46.リンカと神官長
大巫女ユーフェミアの執務室は、『花嫁の儀』が終わるまで、神官長が執務室として使用する事になっていた。
神官長の護衛を兼ねて、執務室に入り浸っているフォルティス隊隊長のシリウスも、当然の様に執務室として使用していた。
すっかり男臭くなった元大巫女の執務室に、見目麗しい侍女が、神官長を訪ねて来ていた。
「フォルツァ……その侍女は、もしかしてミランか?」
シリウスは、女装してミレーヌになったミランを、初めて目にした。
思っていたより似合っているその姿に、コレは使えるな……と、シリウスは黒い笑みを浮かべた。
「ミラン、何故ここに?リンカの護衛はどうしたんだ?」
フォルツァは、ミランが何故ここに来たのかその理由を責める様に聞いた。
「リンカの護衛は、エティが復帰して張り付いています。ここに来たのは、神官長にリンカが面会したいと……勝手に部屋から出られないと言うので……」
「リンカが私に会いたいと……?」
神官長は昨日、リンカに挨拶もしないで神殿に戻っていた。会えば別れがつらくなると思ったからだ。
神殿に戻ってからは、塔に行く口実を作ってでも早く塔に行きたいと、リンカに会いたいと神官長は思う様になっていた。
神官長は、リンカも同じように思っていたのだろうか……と、無表情を装ってはいるが、隠しきれない動揺に、声が少し震えていた。
ミレーヌはそんな神官長に、涼しい顔で言うのだった。
「あ、会いたいとは、言ってなかったです。なんか用事があるって、言ってました」
会いたいとは言っていなかった……ミレーヌからそう言われても、神官長は表情を崩さず何ともない顔で、何の用事が?などと、面倒そうな振りをして、冷静さを装っていた。
ミレーヌは、フォルツァに確かめたい事があったが、それよりも、リンカの扱いで隊長に確認する事があった。
「リンカについて聞きたいのですが、リンカが自由にできるのは、どの程度なのですか?リンカを連れて、執務室に来ようと思ったのですが、勝手に部屋から出てよいのかわからないと言うので……」
ミレーヌはリンカの行動について制限があるのかどうか聞きたかった。
だが、返ってきた答えはミレーヌが思っていたものとは違っていた。
「リンカの行動に制限は無い。だが警護の面から、勝手に出歩かれては守るものも守れなくなってしまう……」
ミレーヌの問いに答えたのはシリウスだった。
「では、護衛と共にあれば、自由に移動しても……?」
ミレーヌは、自分が一緒にいれば、必ずリンカを守ってみせる……自分と一緒に行動するなら自由に出歩いてもいい筈だ……と、思っていた。
「塔の北側ならば、護衛と共に在れば自由に歩いても問題は無い、はずだが……」
神官長は警備面以外の事も、心配している様だった。
塔の北側ならば、神官の自分に立ち入れない場所は無い。
だが、塔の南側は未婚の貴族令嬢の宿舎になっている。神官であっても男性は、立ち入ることは出来ない。
リンカが間違って南側に行ってしまったら、探すことも難しい……
それに、貴族に平民がどのように扱われているか考えると、リンカに対して、馬鹿な令嬢たちが、何もしないわけが無い……
「リンカを単独で出歩かせることは出来ない……護衛と共にあっても、塔の北側以外は、立ち入り禁止だ」
神官長は、シリウス、フォルツァ、ミランに向ってそう言い放った。
「ミラン……何の用事かわからぬが、リンカを連れてくるが良い……」
神官長がミランに言うと、ミランは笑顔を浮かべ、胸の前で両手を組んで礼を取った。
「神官長……私の事はミレーヌとお呼び下さい。それでは、リンカを迎えに行ってきます」
ミレーヌは部屋で待っているリンカが喜ぶだろうと、挨拶するのも忘れて、執務室の扉を開けて退出して行った。
神官長は、開いた扉の隙間から見えた人物……カルセドニィを見て、リンカが執務室に来れば、カルセドニィと顔を合わせるかと思うと、知らず知らずの内に、神官長の表情は、険しくなっていった。
