scene.1「オトウト」
三波の元気がない――。
隆太の知っている三波は、活発で、下手な男の子よりも行動的で、いつも明るくて、クラスのムードメーカーのような存在だ。場合によっては上級生にも堂々と食ってかかり、腕ずくでねじ伏せてしまうくらい気性も激しくて、強い。でも、自分より弱いものに対しては優しく、面倒見がよくて、下級生からは常に頼られる。そんなやつだ。
だが、今日に限っては様子が全く違う。
朝、登校して来た時点で、既にいつものようなパワーが感じられない。
顔色はあまりよくないし、なんだか憔悴しているような感じだ。小学五年生としては比較的背の高い方だが、その背すらいつもより小さく見えてしまう。いつもなら、クラスの男子を茶化しながら席に着くのに、それもせずに真っ直ぐ自分の席に腰を下ろした。そして、ホームルームが始まるまで一度も席を立つことなく、顔は終始うつむいていた。
病気かな――、とも思ったが、違うような気がした。
隆太が知る限り、例え病気でも三波があそこまで元気を無くしたことはない。一言で言えば、異常である。
そもそも、病気であそこまで元気がないなら、普通欠席するだろう――。
説明がつかなかった――。
三波がいつもの調子じゃないと、なんだか気持ちが悪い。さりとて、あの状態の三波に直接訊くのもはばかれる。
そこで隆太は、三波と仲のよい小春にそれとなく訊いてみることにした。
昼休み、小春が図書室にいるのを確認して、彼女の隣に向かう。
「あら、珍しい。リュータが図書室に来るなんて」
茶化し気味に、小春がそう言った。
「いや、ちょっと訊きたい事があってさ――」
「あたしに?」
「ああ――。ほら、三波のやつ、朝から異常に元気ねーじゃん?」
「ああ――。ってか、あんたお隣同士なのに聞いてないの?」
小春は意外そうに言った。
「聞いてないって、何をだよ?」
「ああ――、ひょっとしたらショックを受けないように黙ってるのかなあ――」
「だから、何のことだってばよ」
小春は首をキョロキョロと動かして周りに人がいない事を確認すると、声をひそめた。
「あのね――。昨日の事なんだけど――、死んじゃったのよ」
「――って、あいつん家ペットは飼ってねーぞ?」
「何ボケかましてんのよ――。じゃなくて、ほら、ミナミの弟――」
瞬間、隆太の全身に電撃が走ったような気がした。
「弟って――、トシの事かよ」
トシ――、俊也は三波の四つ下、小学一年生の弟である。
「何でだ――? 昨日は全然元気そうだったぞ――!?」
「あたしも詳しくは知らないけど――。交通事故みたいよ? トラックにはねられたみたいだ、ってママが言ってたから」
嘘だろ――?
心の中で隆太は呟いていた。だが、同時に納得もしていた。それなら、三波があれだけ元気がなかったのにも得心がいく。
「あんまし刺激すんじゃないわよ? ミナミ、ただでさえ相当ショックみたいなんだから」
「分かってるよ」
とは言ったが、放ってもおけなかった。
なにより、あんな三波を見ているのは気持ち悪いし、なによりこっちが苦しくなる――。
それに、別な感情も隆太の心の中に流れていた――。
昼休みが終わり、午後の授業が終わり、あっというまに放課後になった。
三波は、相変わらず誰とも話さず、うつむいたまま教室を出て行く。
隆太は、友達の誘いを断って、その後を追いかけていた。――いや、正確には話しかけるタイミングを掴めずに、後をつけているような形になっていた。
三波は、淡々としたペースで歩き続けていく。なんだか、見ているこっちの方が痛々しかった――。
やがて三波は、商店街通りから路地へ入っていく。新亜間川沿いの道に出て、橋を渡ればすぐに二人の家だ。
路地裏に入って、人の通りが少なくなってくる。この時間帯、この当たりは買い物やらで、あまり人がいなくなる。
――チャンスだった。
「――おい!」
意を決して、三波を呼びとめた。
三波は、少し歩いてから急に気づいたように立ち止まって、ゆっくりとこちらを振り返った。
目の周りが少し腫れぼったく、目が真っ赤に充血している。いつもの三波とは、程遠い顔だった。
「――何?」
ひどく弱々しい声でそう返してきた。
「トシの事――」
「――おばさんから聞いた?」
「いや、母さんは何も言ってねえ。――ハルから聞いた」
そう、と三波は言った。
「じゃあ、知らないんだね」
「何を?」
「あたしが――、殺したってこと」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「言ってる意味、分かんねえぞ?」
「そのまんまの意味。俊也ね、あたしが殺しちゃったの」
「だから、どういうことだってばよ」
もう一度隆太がそう言うと、突然三波は、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めたのだった。
「あたしのせいで――、死んじゃったの。あたしが、つまらない事でケンカしちゃったから――。いつもなら、あんな事でケンカになんかならないのに――。だから――、あたしが殺したの」
感情が高ぶってしまったのか要領を得ないが、どうにか解釈するならこういう事だろう。
三波と俊也は些細な事でケンカ――といっても三波は自分より弱いものには絶対手は出さないので、口論だったのだろうけど――をしてしまった。その結果、俊也は飛び出してしまい、はねられてしまった――。
どうやら、三波は弟の死の原因が自分にあると思い込み、自分を責めているようだった。
隆太は、どう声をかけようか迷った。下手な事を言って三波の神経を逆なでする事は避けたい。でも、このまま自分を責め続け、おちこむ三波を見るのはもっと嫌だった。
