43.氷の精霊《ロップ》の失態
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エレンによって女性の服を着付けられ、女装に慣れた影によって、女装具と化粧を施されたミランは、見目麗しい女性に変貌を遂げていた。
大きな眼に、まだあどけなさが残った顔立ちの年若いミランは体毛もあまり濃く無かった。いや、薄茶色で目立たなかった。
丈の長い服に、慣れない裾さばきで、エレンの後をしずしずと歩くその姿は、淑やかな令嬢そのものだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
エレンが出て行った部屋では、リンカの持っていた薬で熱が下がり、身体は平常に戻ってきていたエティだったが、闇の精霊ダークにより、浅く長い眠りについていた。
リンカは、眠っているエティの傍らで、ミサンガ作りに没頭していた。
昨日から作っていた三色の矢羽模様の飾り紐は、エレンが部屋を出て行ったあと、一時間もしないで作り終えて、今は青色を基調としたダイヤ柄の飾り紐を編んでいた。
「ふぅ……」
ダイヤ柄に編むのは、手間がかかる。
没頭して編んでいたリンカは、軽く吐息を吐くと、目をギュッとつむったり、眉根を押さえたりしていた。
「うぅ、眼がしょぼしょぼする……今何時位かなぁ……」
部屋の中で、ミサンガを集中して編んでいたリンカは、
天井近くの壁際にある、換気と明かり取りを兼ねた窓からの日差しに、目を細めた……
さっき鳴った鐘……何回鳴ったんだっけ……?
ミサンガ作りに没頭するあまり、リンカは時間の感覚がつかめなかった。
軽い喉の渇きに、お茶が飲みたくなってきたリンカは、部屋を出て、メリルに頼もうか、どうしようか、考えていた。
寝台にいるエティを見ると、規則的な寝息を立てて、ぐっすり寝ているようだった。
リンカは、寝ているエティを起こさない様に、手の平で
そっとエティの額に触れて、熱が上がっていないかを確かめた。
エティの熱が、下がったまま上がらずに寝ている事に、安心したリンカは、部屋を出て応接間に向った。
応接間の扉を開けると、そこにはミサンガに夢中になっているメリルと、食堂でメリルと話をしていた女の子がいた。
二人は、応接間に現れたリンカに気が付くと、怯えたような表情をした。
「リ、リンカ様……お許し下さいませ……」
メリルは一緒にいた女の子を庇う様に、リンカの前に出ると、土下座しそうな勢いで、頭を下げだした……
メリルに庇われる様にしていた女の子は、真っ青になって涙目だった。
「メリル?どうしたの?何でそんな……」
リンカには、メリルがどうしてこんな怯えたように、謝っているのかわからなかった。
「メリル……どうしたっていうの?怒っていないから!怒ったりしないから、何で謝ってるのか理由を話して……ね?」
リンカは、泣きそうになって頭を下げ続けているメリルを、宥める様に、理由を話す様に、言い聞かせるのだった。
メリルの話によると、昨日ミサンガをあげた友達に、どうやって作るのか教えてほしいと言われて、部屋に連れてきてしまったということだった。
「十二の鐘が鳴るまで、リンカ様に付いているようにとのエレン様の言葉に、部屋を長く離れる事も出来ず、共に育った気安さから、連れて来てしまいました」
メリルは、すべて自分が悪い。責は私に……咎めるのは私だけに……と、必死に訴えている……
リンカがメリルの手を取って、立ち上がらせようとした時、それまでメリルの後ろで青い顔をしていた少女が、メリルと私の間に割り込んできた。
そして、私が無理についてきた、メリルは何も悪くない、罰を受けるのは私だけにして下さいと言って、リンカに向って土下座してきたのだった。
「二人とも、顔を上げて……大丈夫、怒ってなんかいないから……」
リンカは、二人をギュっと抱きしめると、安心するように言い聞かせた。
そしてリンカが来るまで、メリルとソフィ、二人が座っていたソファに、今度は三人で座った。
「ねぇ、私の名前、リンカと言うの、貴方のお名前は?」
私はメリルの友人の少女に、自分の名前を告げると、
安心させるように目線を合わせてから、少女の名前を聞いた。
少女はガチガチに硬くなりながらも、ようやく『ソフィ』という、名前を教えてくれた。