カルセドニィは、声を掛ける間も無く、慌しく去って行ったミレーヌに、見た目と違って、ガサツな女だな……という印象をもつのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ミレーヌが応接間に戻ってくると、リンカは糸で何かを作っていた。
エティは作業しているリンカと談笑しながら、満面の笑みを浮かべていた。
ミレーヌは笑っているエティを見て、何故かイラッとしていた。
「ただいま戻りました……」
エティ……リンカにベッタリで、嫌な女だな……
理由は分からないが、ミレーヌはエティに対して
嫌な感情しかわいてこなかった。
「おかえりなさいミレーヌ……」
「リンカ、神官長が執務室で待っているわ。行きましょう」
ミレーヌがリンカに、執務室で神官長が待っていると言うと、リンカは持っていく物があるからと、応接間を出て、
部屋に何かを取りに行った。
ミレーヌはリンカがいなくなった応接間で、エティに話し掛けた。
「執務室には、私が連れて行くから、エティは部屋で待機していてね」
「な、なぜ?護衛は……」
「当然でしょう?執務室に行って、神官長に許可を取って来たのは私よ。それに、執務室に行けば、フォルティス隊の隊長も、フォルツァ様もいるわ。
だから、貴方はいない間に侵入する不審者がいない様に、留守を守っていてね。」
「ぐ……」
執務室まで行って許可を取って来た、留守を守ってほしい、と言われては、エティは黙る事しか出来なかった。
応接間の奥の扉から、布の袋を肩から下げて、リンカが戻ってきた。
「お待たせー」
「置いて行こうかと思ったわ……」
「え?……そ、そんなに待たせちゃってた?」
焦るリンカにミレーヌはクスクス笑っていた。
「ふふ……大丈夫、ちょっと意地悪言っただけよ。さぁ行きましょう」
そう言ってミレーヌはリンカの右手を取ると、部屋を出て行こうとした。
「エティ姉様は……?」
「エティは留守番よ。ねぇ?……エ・テ・ィ」
「くっ……行ってらっしゃい……リンカ……」
勝ち誇った様に言うミレーヌに、悔しさを隠して、エティはリンカを見送っていた。
リンカは顔を隠し、しぼり出すような声で言うエティの事を、置いて行かれる事で、不安なのだと勘違いをした。
「エティ姉様……すぐに戻ってきますね。それに、メリルが戻ってきますから、寂しくないですよ……待っていてくださいね」
エティはリンカに歩み寄ると、その頬に素早く口づけると、面食らっているリンカに微笑みかけた。
「メリルと一緒に待っているわね……早く……帰ってきてね」
ミレーヌはエティを睨みつけたが、何も言わずに、リンカの手を引いて、応接間を後にした。
神官長の待つ執務室へ向かう間、ミレーヌは一言も話そうともせず、リンカとつないだ手をグイグイ引いて歩いていた。
エティとリンカのやり取りにイラついたミレーヌが普通に歩いていても、手を引かれるリンカには、段々早歩きから小走りのようになっていった。
執務室前に着くころには、リンカはすっかり息切れしていた。
執務室の扉の前で警護をしていたカルセドニィは、リンカの手を引く不機嫌そうな顔をしたミレーヌの手をリンカの手から払いのけた。
「なに……」
「リンカ……どうしたのです。その様に息を切らして……」
繋いでいた手を払ったカルセドニィに、文句を言おうとしたミレーヌを遮る様に、カルセドニィはリンカに話し掛けた。
「……はぁ、はぁ……」
「辛そうだね……助けてあげる……」
カルセドニィは、何も言わず、息を整えているリンカを、不意に抱き寄せ、右手で顎を持ち上げると顔を寄せ、
リンカの口に自らの口をつけようと近づけた。
「!や、やだぁ……」
驚いたリンカがカルセドニィを突き飛ばすのと、ミレーヌが横から、カルセドニィを押しのけたのが、ほぼ同時だった……
リンカが予想していたより大きく、カルセドニィは執務室の扉に突き飛ばされたように、ぶつかっていた。
