靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで
靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで
ショタがずっとショタで強くて強いから
スゴくイイと思います。
そんな感じ。
柔らかい文体と反してソリッドな読み応え
短編連作形式の世界観提示はいうなれば
なろう界のフロム。
手がかりを集めてるうちに読んじゃう。
くやしい……ビクンビクン。
http://ncode.syosetu.com/n6631de/
それはまさしく物語の始まりを告げる情景。そして同時に、なんとも胸の躍る風景。夢を見る人すべてに共通するであろうこの感情。見たこともないはずの世界への郷愁を感じさせる物語。それが、今回解説する作品。『靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで』だ。ああ、このタイトルから溢れるパノラマ。図書室で昼休みに読んだ、あの冒険物語たちを思わせるそれについて、「お約束と独自性」をテーマに、存分に語ろうと思う。
作者の特徴的な筆致――いうなればパステル調とでもいうべきか、朴訥とした水彩絵本を思わせるそれで描かれる「ダンジョンと冒険者と剣と魔法の世界」は、およそ「なろう的」である要素を多分に含みながら、まるで幻想文学の古典を紐解くかのような手触りを感じさせる。これは読者層を見定めて取捨選択された「お約束」と、この物語だけの「独自性」の高度な調和のなせる業だろう。
「なろう系ファンタジー」といえば、つまりそれは超人的な剣士や、超常的な魔術師、邪悪なモンスター、ジョブ制やスキル、そしてなにより『冒険者』だろう。これらについて説明はいるまい――そう、説明は要らないのだ。なぜなら、これらは「お約束」だからである。
小説を書くにあたって、「お約束」は作者と読者の強い味方であり、ある種の共犯関係の産物である。作者は「このくらいはわかっていますよね?」とあてこみ、読者は「これはこういうことでしょう?」と決め込む。ハイコンテクスト、とも言われるこれらの存在は、小説の可読性とスピードを高め、没入感に一役買う。
しかして同時に、これらの多用はつまるところ陳腐化であり、まさしく(一部)読者の忌み嫌うところのテンプレ化であろう。
この物語においても、「お約束」は「お約束」として厳然と存在する。
そして読者は驚くことになる。――なんで、こんなにもこの「お約束」が輝くのか、と。
短編連作の形式を撮るこの物語は、主人公に当たる冒険者のメル――冒険者たちに「メルメル師匠」と呼ばれる年若い、若すぎる少年――を中心に据えて展開する。あくまで短編連作であり、連載の長編ではない。そのため、時間軸は前後し、メルと関わり、出会い、あるいは去っていく人間関係が常に流れ行く。
なろうにおいて主流である「ある英雄のサーガ」とでもいうべき、時系列順の長大な物語とは一線を画す仕掛けであり、つまり、この物語の「独自性」だ。
興をそぐので、あえて多くは延べないが――、読者は何気ない日々を描く物語の中で、幾つかの謎を追いかけることになる。それは決して、私たちが現実に暮らす日常の中では見出しえない遥か果ての世界の不思議であり、そして、優しく、柔らかに描かれたこの世界の、得難い幸ある日々の結実だ。
ともすれば難解になり、空中分解を起こしかねないこれらの物語を、一連のタペストリとしてつなぎとめる経糸こそが、「お約束」であり、だからこそ、それらは輝いて見える。
この世界は私たちが慣れ親しんだ「剣と魔法のお約束の世界」であり、それと同時に、手繰っても手繰っても生き果てない「未だ知らない世界」でもある。安心と好奇心。既視感と驚きが、心地よく反復するハミング。
この世界を旅する者は、ちりばめられた「お約束」の光を頼りに進みながら、溢れるような「独自性」と創意に目を見張る。
私たちは故郷へ帰るようにこの物語を読み、最果てへ旅立つようにこの物語を読むだろう。
行きつ、戻りつ、時にさまよい、そして手を引かれながら。
――冒険ものの最大の「お約束」といえば、読了感が「郷愁」か「夢想」かの二択であるが、そのお約束の両方を同時に感じてしまうとは、なんと「独自性」にあふれた物語だろうか。
なお、今作は2018年8月31日に見事完結した。ささやかではあるが、この解説をもって労いと称賛に代えさせてもらおうと思う。
おめでとうございます。お疲れさまでした。
『靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで』
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