8.皇女と神官長
神官見習いのヨルズに連れられリンカが退出した執務室で、聖騎士団・副団長、ユスティア・ルーチェ・アストーリアは、険しい表情で、二人が消えた扉をじっと見ていた。
姓に国の名を冠する彼女は、皇族の特徴でもある、銀糸の髪に、深い緑色の瞳をしていた。その姿を目にするもの全てが、言葉を失うほどに、極めて美しい少女だった。
第三皇女という、比較的自由な立場から剣を嗜み、十五歳になり成人を迎えると、正式に騎士団に入団した。
戦場で剣を振るうその姿に、『銀の戦乙女』と称された。
「ユース兄様……」
『白の塔』と聞いて、推測される事柄に、ユスティアは眉をよせ、右手で左の肘を握った。
神官長は、不安そうなユスティアにはかまわずに、視察の報告を急がせていた。
「ユスティア、皇都周辺の状況が知りたい、視察の報告を……」
「シリウス、私に代わり、神官長に状況の報告を……」
「はっ、では……副団長に代わり私から報告させていただきます。皇都周辺には、特段何も異変はございません。ですが、空に現れた光の帯に〈神々のお怒り〉だ……責は皇帝と大神官にありとして、人々を扇動し、暴動を画策した者数名を捕縛、現在も騎士団本部にて尋問中です」
「聖域との境界は……?森に異変は無かったか?」
神官長は、特に異変が無いとの報告に片眉を上げ、奇異に思いながらも、気にかかる事柄の核心部分について、問いただした。
「それが……」
「不思議な事があったのよ、ユース兄様……」
シリウスと、ユスティアは、信じられないものを見たという表情で、顔を見合わせていた。
『星読の巫女』サキュラが送還されてから、世界が揺らぎ……
特にアストーリア神皇国と神々の住まう聖域『アスティール』との境界にある森の中では、目に見えるもの全てが多重に歪み頭の中で金属がぶつかり合う様な音が鳴り響き、人間が入ることを拒んでいるかの様な状態が続いていた。
また、聖域に近い事で、それまで、発生する事が無かった大型の魔獣の姿も確認され、騎士団や傭兵による討伐が、検討されていた。
「何があった?……」
「……境界が大きく揺らいだと思ったら頭に響く煩い音が止んで、視覚の歪みが消えたの。それから……翼を持つ獅子……まるで、伝説の聖獣『グリフォニア』みたいな魔獣が、山に向かって飛んで行ったわ」
「!……精霊使いは何と?精霊は何か申したか?……」
ユスティアの言葉に驚愕した神官長は、何かを確かめるように質問した。
「それが……『神々の王が帰還し王が呼ばれた。我も急ぎ行かねば……』そう言ったあと、契約精霊の気配が無くなったと聞き及んでおります。術については、支障無く使用出来る様ですが……」
精霊使い達が激しく動揺していた様子を思い出し、シリウスは、顔をこわばらせた。
「ふむ……もしや、それは全属性で、か?」
「はぁ、流石はモナーフ様……なぜお判りで?」
神殿の禁書で、見覚えがあるなどと、口外出来ぬ……
「……」
「どうかされましたか?……モナーフ様?……」
シリウスは、眉をひそめながら、神官長の様子に目を見張った。
「聖騎士団には改めてリンカの護衛を依頼する……明日『白の塔』に移動させるが、信用できる者を配せ……『神の花嫁』に、間違いがあってはならん……」
「ユース兄様!?もしやリンカを……『神の花嫁』に?」
「成人した娘だ……神への供物として、何ら不足はない」
「本来ならば、私が……供物として、送られるはずでしたのに……」
「……揺らぎが収束されたならば、此方の者を送っては均衡が崩れる。だが『豊穣の乙女』を供物にする事は出来ない……なれば、迷い人たるリンカが、『神の花嫁』になる他あるまい?……」
「兄様……」
「今宵は、神殿にてこのまま世話をさせる。目立たぬよう、人目が少ない早朝に塔へ向かう。警護には、口の堅い者を……特に、大神官に覚られてはならん。
下らぬ横槍を入れられたくない。人選は、騎士シリウスに、任せよう……優秀な影を使っているようだからな……」
騎士団・諜報部を束ねているシリウスは、舌打ちしたくなる気持ちを隠し、神官長に返事を返した。
「モナーフ様に、そう評して頂けるとは、身に余る光栄に存じます。ですが、私の主はユスティア様です。モナーフ様のご命令に従うわけには……」
「シリウス、神官長の言う事は、私の言葉として、従うよう命じます」
「ははっ!仰せの通りに!」
両足を揃え、姿勢を正すと、右の拳を心臓の位置まで掲げて、聖騎士の正式な敬礼をすると、踵を返して、退出して行った。
執務室に残された、ユスティアと神官長モナーフは、シリウスが去った後も、話しを続けていた。
「ティア、非情かもしれんが、姪である其方を、供物にする必要が無くなって、安堵している……」
「ユース兄様……」
アレスティレイアの神々を讃えるアスティ教の神官長、
ユースヴェルク・モナーフ……
皇帝ユーリウスの異母弟として産まれた彼は、誕生と同時に母が亡くなると、後宮の派閥争いに巻き込まれ、神殿で育てられた。
皇族としての地位もいつの間にか失い、神官として生涯を過ごす事となった。
自ら権力を求め、その地位に就いた、大神官とは違い、皇族の血故に、神官長となった彼は、上司の尻拭いの多さに
辟易する、苦悩の中間管理職だった。
自由奔放な第三皇女ユスティアは、年若い叔父を兄と呼んで慕っていた。
「これから報告に向かうのだろう?森の様子、精霊の事、
リンカの事は、『花嫁の儀』が行われる五日後の……
アプリール・アンファングまでは、漏らしてはならぬ」
「……」
ユスティアは、肩を震わせ、嗚咽を抑え込み、俯いていた顔を神官長に向けた。
「そんな表情をしてどうする?動揺を隠せ。周囲には、『神の花嫁』交代を覚らせるな。……よいな?」
「兄様……」
「リンカには、花嫁の付き添いとして、『白の塔』に入らせる。……リンカ自身、そう思って塔で過ごすだろう。明日は五の鐘と共に移動を開始する。よいな……」
神官長の言葉にユスティアは、深く息を吸い、ゆっくりと吐き呼吸を整えると、無表情を顔に張り付け、執務室を出て行った。
その足取りは、決して軽いものでは無かった……
リンカが『神の花嫁』という名の供物に決定されました。
次回はきゃっきゃ、うふふな、お風呂会です。
『花嫁の儀』の日程を
五日後に変更致しました。