三話
七月下旬、春夏秋冬の四季を持つ日本には夏が訪れるとはいえ夜には涼しい風が吹く。日が長くなったおかげで夜の時間は相対的に短くなったのに悪いことをする人間というのはこぞって夜を好むおかげで真夏の夜は悪が濃縮される。
長瀬が運転する車の助手席に御園は居た。御園側の車窓を全開にしているので長瀬は風に強く煽られ迷惑そうに御園を眺めている。
時刻は23時50分。長瀬が御園を迎えに行ってから既に5時間強が経過していた。二人が仕事で長時間一緒にいることは珍しい事ではない。今回の仕事のようにターゲットが都合のいい場所に行くまで待つことがあるからだ。二人は今あるグループの運転する車を遠くから追跡していた。
今回の仕事のターゲットは3人、麻薬販売をするグループの構成員だ。彼らは一度ヤクザと交戦していて警戒レベルが高まっている。ヤクザだって日中堂々と彼らを襲ったはずがない。不意打ち、騙し討ち、闇討ちをしたはず。突然5体1で囲まれたとして普通の人間ならそのままリンチましてやヤクザ相手だ、いくつか風穴が空いていてもおかしくはない。
それでも彼らを殺せなかった。
つまり3人はヤクザの襲撃を避けるまたは返り討ちにする何らかの方法か強さを持っていることになる。
「もしかしたらヤクザが律義にタイマン張ってたのにあっちが3人で袋にした説もあるんですけどね」
「そんな元寇みたいなことある?」
「それだと俺たちはさしずめ神風ってとこですかね」
「神風特攻隊出撃!」
「あれ?」
信号待中にグオンとエンジンをならす長瀬。街道を歩く人間の視線が一瞬こちらを見るのを見てお前らさえいなければとっくに奴ら3人ブッ殺して帰ってるよ、と内心毒づいた。同じ考えを持っているであろう長瀬をちらりと見たが彼女は前方に集中していて御園を気にしていなかった。きっと彼女に運転を教えた教官はさぞ腕が良かったに違いないと御園は思った。
することもないので仕方なく御園は事前に用意された3人組の写真を眺めた、何度も拝んだその写真に写っている彼らの人相はサラリーマン、ヒップポップやってそうな奴、半グレに誇り持ってそうな奴、と御園も最初見たときはこんな如何にもなバランスの売人グループっているんだなと思った。長瀬と二人でどの漫画に出てきそうか暫く議論したことを思い出す。
「結衣さんが居なければいっそ本当に神風特攻しても良かったんですけどね」
「私がいる理由は御園君がそういうことするのを止めるためだよ」
そういうのはもっと大きな依頼とかでやるもので費用対効果が云々、と長瀬が続けるのを聞き流す。
(車一つおしゃかにするのも惜しむくらいに安く買われたのかこいつら)
安い命だ、と御園は写真に写る面々を哀れんだ。命の価値は平等なんて考えは当たり前にない。
閑話休題。
どうやら売人グループの車は駅前の有料駐車場に向かっているらしい、助手席に座る御園はカーナビのマップから行き先を予測する。当然、目的地が駐車場だという事はないだろう。車を置いて向かう場所がある筈だ。
「どこに行くんすかねー」
「さぁ?」
カーナビに表示されている名前からスマホで調べてみると、どうやらそこには4台までしか止められないらしい。御園はそのことを長瀬に伝えると彼女は渋い顔をした。
「その場所は狭すぎる。広くて車でいっぱいの遮蔽物があったなら良かったんだけど」
「そんなとこにこいつらが行くわけないじゃないですか」
「そうなんだよねえ」
売人グループがヤクザの襲撃を受けたのは最近のはず、彼らとて進んで狙われやすいところにはいかないだろう。それは長瀬にも分かっている。だからこそ悩んでいる。
ここを狩場にするかを。車を置くスペースが少ないというだけでも訪れる人は減る、人がいなければいないほど御園達の仕事には都合がいい。
「たぶん、ここ過ぎたらどっかの建物入っちゃいますよ」
御園はさっさと終わらせるためにそれっぽい理由を上げていく。ここを逃したらまた5時間粘るなんてことになるのはごめんだと御園は必死だった。
「そう、そうだね。うん、そこにするか」
こうして三人の処刑場は決まった。
麻薬密売人の烏山は超越した。いや正確に言えば超越したと思っている。
以前までの彼は人生の中悪い先輩、悪い上司そんな輩に頭を下げて媚びへつらって取り入ってきた。まっすぐの道を諦め蛇の道を行ったつもりがそこはすでに先人たちにコンクリートで舗装された道。無頼を気取るにはしがらみが多すぎた。裏だからこそ表より緩いところもあるがだからこそ厳しいところもある。そんな覚悟はしていたつもりだった、しかし開けてみればその道は先人たちが落伍者たちを手駒という名の商品にするための工場でしかなかった。無頼と憧れてみた男達はいまやその工場長にしか烏山には見えない。
それならばたまにあぶれてその工場からも規格外品として処分される者たちの方がよっぽど烏山には無頼として、任侠として輝いて見えた。