「トシは――」
「――え?」
「トシはどう思ってるんだろうな」
と、隆太は言った。
「そんなの――。きっとあたしの事を憎んでるに決まってる。あたしとケンカしなきゃ、死なずに済んだんだし――」
「本当にそう思うか?」
まっすぐ、三波を見つめてそう言った。
「オレは――、そうは思わねえ。トシは、そんな事思わねえよ」
「でも――」
「オレの知ってるトシは、そんなやつじゃねえ!」
三波の言葉をさえぎるように、隆太は言い放った。
「オレの知ってるトシは、優しくて、思いやりがあって、姉貴の事が大好きで、すぐに他人に気ぃ使っちまうようなやつだった。間違っても、姉貴のせい、なんて言うようなやつじゃねえ!」
三波は、何も言わずその場に立ち尽くしている。
隆太は、さらに続けた。
「きっとトシなら、自分が死んじまった事でお前やおじさん、おばさんを傷つけたんじゃないか、って心配してると思う。――だから、そんな風に自分を責めんな。自分を傷つけんな。そんな事してたら、逆にトシが悲しむじゃねえか。したらトシ、天国にも行けなくなっちまうぞ。だから、笑ってやれ。それが無理ならせめて、自分は大丈夫だぞ、ってとこをトシに見せてやれよ。トシが安心して天国に行けるようにさ」
足りない脳みそと、未熟な心で一生懸命考えた言葉だった。
三波は何も言わない。じっとこちらを見つめている。しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
不意に、三波が笑いをこらえるような仕草になった。
「――ってか、なんであんたが泣いてんのよ」
知らないうちに、隆太の目から涙が溢れ、頬を伝い落ちていた。
「う、うっせ――。しゃーねえだろ、だって――」
俊也は三波の弟だ。――だけど、家が隣同士と言う事もあって隆太ともよく遊んでいた。一人っ子の隆太にとって、俊也は憧れの存在でもあった。
隆太の母親は、彼を生んだ後子供を生めない体になってしまったため、兄弟を持つ、というのは隆太には叶わないことだった。俊也のような弟は、隆太にとって手の届かない存在だった。
それだけに、隆太も、俊也の事を本当の弟のようにかわいがっていた。気持ちは――同じだった。
「だって――、悲しいんだからよ。他人だけど、オレにとっても俊也はでっかい存在だったから――」
また、しばらく沈黙が流れた。
そして、唐突に三波が吹きだした。こらえきれなくなって声を出して笑い始める。
「な、何だよ――」
「アハハ――ハ――、ごめんごめん。あんまり可笑しかったからつい」
笑いをこらえながら、三波は言った。
「――でも、ありがと。おかげで、ちょっとだけ苦しいの、ましになった」
その言葉どおり、ほんの少しだが、いつもの三波が戻ってきたようだった。
二人は連れ立って歩き出した。新亜間川に出たところで、二人は河川敷へと降りていく。
その途中で、三波が小さく言った。
「俊也はね――。あたしの目の前ではねられたの。でも、しばらくは息があってね――。『おねえちゃん、ゴメンね』って、意識がなくなるまでずっと繰り返してた――。あたし、どうしていいか分からなかった――。俊也の声がずっとあたしを責めてる気がして、どうにもならなかった。悲しくて、苦しくて、それでも自分で自分を責め続けないと、自分を保てなかった」
隆太は、黙って三波の話を聞いていた。
河川敷に降り立つと、二人は川岸の芝の上に腰を降ろした。
「だけどね――。リュータが言ってくれたおかげで、ちょっとだけど楽になった。自分ではどうしてもそう思えなかった。けど、他人に言ってもらえたおかげで、なんとかそう思えそう。――ううん、他の他人じゃなくて、リュータだからそう思えそう、って思えたのかも。説得力っての?」
川面が夕陽を反射して光っている。
キラキラと跳ねる光が、いなくなった者のメッセージを伝えようとしているかのように見えた。
三波は立ち上がった。そして、川面に向かって思いっきり大きな声で叫んだ。
「俊也ー! あたしは大丈夫だよ! もう、自分を責めないから! 悲しいのも、苦しいのも、きっとずーーっと消えないだろうけど、頑張って生きてくから! だから、安心して行っといで!」
隆太も立ち上がった。そして、三波に倣って叫ぶ。
「オレもいるぞ! ミナミもオレも、いつだってお前の傍にいるぞ! だから――、寂しくなったらいつでも話しかけてこいよ!」
夕陽に声がこだまする。
二人の思いのたけを込めた言葉が、川面に、夕陽に染みこんでいく。
もういない――。だけど、いつも傍にいる――。
かけがえのない絆がそこにあるから。それは、決して無くならないものだから。
そして、また歩き出す。この道が尽きるまで歩いていく。それが、自分たちにできるただ一つの事だから――。
「あ、そうだ――」
唐突に隆太が言った。
「さっきの事、誰にも言うなよな」
「さっきのって、ひょっとしてリュータが泣いた事? なんで?」
「……男はいろいろあんだよ」
「子供ねえ、やっぱリュータって」
「子供ゆーな!」
いつもの笑顔が戻っていた。
いつもの日常が戻るまでには、時間がかかるかもしれない。
でも、少なくとも、心に刺さっていた棘は抜け落ちたようだった。
川面に反射した光が、二人の様子を見て微笑むかのように、煌いた。
第1回「オトウト」いかがでしたでしょうか。
初回は兄弟と幼なじみを軸にお届けしました。
出会いと別れは、いつ何時突然訪れるか分からないものです。
たくさんの出会いと別れを繰り返しながら、ひとはオトナになっていきます。
彼らの道は、まだまだ始まったばかり。
これからどのような道を歩んでいくのでしょうね。w
さて、次回は『タンジョウビ』をお届け予定です。w
お楽しみに☆