ぃ遣っちゃってさ。なんか、すっげー微妙な空気なの」

「マホの場合とはちょっと違う気もするけどね。で、どうしたわけ?」

「どうしたっつーか、まあ、叱られたんだよね。そん時、初めてお互い思ってた事を言い合えたんだよな。んで、自然とお互いの間にあった壁みたいなのが消えていって――。今はフツーに親子してるぜ?」


 さらっと言ってはいるが、そこまでにはきっと、色々とあったのだろう。

 自分はどうだろう――。胸の中にしまってきた事を、母親に言えるだろうか――。母親は――傷つかないだろうか――。


「とにかく、いっぺんきちんと話してみなって。いい方向にしろ、悪い方向にしろ、そうしなきゃなにも動かないよ?」


 と、夏海は言った。

 そして、トレイに乗ったフライドチキンを一つ手にとって、それを真帆のお皿に乗せる。


「さ、重たい話はここまで! せっかくのパーティーなんだから、楽しくやろうよ」


 真帆はうなずいた。

 それからしばらくの間、楽しい――、本当に楽しい時間を過ごした。

 手渡されたプレゼントよりも、周りの皆の笑顔と、心からの祝福の言葉が嬉しかった――。

 気がつくと、真帆も笑っていた。こんなに自然に笑顔になれたのは、いつぶりかな――。そんな事をふっと考えていた。



 夜遅くになって、母親が帰ってきた。

 真帆はベッドに入らず、リビングのソファに座って、母親の帰りを待っていた。

 夏海や飛鳥、千里の言葉が、真帆の頭の中でグルグルと回っていた。

 そして、真帆の中で少しずつ、決意が固まってきていた。夏海、遙、千里、萌、飛鳥、浩太郎、皆の顔が少しずつ、真帆に勇気を分けてくれるような気がした。皆の手が、真帆の背中を後押ししてくれているような気がした――。


「あら真帆――、まだ起きてたの?」

「うん――。お母さん、あのね――」


 真帆は、口を開いた。

 まず、友達が来て自分のために誕生日パーティーを開いてくれた事を報告した。それから、胸の中にしまっていた事――、ずっと思っていた事、感じていた事、全部包み隠さずに打ち明けた。

 母親は、何も言わず、黙って真帆の言う事を最後まで訊いていた。そして、話を聞き終わると、母親はゆっくりと真帆に向かって、両手を伸ばした。

 一瞬緊張する。真帆はぎゅっと目を閉じた。

 しかし、母親の両手は、優しく真帆の体を包みこんでいた。

 そうっと目を開ける。目の前に、優しい表情をした母親の顔があった。


「ずっと、我慢してたのね――」


 と、母親は言った。

 真帆は、無言でうなずいた。


「本当はね、ずっと思ってた。あたし、これで本当によかったのか、って――。離婚して、二人きりになって。生きていくためには仕事をしなきゃならなかったけど、毎日忙しくて、満足に娘と顔も合わせられなくて、それで何が母親だ、って思ってた。でも、そうしなきゃあたしだけじゃなくて、真帆を幸せにしてあげることもできないんだ、って言い聞かせてた。でも、あたしだけじゃないんだよね――。真帆の事も、考えてあげなきゃダメだったよね」


 母親が自分の気持ちを話している。

 自分が隠していた気持ちを打ち明けたから――? それとも――?


「――母さん、決めたわ」


 真帆を包んでいた手を話すと、母親は言った。


「今の仕事、辞める。娘と会話の一つもロクにできないような仕事なんて、辞めてやる。家の近くか、家でできる仕事を探すわ。少しならあてもあるし。収入はちょっと減っちゃうから、少し我慢しなきゃだけど、今まであたし達がしてきた我慢に比べれば――。それに、二人一緒なら今まで以上に頑張れる。でしょ?」

「――うん」


 真帆はうなずいた。

 少しくらい苦しくたって、お母さんが傍にいてくれれば平気だよ――。

 声には出さなかったけど、そう思っていた。そして、それは言わなくても、母親には伝わっていたようだ。


「さあ、今日は遅いからもう寝なさい。――そうだ、明日はお母さん会社お休みするから、一日遅れだけどお誕生日のパーティー、しよう。今日のお礼も兼ねて、お友達も呼んで」


 世界が変わった気がした。

 勇気を出して、話してよかった――。

 我慢する事も大事。だけど、時にはちゃんと伝える事も大事――。

 だって、伝えなきゃ誰にも自分の事は分かってもらえないから。

 今までで一番の、とびっきりの誕生日プレゼントをもらったような、そんな気がした。

 今では、母親は前の仕事の経験を生かしてライターの仕事を始め、親子の会話も大分増えた。

 笑顔も増えた。そして、幸せもちょっぴり増えた――。

<あとがき>

『東京マグニチュード8.0』の作中で未来ちゃんが言ったセリフ、『誕生日のケーキは丸いのがいいですよね』から膨らませて書いた作品。

テーマは、友情と親子の絆、ですかね。

こんな風に他人を祝福してくれる友達って、きっとずうっといい関係でいられると思います。

大人になって、それぞれの道を歩んでも、どこかでつながっていられるような、そんな友情っていいですよね。

そして、親子はいつどんな時もお互いの事を想っています。

普通はそういうもののはずなんです。

これを読んで、その事を思い出してくれると嬉しいです。

次回は『オレオレ』をお届け予定です。w

お楽しみに☆

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