私はメリルとソフィの二人に、作っていたミサンガを見せてくれる様に頼んだ。
メリルから渡されたミサンガは、 昨日初めてミサンガ作りを始めたとは思えない程、上手に出来ていた。
「メリルすごい。基本はもう完璧だね」
私は見せてもらったミサンガをメリルに返しながら、今度は少し複雑な柄の編み方を教えようと思った。
それから、ソフィの作っているミサンガも見せてくれるようにお願いした。
ソフィは、緊張しているのか微かに手を震わせながらも、編んでいた物を手渡してくれた。
ソフィが編んでいたミサンガは、編み始めは不揃いだった目が、揃ってきていて、始めたばかりなのに上達するのが早い……
「ソフィも、初めて編んでいるのに上手だね。同じ力加減で編むと、もっときれいに出来るよ」
私は、小さな子供に話す様に注意して感想を言いながら、ソフィが編んでいたミサンガを返そうと、ソフィの手を取ろうとした時だった。
「あ、あのぅ……お許しください……大切な糸を……勝手に使ってしまいました……」
そう言うと、ソフィは椅子から勢いよく降りて、膝まづき縋る様に私の手を取り懇願してきた……
ソフィのとった行動にも驚いたが、それよりも私は、ソフィが言った事に、衝撃を受けていた。
どうして……こんな簡単な事に思い至らなかったのだろう……
私は、椅子から降りてしゃがみこむと、ソフィを軽く抱きしめた。
そして、背中を優しく撫でながら、“大丈夫だよ”と囁いた。
私は、ソフィに言われるまで、ミサンガを作る事ばかり考えていて、材料の糸が、どういった物か思ってもみなかった。
刺繍が淑女の嗜みだとしても、刺繍糸は……自分で作っているわけじゃ無く、購入した糸を使って、刺繍してるよね……塔に売店が有って売っているなら、メリルが立て替えて購入してくれたのかもしれないけど……
それとも、倉庫みたいなところで保管されていた在庫とかかな?でも、それはそれで、黙って持ち出せないよね……
考えててもしょうがない。
私は思い切って、メリルに聞くことにした。
「メリル……この糸って、何処から?どうやって持ってきたの?」
リンカに聞かれたメリルは、不思議そうな顔をしながら、昨日リンカに言われて、糸を取りに行った時の事を話し始めた。
「リンカ様に言われて、刺繍糸を倉庫に行って探そうと思ったのですが、その前にエレン様に許可をいただこうと思って、エレン様をお探ししていたらシンディ様に会ったんです。それで、エレン様がどこにいらっしゃるか伺ったら、大巫女様と内密のお話し中と言われて……どうしようか困っていたらシンディ様が、倉庫まで一緒に行って、在庫の糸を出して下さったのです」
話している内にその時の事を思いだしたのか、メリルの身振り手振りが、段々大きくなって……最後に“慈愛のシンディ”様、と呟くと、うっとりしたような、熱に浮かされたような顔をしていた。
メリルの話を聞いていたソフィも、大きく頷き同意していた。
「二人とも、シンディ様が好きなんだね……」
私がそう言うと、二人はキョトンとした顔で私を見た後、顔を見合わせて笑い合っていた。同じ様な仕草をする二人に、姉妹みたいに仲がいいんだなぁ、と思っただけで、特に違和感を感じたりはしなかった。
「それはそうと……リンカ様、何か御用がおありでしたか……」
メリルが思い出したように、リンカに聞いてきた。
リンカは、素っ気ないメリルの様子に、違和感を覚えながらもソフィの前だから余所余所しいのだろうとあまり気にしないでいた。
他人行儀なメリルに、気後れしながらお茶が飲みたいと言うと、ソフィが用意してくると言って、部屋から出て行った。
リンカはソフィが戻ってくるのを待つ間、メリルに、ミサンガの違う編み方を教えると言うと、メリルはうれしそうに糸を選んでいた。
一人でいる時のメリルは、普段の人懐こいメリルだなぁと、リンカは思った……
リンカが、さっき鳴っていた鐘についてメリルに聞くと、十の鐘……十時だった事がわかった。
二時間以上集中して、編んでいた様だ。
眼がしょぼしょぼして、首と肩がこっているのも仕様がない……とリンカは思った。左腕を右肩に回して押さえながら右肩を回していたら、クスクス笑いながらメリルが、マッサージしましょうかと聞いてきた。
