35.熱が下がっても……
高熱に苦しむエティ姉様に、口移しで薬を飲ませたあと、エレン様が薬湯とエティ姉様の着替えを持って入って来た。
「エティの具合はどう?……あら?様子がちょっと……」
エティ姉様の様子を見ていたエレン様が、首を傾けながら
考え込んでいた。私は、飲ませた薬の副作用が出たのかと、心配になった。
「エレン様、エティ姉様は?エティ姉様がどうか……?」
「リンカ、落ち着いて……高い熱だと聞いていたのに、思ったより安定して……熱も下がってきているわ」
「あ……良かった……。具合が悪くなったのかと……」
私はエレン様の言葉にホッとして胸をなでおろした。
「あんなに焦って……ねぇ、リンカ、何かしたの?しているのなら、教えてちょうだい……」
私はエティ姉様に、持っていた熱さましを飲ませた事と、
氷を首の後ろにあてたことを、エレン様に話した。
「そう、リンカの飲ませた薬が効いたのね。氷を額では無く、首の後ろにあてているのはどうして?」
「えぇっと、首の後ろとか、わきの下とか、足の付け根とか、温度の高い血が流れる部分を冷やすと効果的だって……」
「そうなの?リンカは物知りね」
「そんな事ないです。施設にいた時に熱を出した子の世話を手伝ったりしていたから……」
「施設……?エティの目が、まだ覚めていないようだけど、どうやって薬を飲ませたの?」
「えぇ……っと……う……」
うぅ……言いずらい……エレン様ソレ聞きますか……
「く、口移しで……」
うぅ……顔赤くなってないよね?
「まぁ、リンカ!よくやったわね。嫌じゃ無かったの?」
口移しねぇ、道理でエティが幸せそうな顔して……
「嫌だなんて……そんな事、ちっとも、思わなかった」
ドキドキしたけどね……
「えらかったわね……ところで、いつまで寝間着でいるつもり?着替えましょう。手伝ってあげるわ」
私はエレン様に手伝ってもらって、寝間着から、
古代ギリシャの衣装みたいな、所々紐で複雑に絞める
貫頭衣を着付けてもらった。なんか、ヒラヒラしてて、
お嬢様っぽい……
「ふふ……リンカったら、良く似合って……可愛いわね。
暫くの間、エティの事は私が見ているから、その間に朝餉を食べて来なさい。メリルが応接間に、用意しているわ」
私はエティ姉様を、エレン様にお任せして、応接間に向った。
応接間に行くと、ティア様が既にテーブルに着いていた。
テーブルの上には、メリルが用意してくれた雑穀粥と果物、スープが置いてあった。
「リンカ、おはよう。エティが熱で倒れたんですって?」
「おはようございます、ティア様。倒れたというか……
目を覚まさなくて、高い熱を出したみたいで……」
「そう……エティが心配?リンカ……」
「心配です。だって、エティ姉様が熱を出したのって、
私のせいかもしれなくて……私が……」
「リンカ、落ち着いて……何があったの?」
「エティ姉様の、掛け布団を私が奪ってしまって、それで、エティ姉様が寒くて……」
「リンカがエティの……?わからないわ……どういうことなの?」
「私だけくるまっていて、隣で寝ていたエティ姉様は、寝間着と肌掛けだけで……だから寒くて熱を……」
「隣で寝ていた?隣って……リンカ……まさか、同じ寝台で寝ていたわけじゃないわよね?」
ティア様は片眉を上げ、硬い表情で私に聞いてきた。
私は朝起きて気が付いたら隣にエティ姉様がいて、驚いたけど、寒がりの私を温めるために一緒に寝てくれたと思った。
それなのに、蒲団を独り占めして、エティ姉様に寒い思いをさせて、熱を出させてしまった事を説明した。
「だから、私のせいでエティ姉様が熱を出したんです。
今はエレン様がみて下さってますけど、早く食事を終えて、エレン様と交代しないと……」
私の言葉に、ティア様は軽くため息を吐いた。
「そう、今はエレンが診ているのね。気が急くのはわかるけど、リンカが倒れたり、熱を出したりしない様に、しっかり食事して、それから、エレンと交代したらいいわ」
「そうですよ、リンカ様。私もお手伝いしますから、先ずはしっかり、食べて下さい」
「ティア様……メリル……」
「エティが元気になるまで、リンカは外出しないで、エティの側についていたらいいわ」
そう言って笑ったティア様だけど、目が笑っていない……
「食事とか、飲み物とか、私が運んできますからね。リンカ様はエティ様についていて下さい。何か必要な物は有りますか?リンカ様……」
「ティア様……メリル、ありがとう……」
私はメリルに、リンゴみたいに摩り下ろせて甘い果物と、
摩り下ろす道具と、摩り下ろした物を入れる器、スプーンを用意してほしいと頼んだ。
それから私は、ティア様、メリルと三人で食事を始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私が退出した後、部屋の中ではエレン様が、エティにどうやって着替えさせようかと、考えていた……
「……風の精霊……いらっしゃいますね?」
エレン様の呼びかけに、風の精霊ウィンディが姿を現した。
だがその姿は、インコに似た小鳥の姿では無く、風にたなびく白金の髪に金の瞳、均整の取れた、美しいが無表情な顔に、少年とも少女ともいえる中性的な、人の姿をしていた。
《何用か?『感受の巫女』よ……》
思っていたよりも高位の精霊が顕現した事に驚き、眉をひそめ、小さくため息を吐いた。
「ハァ……困りました。まさかあなたの様な精霊王に次ぐ
高位の精霊とは……」
《構わぬ。何用か?申してみよ……》
「では……この者が、体調が悪く目覚めぬのです」
《フン……もう熱は引いている様だが……》
「ええ……、リンカが薬を飲ませて、熱は下がった様です。それで、着替えさせたいのですが、意識を取り戻させるか、手伝っていただかないと……私だけでは出来ないので……」
《……覚醒を促した……》
「感謝いたします。風の精霊……」
《……『感受の巫女』アレの始末は?……任せてよいのか?》
「私と共に探っていたのは、やはり貴方でしたか……今は大人しいアレですが、次に出た時は……」
《……あの娘に害の無き様……心せよ……》
「あの娘とは……?リンカの事でしょうか?」
エレンが風の精霊に確かめようとした時、エティが覚醒し始めた……
そして、エティの覚醒と同時に、風の精霊ウインディは、その姿を消していた……
「う……ぅん……」
「……エティ……目覚めましたか?」
「……え?エレン様?……」
「エティ、取り敢えず、急ぎ着替えを……リンカに見られたら困るでしょう?」
エレン様は、目を覚ましたエティを手早く着替えさせた。
着替えさせている途中で、影が用意した女装具(偽胸)を、触ったり、揉んだりして、初めて目にした其の感触を確かめていた。
エティは顔を赤くしながら、エレン様にされるがままに
なっていた……
着替え終わったエティがベッドに腰掛けて、エレン様から、リンカが口移しで薬を飲ませた話を聞いて顔を赤くしていると、食事を終えたリンカが、部屋に戻ってきた。
起き上がっているエティを見てリンカが、吠えた。
「エティ姉様……何で起きてるんですか?熱が下がったからってまだ起きたらダメです。ベッドに入って、早く!!
