あいさつ。
まだ、膝はひりひりするけど、冷やしたおかげか少しはよくなった。顔が赤いから、擦ってるんじゃないかって言われたけど、前髪を開けて確認しても、何もなかったみたいだし、打ったとこも、骨とかはおかしくなってないみたいで、それについてはちょっと安心する。始業時間まで休んでていいって言われて、その言葉に甘えさせてもらう。人がいることはあんまり得意じゃないし、それだったら、保健室のほうが、まだ落ち着く。それに、さっきの人のこと、まだ何も聞いてない。
「ごめん、急いだけど時間ギリギリだね」
「それは、仕方ない、ですよ……」
がらがらと音を立てて、さっきの人が入ってくる。ボストンバッグをリュックみたいに担いで、ラケットのケースを肩にかけていて、ポニーテールだった髪も、いつの間に下ろしてる。多分、声が同じじゃなかったら、気づかなかったかもしれない。上履きのラインが、わたしと同じオレンジ色で、ちょっとだけ安心する。大分新しい感じだし、多分、高校から入ってきた人、なのかな。
「そっか、ありがと。……うーん、でもさすがにもう時間ないね」
「え、えと、そう、ですね……」
「そっちも高校一年なんだよね、だったら教室まで送るよー、何組なの?」
えっと、……こういうとき、どう返すのが一番いいんだろう。この人のこと全然聞けないまま、時間だけ過ぎていく。
「四組、ですけど……、その、それは、さすがに悪いです……っ」
「わたしは二組だから、ちょっと遠いけどね、でも、こっちが迷惑かけたからいいの、お返しお返し」
「それ、じゃあ、お願いします……」
結局、流されるまま、送ってもらうことになってしまう。膝も、さっきよりは大分よくなった。今日は体育もないし、氷も返しておくことにする。まだちょっと違和感はあるけど、打ったときみたいにじんじん痛むってわけじゃない。
保険医の先生にお礼を言って、教室までの道をゆっくり戻る。もう、始業時間まであと少し。ざわめきが包む廊下を、のんびりと二人並んで歩く。
「あ、あの、……そういえば、どちら様、ですか……?」
「あっ、そういえば言ってなかったね、わたしは小山田恵理だよ」
指で空中に文字を書いてるのを見て、どういう風に書くのかもなんとなくわかる。今まで聞いたことのない名前だから、高校からの人なのかなっていう予想に補強もされる。小さい山田に、恵に理科の理。なんか、いい名前だな。わたしなんて、変なところで名前どおりになってるのに。
「わ、わたしは、の、野々原茜、です……」
わたしも、おんなじように、指で空に文字を書く。変な名前って、笑われないかな。ちょっと、手が震えそうになる。
「そうなんだ、よろしくねっ」
「よ、よろしく、お願い、します……っ」
自然にでてくるような、屈託のない笑顔。おかしなように思われてないのはほっとしたけど、……そんな顔で、見ないでよ、わたしのこと。なんか、惨めになるから。こんなんでびくついて、頭の中で沸騰してるみたいに熱くなってるのが。
逃げたいし、教室なんてもう、すぐ着いちゃうのに。もう大分人の多くなってて、入るのにすら躊躇してしまう。
「あのさ、またどっかで話せない?さっきのこと、まだ聞けてないし」
ちょっとだけ、話してみたいような気も、しなくはない。だけど、まだ、怖い。……だけど、今は、興味のほうが、少しだけ強い、かもしれない。
「その、わたし、話すの苦手だから……、ラインでだったら、いい、ですよ」
「ありがとーっ、早速だけど交換しよ?」
立ちどまって、スマホを取り出したのも、相手のほうがずっと早かった。なんというか、羨ましいな。わたしも、これくらいアクティブにできたらよかったんだけど。私が取り出す前に、もうQRを出して準備していた。
「う、うん、……この『えり』さんで、合ってます?」
「うん、それでいいよ」
早速、友だちに追加して、「2」だった数字が、「3」になる。本当に、こんなので、友達になっちゃっていいのかな。
「うん、入れた……はず」
「あ、来たよ、……本名って、真面目なんだね」
「そ、そういうんじゃ、ないです、けど……」
多分、向こうは、わたしよりもずっといっぱい友達なんているのに。何十分の一人で、こんなに喜んでくれてるんだ。
「じゃあ、こっからよろしくね、茜ちゃん」
「え、あ、はいっ、お、小山田さんっ」
顔の奥、もう、ぼうっとするくらい熱い。つい、顔を抑えそうになって。今じゃ、余計に勘違いされそうで踏みとどめる。わたしの教室も、もうあとちょっとだし。
「じゃあ、またねっ」
「は、はいっ」
少し重めの足音が足早に遠ざかって、わたしは、そのまま動けなくなりそう。今更、膝が痛くなったんじゃなくて、どうすればいいか、わかんなくて。やっと教室に入って、席に座れたのは、チャイムの余韻が消えかけた時。