リンカが悩んでいると、ノックも無しに部屋の扉が開いて、ソフィが入って来た。個室ではなく、応接間だからなのかもしれないが、いきなり開いたドアに、リンカは呆気にとられていた。
メリルも、これはいけないと思い、ノックをして許可を得てから、ドアを開けないと駄目だと、ソフィに注意していた。
塔で同じ様に育ったメリルから注意されて、ソフィはムッとしたように、顔を歪めて気の無い返事を返した。微妙な雰囲気が部屋に流れた。
「で、でも、他に誰もいないときで良かったよね……」
リンカは二人の間に流れる微妙な雰囲気を和ませようと、そう呟くと、座ってお茶にしよう、と二人に言うのだった。
ソフィが入れたお茶は、メリルが入れてくれるお茶より、リンカには少し苦く感じられた。
「ソフィったら、相変わらずせっかちだね。もう少し蒸らしてから、注げば美味しいのに……」
メリルはソフィに、リンカが思っても言えなかったことを
事も無げに言うのだった。
リンカはまた、二人の間に微妙な空気が流れると嫌だと思った。
一人焦った様に、メリルとソフィの顔を交互に見て、ソフィが返事を返すのを息を詰める様にして、見守っていた。
「メリルはのんびりさんだからねぇ~。私達二人で一緒なら、丁度良かったかもねぇ~」
ソフィはそう言うと、楽しそうに笑っていた。
一見すると微笑ましく見えるその笑顔の裏側には嫉妬と憎悪が隠されていた。
ソフィは、塔から出て行ったメリルを羨ましく思うと同時に、自分を置いて一人で塔から出た事を恨んでいた。塔の中しか知らないソフィは、塔の外に強い憧れを持っていた……
メリルがいなければ、自分が選ばれて塔から出られた筈だと……ソフィはいつからか、思い込む様になっていた。
「リンカ様ぁ。塔から神殿へお戻りになる時、私も一緒に連れて行って下さいよぉ。お願いですぅ~」
リンカの年齢を知らないソフィは、自分達を叱責もしないリンカを、同じ年頃だと思っていた。甘えて強請れば、言う事を聞いてくれる存在だと、見誤っていた。
「ごめんね、ソフィ……それは出来ないの……」
リンカには、何の権限も無い……メリルだって、神官長に言われて、私のお世話をしてくれている。塔では何故か希望する事が出来ているけど、それだって何時まで続くかわからない……
「どう……し、て?私の方が……メリルより仕事だって、
何だって出来るのに……」
ソフィはリンカの返事を、自分を拒絶したからだと思った。
カップに注いであったお茶を半分以上残したまま、立ち上がると、メリルと違って仕事がたくさんあって忙しいといい、上の立場であるリンカに礼も取らず、乱暴にドアを開け閉めして部屋を出て行った……
「リンカ様……お茶を入れなおしましょうか?」
メリルは平気な顔をしていたけど、リンカにはどこか悲しそうに、泣きそうなのを我慢している様にも見えた。
リンカは何も言わずに、メリルを抱きしめて頭を撫でて背中を軽くポンポンっと叩いた。
その時背中から黒い煤の様な物が弾けて消滅した事に、
リンカを守護する精霊達が気が付いた。精霊の力を使うでなく、己の輝きのみで黒い煤を払ったリンカに、精霊達は驚き、そして感服するのだった。
「メリル……私、もう部屋に戻るけど、大丈夫……?」
心配そうにメリルの顔を覗き見るリンカに、メリルはキュッと唇を噛むと、顔を上げてリンカを見返した。
「リンカ様、今度お茶が欲しくなったらすぐに言って下さいね。御用がある時は、いつでもお呼び下さい……」
メリルは寂しそうに微笑みながら、リンカにそう言うと、お茶が半分以上残ったままのカップを片づけ始めた。
リンカはメリルの事が気になったが、部屋には体調を悪くしたエティが一人で寝ている。リンカは部屋に行ってエティの様子を見て、すぐに応接間に戻ってこようと考えていた。
そんなリンカの様子を見ていたメリルは、一人で大丈夫だから、エティに付いていて下さいと、リンカに言うと、一人ソファに腰掛け、リンカに教えてもらった矢羽模様のミサンガを編み始めるのだった。
それでもまだ、心残りしているリンカに、風の精霊が影から見守るから、メリルの事は心配いらないよ、と言うのだった。
リンカは小鳥の姿になっている《ウィンディ》の背中を指先でそっと撫でた。
「ありがとう……お願いするね」