今日一日は、寝ていて下さい。もぉ~……」
リンカに促され、エティはモソモソとベッドに入った。
着替え終わるのが、もう少し遅かったら……
間に合って良かったと、エティはホッとしていた。
エティの額に、リンカが額を重ねて、
熱の具合を確かめていると、エレン様から
口移しで薬を飲ませてくれた事を思い出したエティは、
顔を赤くして、リンカに叱られてしまった。
「顔が赤い……エティ姉様ってば、起き上がったりしたから、また熱が出てきたかも……」
「汗をかいていたようだから、着替えさせたわ。何か食べれるようなら、持って来ましょうか?」
「エレン様、着替えを手伝っていただいて、有難うございました。今は何も、食べられそうにないです。リンカに叱られない様に、大人しく寝ています……」
私に叱られるの……イヤだったのかな?
私はエレン様と、エティ姉様のやり取りを見て、小骨が刺さった様な、何やらモヤッとした気持ちが、胸の奥に沸き上がったのを感じた。
「リンカ、エティの熱が下がって、良かったわね」
「は、はい……エレン様」
「リンカ、エティが起き出さない様に、しっかり見張っているのですよ。十二の鐘の後に、また様子を見に来ますね」
「はい……よろしくお願いします。有難うございました」
エレン様が部屋を出て行くと、私とエティ姉様の二人きりだ。
私はエティ姉様に、食欲が無くても、水分補給は必要だから、寝る前に、水分をとって欲しいと言った。
すると、エティ姉様は甘えて、飲ませてほしいと言うので、私はエティ姉様の上半身を抱きかかえる様にして、コップに入れた水を口元へと運んだ。水を飲みながら、少し寂しそうに微笑むエティ姉様……
「ありがとうリンカ……」
横になったエティ姉様にふとんを掛けると、エティ姉様が
私の手を取って離そうとしない……
「エティ姉様?手を離して……」
「リンカ……側にいて……」
「エティ姉様、側についていますから、寝て下さい……」
「うん……リンカ……」
急に眠りについたエティ姉様……
私はそっと手を離した。
ふと気が付けば、闇の精霊ダークが、エティ姉様の
枕元にいた。
エティを眠らせたのも、エレンに言われて、目覚めさせたのも、精神に触れる事が出来る闇の精霊ダークが行った事だった。
私はエティ姉様の眠っている傍らで、ミサンガの糸を編み始めた。髪を束ねる事が出来る様に、長く、長く、贈る相手の事を想いながら……
◇◇◇◇◇◇◇◇
エティをリンカに任せて部屋を出たエレンは、風の精霊に言われた事を考えていた。
リンカが操られていたフォルクスに責められた後、エレンは自らの能力を使い、操っていた者の足跡を辿った。自らの意識を解放し、悪意の残照を追って意識の糸を張り巡らせ、他の意識の内側へと侵入していった。
そうして手繰り寄せた悪意の先には、予想もしなかった、
人物の姿があった……。
その者にたどり着くまで……、空気に溶け込む様に姿を隠し、監視している風の精霊の、気配を感じていたエレンだったが、まさか精霊王に次ぐ高位の精霊だとは、考えもしていなかった。
その精霊が、リンカに害の無い様にと、警告したのだ。
大巫女ユーフェミアの受けた神託でも、リンカに害の無い様、警告があった。
リンカが神と精霊にとって、特異な存在である事は間違いない。だが、その理由を知る由も無い……
神と精霊に愛される娘……偏屈で気難しいユースヴェルクも、堅物で無感情なリビングストンも、リンカに情愛を示している……
ユーフェ様も、ティア様も、不可思議な事に私とて、会ってすぐにリンカの事を気に入っている……
あの、疑い深いシリウスでさえ、距離を縮めて接していた……
迷い人、リンカ……不思議な娘……
エレンはリンカの事を考えながら、大巫女ユーフェミアの元へと向った……
誰にでも、潜んでいる悪意
人はそれとうまく付き合って
生きているのです。