ドンっと鈍い音がして、何事かと、執務室の中からフォルツァが焦った様に扉を開けて外に出てきた。
「何が……」
「ウィル兄様!!」
何が起きているのか確認する為に執務室から出てきたフォルツァに、リンカが駆け寄って行った。
「リンカ……どうした?何をふるえて……」
フォルツァに縋りつき、イヤイヤする様に頭を振りながら、顔を隠そうとするリンカと、扉に背を打ち付けて、その背を撫でながら心外そうな顔で溜め息をはくカルセドニィ……
フォルツァは抑えきれない殺気を放ちながら、カルセドニィを睨みつけた。
「な……にをした……?リンカに何をした?カルセドニィ……」
フォルツァが低い声でカルセドニィに向って言葉を発するたび、ビリビリと大気が震える様だった。
リンカはフォルツァが怒っているのを感じて、左右に首を振り、焦った様に話し出した。
「ち、違うの……何もされてないから……大丈夫だったから……か、雷はダメ……危ないから……」
昨日の事を思い出したリンカは、目にうっすら涙を浮かべ、懇願する様にフォルツァを下から上目遣いに見上げた……
フォルツァの腕の中で怯えているリンカをカルセドニィから隠す様に、リンカの側に移動したミレーヌが、扉の前で人目に付くのもいけない、
早く中へ……と、執務室に入るよう、二人を促した。
扉を閉める直前、ミレーヌはカルセドニィに向って、蔑むような眼で、子供にまで見境ないわね……と捨て台詞の様に呟いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
執務室の中では、先刻カルセドニィが扉にぶつかった音に、身構えていたシリウスと、緊張した面持ちの神官長が扉を睨んでいた。
リンカを抱きかかえるようにして執務室の中に入ったフォルツァは、一旦リンカを正面に立たせると、まだ顔がこわばっているリンカをギュッと、抱きしめた後、頭にそっと口づけを落とした。
「リンカ……落ち着いたか?……」
「う……うん。ありがとうウィル兄様」
リンカを抱きしめたまま、耳元で優しく響く、
フォルツァの心地よい声に、リンカはドキドキしていた。
ミレーヌは、フォルツァからリンカを引き離す様にリンカの手を引くと、執務机に座っている神官長の前に連れて行った。
神官長は無表情にリンカを見ると、窓際のソファに座るように言うと、ミレーヌにお茶を用意するようにと指示していた。
指示されたミレーヌは、騎士団内であれば、お茶の用意位簡単なのだが、塔では勝手がわからない。しかし、侍女としてある今、リンカの前で出来ないとは言えない……
ミレーヌがどうしようかと悩んでいると、見かねたシリウスから、執務室を出て左奥に食堂があるから用意してもらえ……と、耳打ちされた。
ミレーヌはシリウスに向って一礼すると、執務室を出て行った。
神官長に指示されてリンカがソファに座ると、対面に座ると思っていた神官長が、何故かリンカの隣に座った。
何故?と思いながらリンカが神官長を見ると、何でもない様な顔をしていても、優しい眼をして神官長がリンカを見ていた。
「私に用があると聞いたが……」
「あ、あの……か、髪飾り有難うございました……」
ふぅ~……お礼言えた……
「あ、ああ……気に入ったなら良かったが……わざわざそんな事で?」
「そんな事って……だって……昨日何も言わずに、帰っちゃうから……」
リンカは昨日、神官長が何も言わずに神殿へ戻ってしまった事で、お礼を言う事が出来なかった。他人に一方的にされたままでいる事は、リンカを落ち着かない気持ちにさせていた。
「直接……言いたかったから……でも、アレって本当に貰っていいの?」
「嫌なのか?……迷惑だったか……」
「い、嫌じゃないけど……あんな高価な物……貰って良かったのかなって……」
「そんな事……私が持っていても使えないモノだ……気にしなくていい」
神官長はそう言うと、小さな子供を宥める様にリンカの頭を撫でた。
うぅ……神官長ってば……また子供扱いして……
