廃神様と女神様Lv1
廃神様と女神様Lv1
ネトゲのヤベー奴②
オワコンになるまでコンテンツを
しゃぶりつくすレベルの廃人が
世界をしゃぶりつくそうとする話。
そんじょそこらの「所謂廃人ゲーマーだ」
で描写が終わる廃人()と違い
真に迫る廃人描写は
読むものを戦慄させる。
ヒロイン()はしぬ。
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「VRMMO小説」の主人公をデザインするのは、実は非常に難しい。
というのも、主人公に往々にして求められる「他と隔絶した能力」を持たせるハードルが非常に高いのだ。
例えば現代異能伝奇であれば、「秘された一族の末裔」だとか「死の淵で覚醒した力」だとかで付与できるだろう。ヨーロッパ風ファンタジーであれば「精霊の加護」や「卓越した才能」で説明できる。SF戦記ならば「偶然乗り込んだ結果自分以外に操縦できなくなってしまった試作兵器」あたりだろうか。
これらの世界観ではそもそも生まれ持って与えられる能力は平等ではないので、主人公が特別な存在であることに違和感はない。選ばれたという事実が、そのまま事実として存在することができる。
しかしこと「MMO物」に限ってはそうではない。――MMOはゲームであり、ゲームである以上、すべてのプレイヤーに平等なスタートラインとリソースが拓かれているからだ。
MMOでは誰もが主人公であり、だれもが主人公であるから、『誰も選ばれない』
多くの「VRMMO小説」で、この問題を解決するために様々な試みがなされた。
主人公がシステム的不正を行う「チート」
バグや不具合、運営の意図しない仕様の不備を突く「グリッチ」
一見不適解な選択肢を選んだことが結果的に功を奏する「新発見」
最近ならソーシャルゲームの台頭からか、リアルマネーによる「重課金」なども見られる。
そしてある意味で最も全うである理由付け、「誰よりもゲームに時間を使っているから強い」
つまり、「ゲーム廃人」という属性付けである。
今回解説するVRMMO小説、「廃神様と女神様Lv1」の主人公ロクロータもまた、「ゲーム廃人」「だから強い」として描かれるキャラクターである。プロローグからしてゲーム用語の飛び交うチャットで新作MMOのキャラビルドについて語り合い、話数が進むごとに遺憾なく様々なオンラインゲームで培った知見やプレイヤースキルを駆使して勝利をつかんでいく。実に痛快で、まったくもって明快に。
しかし、この作品における「廃人だから強い」というのは、決して単純な描写でも、理由付けでもない。
部屋に引きこもり一日中ゲームを起動し、質の悪い食事と睡眠を最低限とり、保護者の金銭で生活しながら排泄さえ犠牲にしてゲームに耽溺する――こうしたステレオタイプなゲーム廃人のイメージを、主人公を含めた「廃人」たちは笑い飛ばす。
恐らくは作者の実体験と緻密な取材によって描き出される、恐ろしいまでの説得力とリアリティをもった「廃人」の描写は、およそこの作品でしか味わえない未知の体験だ。
そして、その描写は単なる「数値的強さ」によらない、熱い人間性の掘り下げにつながる。
一つことに徹底的に時間をささげ、報われないことも理解しながら食い下がり、「廃人」などと自嘲しながらそれでもはいつくばって前に進むその動機。
主人公ロクロータの『自分は「勝ちたい人」なんだ』という独白と、その欲望をごまかさず、誰にも押し付けず、ただひたすらに追求していく戦いに、読者はいつしかこぶしを握って息をのむこと請け合いだろう。
「VRMMO小説」において、強さの理由付けとして使われる「廃人」という言葉。時に安易に使われてしまいがちなその属性。
「廃神様」と呼ばれる彼らのその名前の裏にある、ひたむきに前進し続ける者の「人間としての」熱さと強さを描き出すこの物語は、自らつかみ取った強さで進んでいく泥臭い連中による人間賛歌なのだ。
なお、主人公は人間かどうかを疑う腐れ外道なのでヒロインらしきなにかが頻繁に爆発したりして死ぬ。こんなんばっかだな。
「廃神様と女神様Lv1」
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