カボチャ頭のランタン
クソ解説
カボチャ頭のランタン
ショタみの強いショタがうでっぷし
の強さとショタみの強さを押し出しつつ
迷宮とかスラム街とかコロセウムとかで
残虐ファイトする。
かつ濃厚なおねショタを繰り出し
読者はしぬ。
文章量と描写の緻密さでもしぬ。
ヒロインのアホの子かわいいみでもしぬ。
https://ncode.syosetu.com/n0187bq/ #narou #narouN0187BQ
「小説家になろう」に投稿される作品の中で、大いに読者の支持を集め、綺羅星のような名作が次々と生まれるジャンル、というものは確かに存在する。所謂「テンプレ」と呼ばれるそれの是非についてはこのエッセイの趣旨から外れるのでこの文章では触れないが、今回紹介する「カボチャ頭のランタン」は、(誤解を恐れず言えば)このテンプレ要素を多分に含んだ「テンプレ小説」といえるだろう。
「現代日本から転生した主人公が」
「由来のわからない不可思議な力を身に着け」
「不思議な迷宮を探索する荒くれ物の一員となり」
「周囲から一目置かれる存在として台頭し」
「手ひどく扱われていた奴隷の少女を助ける」
――というシーンから、この物語は動き出す。あえて列挙したこれらの要素は「小説家になろう」で様々な作品に触れる読者なら一度とならず目にしたものだろう。
しかしこの作品は没個性な「テンプレ小説」ではない。むしろ、この作品と比肩しうる作品というものはなろう登録作品を見渡しても決して多くはないだろう。そしてこれから先も果たして現れるかはわからない。
一見にしかず、一度、最初の1ページだけでも作品を見てもらえば、私の言にも納得してもらえるだろう。
この作品は、凄まじいまでの緻密な描写と、それを「読ませる」文章力を持っている。
なろう小説界隈でしばしば重視される要素として「読みやすさ」があげられるだろう。改行を多用し、描写は簡潔に。台詞の配分を増やし、削れる地の文は削る。こういった「小説の手引き」を目にしたことのある読者も少なくないことと思う。
「カボチャ頭のランタン」において、こと上のテクニックは使用されていない。
詩的でさえある文章により、空に舞う土埃まで見える程の解像度で紡がれる「迷宮都市」の物語は、暴力的なまでのリアリティをもって私たちに迫ってくる。決して私たちの日常と重なるところのない、過酷にして剣呑な探索者たちの世界にひとたび陥ったならば、そこから抜け出ることは容易ではない。まさしく迷宮に迷い込んだかのように。
そして肺の中まで「物語の空気」で満たされた読者が触れるのは、ミステリアスでありながら単純で、図太くも繊細で、強かでありながら弱々しい、主人公「ランタン」の心の内である。
その緻密な世界描写と同じように、あたかも実在の人物の回顧録かと見まごうばかりに入り組み、千々に乱れ、それでありながら一歩一歩を踏みしめ歩いていくランタンの旅路は「現実的」と形容するのすら生ぬるい実在感を私たちに与える。
いま現実に生きる私たちがさまざまな側面をもち、意識的に(あるいは否応なく)それらを見せつ隠しつ生きているように、ランタンと、彼を取り巻く登場人物たちの思惑と願いは交錯し、絡み合っていく。はるか遠い世界、現代で生きる私たちには想像もつかない死と隣り合わせの世界にありながら、まるでつい昨日言葉を交わした隣人かのように、彼らの存在は生々しく、身近だ。
混沌とした暴力の世界の中にありながら自らの行動の善悪に悩み、悩みながらも目前の問題のために身を投げて進んでいくランタンの姿。そして彼に救われ、時に支える人々の物語は、「テンプレ」の一言で括ることのできない、確かに紙面に存在するもう一つの現実として私たちを異世界へと導くこと請け合いである。
果たしてこの物語の果てに何が在るのか。数多の物語が日々産まれていくこの「なろう」という場所の片隅に空いた、巨大で驚きに満ちた迷宮に飛び込む勇気があるのなら、今すぐにでも足を進めるべきだ。
「なろうテンプレ」という言葉の中に埋もれた、輝く財宝を得たいのであれば。
「カボチャ頭のランタン」
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