神官長に子供扱いされて、リンカは拗ねたように口をへの字にしていた。
だが、不思議と嫌な気持ちはなくて、親とか兄妹とかだったら、こんな感じに、頭を撫でたりするのだろうかと、リンカは思っていた……
「それはそうと……聞きたいのだが、何故フォルツァ殿を、『ウィル兄様』と呼ぶんだね?」
神官長に聞かれて、リンカは何と答えようかと、考えていた。
「それ、私も聞きたいですぅ~」
いつの間に執務室に戻って来たのか……テーブルにお茶を置きながら、ミレーヌが会話に入って来た。ミレーヌはニコニコしながら窓一つ向こうのソファに座っているシリウスとフォルツァにも御茶を配ると、自分のお茶もテーブルに置き、フォルツァの隣に座った。
「フォルツァ様ぁ、なぜリンカはフォルツァ様の事を『ウィル兄様』って、呼ぶのですかぁ?」
ミレーヌは、甘えるような仕草で、フォルツァに聞くのだった。
フォルツァは後輩騎士ミランの女子っぷりに、危くお茶を吹き出すところだった。
シリウスは、ミランの女装の完成度と演技力の高さに感心していた。
ミレーヌ……(ミラン)は、尊敬するフォルツァを親しげに『ウィル兄様』などと呼ぶリンカが気に入らない……
色仕掛けとまでは言わないが、あざとく感じてしまう。
リンカに、『ウィル兄様』と呼ばれるたび嬉しそうにするフォルツァにも、ミレーヌ(ミラン)はイラッとするのだった。
「ウィル兄様は、ウィル兄様だからです……」
勝ち誇った様に、晴れ晴れとした顔でリンカは神官長に向けて言った。
神官長はリンカの答えを聞いて頭を抱えたくなった……
「リンカ……さっぱりわからない……」
神官長はリンカに聞くのを諦めて、フォルツァを呼んだ。
神官長に呼ばれて、フォルツァはリンカの対面のソファに座った。
呼ばれてもいないミレーヌがフォルツァの腕に、両腕を絡めて、引きずられる様に付いて来ていた。
「それで……リンカは何故フォルツァ殿を“兄様”と?」
フォルツァの腕に付属品の様にくっついて来ていたミレーヌの事は無視して、神官長はフォルツァを半開きにした目で見ながら、問い質した。
神官長にリンカが自分の事を“兄様”と呼ぶことについて、フォルツァはゆっくりと説明を始めた。
「昨日リンカにこの世界について講義をしていて、空腹で涙を浮かべたリンカを慰めていたら、リンカが……」
昨日の事を思い出しながら、フォルツァは神官長に説明していた。
「自分の事をリンカが“兄貴”って呼んでもいいですかと……それを聞いていたユスティア様が、“お兄様”って呼ぶように言われて……」
神官長は、フォルツァに『あ~にき~』と呼んで近づいていくリンカを想像し、よく気が付いたティア、よくやった……と、無意識に拳を握っていた。
「それで、フォルツァ様のお名前がウィリアムだから、
“ウィル兄様”になったのね……」
ミレーヌは、能面の様に無表情な顔で、フォルツァに言うと、不意に何か思いついたのか、満面の笑みを浮かべた。
フォルツァは、そんなミレーヌの表情に嫌な予感がして、ソファに座ったまま隣にいるミレーヌから仰け反るように上体をそらした……
ミレーヌは、逃げようとしているフォルツァにジリジリと身体を寄せていった。
フォルツァはミランのいつもと違う様子に、狼狽えてしまった。
いよいよ逃げ場が無くなったフォルツァにミレーヌがおもむろに口を開いた。
「フォルツァ様……。私も、『ウィル兄様』って、呼んでもいいでしょう?いいですよねぇ……?ウ・ィ・ル・に・い・さ・ま・……」
フォルツァは、頼み込んで女装してもらっているミランに、嫌だとは、すぐに返事を返せなかった……
ミレーヌはフォルツァから返事が来ないので、舌打ちしたい気持ちを隠して、今度は標的をリンカに移した。
「ねぇ、リンカ……リンカはどう思う?フォルツァ様の事、“ウィル兄様”って、私も呼んでいいかしら?」
リンカはミレーヌから射貫く様な目で見つめられて……何も言えなかった。
な、何で私に聞くかな?……ミレーヌは……ウィル兄様が好きなのかな?
