しらない。
「じゃあまたね、茜ちゃんっ」
「ええ、……それでは」
わたしの教室まで着いたところで分かれて、……左の手が、まだ熱い。恵理さんに、一瞬握られたところが。その時を思い出すだけで、痛くて、体が熱い。それだけなら、嫌な記憶になるはずなのに、嫌じゃないし、体が、ふわふわする。
午後の時間も、あまり集中力が出せたとはいえない。午前中とは、別の意味で。お昼のこと、まだ頭の中で離れてくれない。
恵理さんの手、むにむにして柔らかいのに、けっこう、力が強かったな。多分、わたしが強引に離そうとしたってできないくらい。心も、強引なくせに、大事なとこだけ優しくて、いつの間にか握られて離せない。……どんなの、作ろうかななんて、頭の中が埋め尽くされるくらい考えてるほどに。
心の中の何もない、静かな海は、今日の一日だけで大荒れになった。……全部、恵理さんのせいだ。あの朝に、わたしを見つけないでいてくれたら、こんな事にはなんなかったのに。振り回すだけ振り回してくるし、わたしの事なんて、見ないでいてほしいのに、じいっと見つめてくる感じ。それなのに、突っぱねる勇気を持てなくするくらいには優しくて、あったかい。
終業のチャイムの音。一応、最低限のノートだけは取れた、はず。少し先生がお話して終わりのはずだった帰りのホームルームで、プリントが回ってくる。りんりん学校、……じゃなくて、臨海・林間学校の出欠の確認書。それだけ終わると、クラスの中が浮足立つのがわかる。世情に疎いわたしにさえ、いろいろな情報が流れてくるし、盛り上がるんだろうな。臆病で、一緒にはしゃげるような友達もいなかったから、一度も行ったことはないけれど。
……恵理さんだったら、楽しめるんだろうな。『友達』とは言ってくれたけど、そんな自覚は全然ない。なんで、わたしのことばっかり、気にかけてくれるの。そんなこと、訊けるわけない。恵理さんといるときは、気持ちに名前を付ける前に、別の気持ちに押し流される。それが終わると、わたしの持ってる言葉では表せないもやもやだけが残る。それをくすぐるように、また、スマホが震える。
『りんりん学校って面白そうだけど、茜ちゃんは行く?』
恵理さんは、まだ行ったことがないんだろうな。あの、明るくて花が咲くような声が、頭の中で流れてくる。優しいのに、逸らさせてくれない目線も。背中の真ん中が、ぞわって震える。
『わたしは今のところ行かない予定です。』
震えかける手で答えを打って、送信ボタンを押す。既読は一瞬で着いて、寂しそうな顔が浮かぶ、そのとき、……何でか分からないのに、そんなに親しい仲でもないのに、わたしまで、胸が痛んだ。