だからだろうか鳥山はその道を外れてしまった。はじめは儲かるからと麻薬を売り捌くように勧められ実際にいくつかの袋を買わされた。こんなものを持っていても自分には無用の長物だと、そもそも誰にどう売れというのか。そう思っていたのだがどうやら麻薬の使用者というのは鼻がキくようで、一度所持を匂わすと即座に嗅ぎつけてきた。
なるほどこれは面白い、次々と鳥山のスマホにはメッセージが飛んでくる。
ネットを介して行われるこの取引はヤクザな先輩たちのケツモチもいらないので上納金の必要がないというのが、頭のあがらない烏山には魅力だった。
しかし、鼻がキくのは何も薬物使用者だけではなかった。ある日、金のにおいを嗅ぎつけたヤクザが烏山の元にやって来た。
「お前を郡山さんが気に入ったらしくてな、子分にしてやろうって話だ」
郡山とは烏山の先輩の先輩の上司でヤクザでもちょっとした役職を持った人間で、烏山も飲み会何かでは姿を見たことがあるが、話したことすらなかった。
いきなりなんの話だと烏山には分からなかったが断るわけには行かない、この世界は縦社会で上には逆らえない、そもヤクザになるというのは任侠に憧れる烏山にとって悪いようには思わなかった。任侠なんてものは映画の中だけだ、それは郡山に会ってすぐに烏山は思い知った。
「お前、商売がうまくいってんだろ?世話してやる兄貴分にも礼もないのか?」
最初から郡山は烏山が出す利益に目を付けていただけだった。結局、烏山は売り上げのいくらかを払うことになった。まだこの時烏山は耐えられていた。耐えられなくなったのはスマホにあるメッセージが送られてからだった。
『もっと安くしないと警察を呼ぶぞ』
このメッセージを見たとき烏山の堪忍袋の緒は切れた。
ヤクザにいいようにされてカタギになめられることに耐えられなかった・
(俺はなんなんだ?何をしている?表の道を諦めて裏で生きるんじゃなかったのか?それが表からも裏からも軽んじられて?へこへこ頭下げて金を取られる?)
冗談じゃない、烏山は叫ばずにはいられなかった、そうでもしないと湧き出た感情を自らで押さえつけてまた同じ毎日を送るために冷静に処理してしまいそうだったから。
そして烏山は壊れることを望んだ。
コカインに混ぜ物をしてクラックコカインにして売り捌いた、縦社会の掟、上の言うことは絶対を破って好きなように商売をしてみた、郡山に金を払うのも拒否した。磁石みたいに仲の良かった人間が上の人間に圧力が掛けられているのだろう、はたまた危うきに近寄らずの精神か、反発するように離れていくのを実感して烏山は歓喜した。
(これが無頼か)
そんな感想が出てくる時点で烏山はいつかこの道から離れていたのだろう、しかしこのままでは烏山は表からも裏からも弾かれた落伍者だ、遠くない内にその存在などなかったように消されるだろう。
しかし、確かに烏山は超越した。
超越とは枠を超えるということ、表と裏どちらに枠にも当てはまらない存在になったのだ。
烏山浩一は超能力者だ。
能力は自分を二人生み出すこと。生み出された二人は自分とは似ても似つかないが、どちらも自分が表と裏でまっとうに生きればなるほどこんな風になるのかも知れないと納得した。二人の名は『鮫島』と『山上』というらしい。
烏山はこの能力を『超越』と名付けることにした。
この二人の似ていないところ顔だけではなかった、どちらも烏山がなりたい自分を映し出したかのようなのだ。
例えば表でエリートになっていたらこうなっていただろうという『鮫島』は気遣いのできて、世界情勢や株価、世間体のいい大人の男だし、裏で生きてきたような『山上』はヤクザの襲撃にいち早く勘づき、逆に撃退してしまった。
そんな二人が烏山の命令に逆らうことはない、それも烏山の能力の範囲だからだ。
調子に乗った烏山はそのまま追ってくるヤクザを返り討ちにさせ続け、『鮫島』と逃げる計画を立てていた。
だがその前に種銭である薬物を回収にしなければならないと烏山は思いリスクを承知で駅前に向かった。そこで車を近場の駐車場に止めたときだ。
「誰か来る」
超感覚を持つ『山上』が反応した。
この男がなんらかの反応をするときはたいていが敵意を持った人間がやってくる時で、そのおかげで何度も烏山達は(二人は人というより能力なので達というのは少し違和感があるが)助かっている。
「数は?」
『鮫島』が聞いた。
「一人だ、行ってくる」
『山上』は刀を握りしめて車から出ていった、烏山は彼が銃弾を刀で切り飛ばすのを目の当たりにしている、信じられない光景だったが、そも自分が超能力で人間を生み出しているのがおかしいのだから今更だと思い笑みがこぼれる。
だから彼がひとりで行くことにも何の心配もしていなかったしヤクザが駅に張っているというのは厄介だが障害にはなりえないと信じていた。むしろ今更たった一人寄こして何になるんだとヤクザを小馬鹿にする余裕さえあった。