「わ、わたし……私に聞かれても……」
嫌だけど……嫌なんて言えないよ……うぅぅ……
勝ち誇った様な顔でリンカを見るミレーヌに、言い返せないリンカは、悲しそうな顔で二人から顔を逸らした。
「リンカ……」
「な!……ちょ、ちょっと……」
神官長は、悲しそうな顔をして対面の二人から顔を逸らしたリンカを、引寄せると、幼子にするように、膝の上に乗せて横抱きにした。
驚いたリンカは神官長から逃げようと……膝の上から降りようとした。
リンカが神官長から逃げようとした事は、結果として逆効果でしかなかった。
神官長は右腕でリンカを拘束するかのように抱き抱え、左腕はリンカの足……
右膝の少し上付近を左腕で押さえながら、自身の身体に引寄せた。
神官長の膝の上に乗せられて、抱きしめられた当初、リンカは驚きと、羞恥心で、逃げ出そうとした。だが、余計に強く抱きしめられて、逃げる事が出来なくなった。恥かしくて、リンカは神官長の胸に顔を埋めて、低く唸る事しか出来なかった……
腕の中にいるリンカに、神官長は耳元でそっと囁いた……
「リンカ……私の事も……“兄様”と呼んでも良いのだぞ……」
「!」
えぇ~!?な、何言っちゃってんの神官長ってば……
神官長に耳元で囁かれただけでも、狼狽えてしまうリンカにとって、更なる爆弾発言的なその内容は、リンカの許容量を軽く飛び越えてしまった。
「リンカ……愛しい……愛しい……娘よ……」
神官長はリンカの髪に口づけながら、無意識にそう呟いていた……
リンカの頭の中は、神官長……兄様、神官長、兄様、神官長……と、神官長から言われた事が、グルグル、グルグル……浮かんでは消え、消えては浮かび……浮かんでは消えていった。
リンカは思考の海に深く沈み……ぼーっとして何も考えられなくなっていた。
神官長の腕の中で、規則的に聞こえてくる神官長の胸の音に、リンカは心のざわめきが凪いでいくのを感じていた……
何だろう……この気持ち……恥かしいけど……すごく安心する……
「神官長……」
「うん?」
(あぁ……あたたかい……)
「神官長って……*****……みたい……呼べないけど……ね?」
「リンカ?リンカ……?」
神官長の腕の中で、リンカは意識を手放していた。
神官長はリンカが意識を無くす寸前、神官長に言った『*****』という言葉が、何の事を言っているのか、わからなかった。聞き返そうと、リンカの名を呼んでも、
リンカは答えることは無かった。
親に抱かれる幼子の様に、リンカは神官長の腕の中で、
安心しきって深い眠りについていた……
「神官長リンカは?……リンカはどうしたのですか?」
神官長の腕の中で、動かなくなったリンカの様子に、
心配してフォルツァが神官長に問いかけた。
リンカの反応が見たくて、少し意地悪くしていたミレーヌも、神官長の腕の中でピクリとも動かないリンカが心配になっていた。
「神官長……」
「うん?あ、ああ……心配いらない。寝てしまった様だ……」
神官長は複雑だった……リンカが腕の中にいるのは、嬉しいのだが、熟睡しているのは……危機感が無さすぎる……
神官長はリンカにとって、自分は男として見られていないのかと、寝ているリンカを起こして、問いただしたい気持ちを何とか押さえていた。