リンカに撫でられた風の精霊は、嬉しそうにリンカの周りを飛び回った。
リンカはその様子を見て微笑みながら、応接間からエティの待つ個室へと戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
闇の精霊によって、浅く長い眠りについていたエティは、夢を見ていた。
どんな夢を見ているのか……
始めは幸せそうに笑っていたエティだったが、段々と険しい表情になり、時折り苦しそうな声をあげていた。
リンカが傍らに付いている時だったなら、優しく宥めていたことだろう。
エティの夢が、幸せな夢から哀しい夢に変化したのは、
リンカが応接間に行った後からだった。
エティは夢を見たまま……眠ったままで、側にいたはずの
リンカを求めた。左手が無意識に宙を彷徨い、愛しい温もりを探した。
エティは、夢では目の前から消えたリンカを探し求め、現では無くした温もりを追い求めていた……
エティを落ち着かせていた闇の精霊は、今は別の場所で、闇の精霊王に言われた、神官長とフォルツァの様子を見守っていた。
リンカと契約していた氷の精霊が、下がった熱があがらないようにエティを見守っていたが、精神までは触る事が出来ない……
《ロップ》はリンカがしていたように、エティの額に前足をあてて、リンカが戻ってくるのを待っていた。
エティは、頭を押さえつけられているような感覚に、
届きそうで届かない愛しい存在に、いつの間にか涙が頬を伝っていた。
氷の精霊はエティの様子に、焦っていた……
エティの涙を止めようとして、額をペシペシ叩いても、流れる涙が止まらない……
どうすれば流れる水を止められるか……
短絡的に考えた氷の精霊は、凍らせて止める事にしたのだった。
氷の精霊が、エティの涙が凍って止まったのを見て、ホッとしていた時に、応接間に行っていたリンカが戻って来た。
「ただいまー。あー《ロップ》、エティに付いててくれたんだね。ありがとう~」
リンカは、エティの枕元にいる《ロップ》に、自分の代わりにエティの様子を見ていてくれたことにお礼を言った。
それから、ベッドに近寄ってエティの様子を見て驚愕した。
エティの頬に付いた氷のかけらが光っていた。そして、唇が青紫になっていた。身体がとても冷たい……
リンカは、前足で顔を隠している《ロップ》を見て、体温を下げようとして、低くし過ぎたのだと思った。悪いのは、エティの側を離れていた自分だ……
《ロップ》を責める事なんて出来ない。
リンカは、前足で顔を隠したままの《ロップ》の右手で垂れ耳の付け根を撫でると、大丈夫だよ、と声を掛けた。
炎の精霊が、エティを一気に高温にしようとするのを、リンカは慌てて止めるのだった。そして、エティの口元に顔を近づけて、その呼吸がしっかりしているのを確認した。
呼吸は繰り返し定期的にしているけど、脈が弱かった。
「どうにかして、エティを温めないと……」
リンカの頭の中は、ある考えで占められていた。
冷たい体をゆっくり温めるには……人肌……だよね……
湯たんぽなんて、無いだろうし……そう思いながらも、
リンカは炎の精霊に、自身の体を人が火傷しない程度に、発熱できるか、その温度を保てるか聞いてみた。
炎の精霊は、発熱すると、温度が上昇するのを止める事は出来ないと言われた。
炎の精霊の返事を聞いて、リンカは覚悟を決めた。
掛け布を新たに三枚、寝ているエティに掛けると、自身は薄い下着姿になって、寝ているエティの横に滑り込んだ。
そして、エティに身体をピッタリと密着させるのだった……
出来ればエティも下着姿にしたかったけど、リンカの力では出来そうになかった。精霊達が手伝うと言っていたが、低体温症の対処方法を調べた時、急に動かすのはダメだった気がして、エティの服の前をはだけさせたり、裾をまくって、足を絡めるぐらいが精一杯だった。
リンカは、エティの胸に顔を埋めて、抱きつくように……露わになったエテイの足に自身の足を絡める様にして、エティを温めていた。
少しづつ赤みを戻していくエティの唇に少しだけ安心したリンカは、いつの間にか意識を手放して、夢の世界へと旅立って行った……
読んでいただきありがとうございます。
次回更新が、遅くならない様がんばりますぅ。




