女剣士と壁
この短編はこれから書く小説の試験的短編になります。
連載自体はまだまだ先の、最悪1年後の目処すら立っていませんが、
気に入ってくれた方は雰囲気だけでも覚えていただければと思います。
ここに壁がある。
この壁はこの鉄と石の都市を形作る重厚な石造り。
都市建築とは積み重ねの歴史であり、石壁はまさにその象徴だ。
石を一つ一つ、ほころびのないように丁寧に積んでいく。
当然最初の一段、最初の一つ目が肝心なのは言うまでもない。
「この壁の最初を積んだ者はどんな人物だったのだろうか」と、
想いを馳せるのも面白い。
しかしその歴史ある壁に一つ、寄りかかっている私には、
待てども待てども仕事の依頼主がやってこない。
久しぶりの仕事で充実した日になるだろうと思っていたのに、
今日を積み重ねる第一の出来事が、やってこない。
そこで今回は暇つぶしとしていつもここを通る、
この猫と遊んで依頼主を待つことにする。
これはつくしの穂を綿の紐でくくりつけて作った猫じゃらしだ。
それを勢いよくぐるんぐるんと円状に振り回す動作。
今までどの生物も実現したことがない立体的な軌道、
夏場の生存競争に死力を尽くす蚊にすら、この再現は難しいことだろう。
ましてや私の剣の腕前は、この都市で比類なきモノだという自信がある。
この滑らかさなつくし捌きにはどんな猫も、イチコロのはずだ。
……はずだったのだが。
彼はそれに視線だけは向けてくれるものの、
その顔は興味というよりは奇異へ対しての警戒。
どうにもノリきれないようである。
おかしい、一昨日彼と戯れた時はこれで良かったはずなんだが。
前回と同じならば道具が悪いはずはない。
考えられるのは私のテクニックか、
あるいは思考か。
――――まずはどちらが正しくないのかを、このもう一振りで見極める!
ひゅるんっ
じとり。
うぐっ!?
ど、どうして紐つくしではなく私の方を見つめるんだ!?
前より良い線を切る素晴らしい振り方だったはずなのに、
いよいよ穂にすら興味を示さず私を見つめる!
そ、そうやって見つめるんじゃない!
ワケが理解出来てない以上、余計に恥ずかしい!
何故彼は、疾風にも優るこの穂の動きを見ないんだ?
つくしの穂なんかには飽きてしまったのか?
いや、それだったらそもそも私を見向きもしない。
猫は寝る子、興味がなければ惰眠を優先するはずだ。
だったらどうして、こちらだけを見つめて、そのまま動かないんだ?
考えるしかない。
考察に耐えうる事象はもう3つもある、それで十分のはずだ。
1つ目は一昨日。
彼は私が適当にぶんぶん振り回すだけで大喜びだ。
2つ目はついさっき。
今日は絶好調のつもりだったが、彼の機嫌を良く出来なかったようだ。
3つ目はたった今。
彼は私だけをじとりと見つめた、まるで何かを訴えかけるように。
……"じとり"、だと?
私が振った一振りが虚しく宙を舞っている間、
彼は一時も目を離さず、"じとり"とそれを振るう私だけを見ていた。
俺をからかって遊びたいんだろう? と冷めたように"じとり"と私を。
そう、冷めた瞳だ。
私へ向けた、冷めた瞳。
――――なるほど、謎は解けた。
正しくなかったのは、私の思考の方だったようだ!
「ほらっ、これだ!」
私は地面に手を這わせ、握った物を彼らに見せつけるように投げた。
彼はソレを見逃すことなく、真っ先に追いかけ走った。
これはなんてことのない、ただの石ころさ。
彼目線では飛び去る小鳥にでも今だけは見えるかもしれないが、
地面に落ちてしまえば途端にくだらない置物、それだけの存在だ。
だがそれだけの時間を稼げれば、十分。
「チチチチ、チチチッチッチッチッ」
さぁ、そろそろ気づいてもらえただろうか。
キミがくるりと音のする方向へ振り返ったときに。
ソイツはいるはずだ。
――――しっぽだけが壁からはみ出た生き物が。
そう私は、猫にバレないよう曲がり角に隠れることにしたのだ。
動くものだけを追いかけたい猫にとって、獲物は生き物が最適。
ピクリと動きもしない私自身の存在は、紐つくしが異物である動かぬ証拠だったのだ。
猫にとってつくしが、赤子のゆりかごのように揺れる毛玉の理想郷であるならば!
穂以外の部分は、それを魅力的に動かすだけのみっともない現実!
壁は、紐と私という虚構的な部分だけを隠す事ができる!
そして、虚構を全て隠しきった壁は生み出す。
――――猫にとって至上の、空想上の生き物を!
「食いついた! ついに来たか!」
手を伸ばした!確実に!
実感があるという事がこれ程嬉しいのは、家族の仇を取った時以来だ!
ふふっ、今少し涙も出ているのかもしれない。
仕方のないことだ、ついにやり遂げたのだから。
やはりこれは、謂わば猫にとってのヴァーチャル・リアリティ。
向こうの世界の子供が、中身の見えない着ぐるみを好むように、
彼ら猫もまた、糸の存在しない動物の尻尾が大好きなんだ。
これは現世を生きる私の、新しい発見だ!
「まぁもっとも、壁を越してしまえばその現実に萎えるんだろうけどね」
紐を引っ張り、より好気をくすぐろうと欲張った私は、
対面の瞬間に彼の爪から、ポトリと穂が離れるのを見逃さなかった。
猫が嬉々として曲がり角を曲がった先に、私がいる。
その事実だけは現状どうしようもない。
案の定「嫌なモン見ちまったゼ」という怪訝な顔をして、
彼はぽてぽてと去っていく。
……これは彼らとの付き合い上の、目下の課題だな。
「なるほど猫よ、キミからは一つ学ばせてもらった。この次私がどんな極上の娯楽をキミにもたらすのか、楽しみに待っているといい」
「にゃー」
「それは了承と受け取ったよ」
今日は、実りのある良い日だった。
――――気持ちよく寝れそうだ。
「あの、勝手に盛り上がって帰ろうとしないでください。仕事あるんですけど」