「……部屋に連れて帰りましょう。神官長、リンカを此方へ……」
ミレーヌが神官長に、リンカを渡してくださいと声を掛けた。
神官長がリンカを離そうと動くと、リンカは離れたくないのか、神官長の背中に腕を回した。
「やぁ……」
神官長は内心嬉しくて堪らないのだが、迷惑そうな……困ったふりをした。
「ふぅ……離れ無いのは困った。無理に起こすのもかわいそうだが……」
「リンカ、起きて……エティが待ってるわよ。エティ姉様が泣いちゃうよ~」
ミレーヌがエティの名を出して呼びかけると、リンカが少し動いた気がした。
神官長は聞きなれない人物の名に、誰の事かと、ミレーヌに聞き返した。
「エティ……それは誰だ?」
「リンカの護衛の侍女です。リンカが“エティ姉様”と言って、慕っています」
ミレーヌは神官長に説明すると、エティの名を出しながら更にリンカに呼びかけた。
「リンカ、エティにすぐに帰るって言ったでしょ。エティの首が長くなるよ。エティ姉様泣いちゃうよ。起きて起きて~」
「う、うぅ~ん……」
ミレーヌの呼び掛けにリンカが反応して、まだ寝ぼけているのかリンカはエティの名を呼びながら、ミレーヌに手を伸ばした。
「エティ姉様……」
ミレーヌはリンカが伸ばした手を引いて、そのまま抱き上げた。
神官長は無くなった温もりに、心が急速に冷えていくのを感じた。
フォルツァが執務室の扉を開けると、リンカを抱いたミレーヌが、神官長と、シリウスに軽く頭を下げて礼をした。
「リンカを頼む……」
フォルツァがミレーヌに言うと、ミレーヌは後でまた来ますと、そう言って執務室を後にした。
執務室の扉の前に、カルセドニィはいなかった。代わりにいたのは、ロータスだった。
ロータスはミレーヌに抱かれてぐったりしているリンカを見て、普段は糸の様に細い眼を大きくして驚いていた。
「何が?彼女は大丈夫なのですか?」
「あ?ああ大丈夫だ。ミレーヌ気を付けて戻れ。リンカを落とすなよ」
「心配ご無用。じゃ……」
そう言って、ニッコリ微笑みながらミレーヌはリンカを抱っこしたまま与えられている部屋へと戻って行った。
ロータスはそんなミレーヌを、侍女にしておくには惜しい、と思っていた。
ミレーヌはリンカを抱いて部屋に戻る間、誰にも顔を合わせる事無く、無事にエティとメリルが待つ部屋へと戻る事が出来ていた。
エティはミレーヌに抱かれて帰って来たリンカに驚いたが、寝ているだけだと言われ、ミレーヌがそのままリンカの部屋へと連れて行き、リンカをベッドに寝かせた。
ミレーヌはリンカを寝かせたベッドの側にもう一つ寝台が在るのを見て、それがエティ用なのだろうと思った。
「リンカ……」
ミレーヌは寝ているリンカの額に唇を軽く触れる程度に落とすと、お休み、と呟いて、部屋を出た。
ミレーヌが応接間に入ると、エテイが入れ替わりに、
リンカのいる部屋へと入って行った。
エティがエディ……リビングストンだと知らないミレーヌは、エティは心配性だな、と思っただけだった。
それにしても、抱っこされて寝てしまうなんて、リンカはやっぱり、子供じゃないか、とミレーヌは思うのだった。
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