1.旅立ち(過去との決別)
「長い間、お世話になりました」
八歳の時から十年もの間、暮らしていた施設から、高校卒業を機に出て行く事にした。
面倒見のいい施設長は、成人するまで居てくれて構わない、と、言ってくれていたが、カフェの研修でイタリアに行く事が決まった私は、ちょうどいい機会だからと、巣立つことにしたのだった。
「アチラには何か……」
遠慮がちに施設長が聞いてきた。
「十年前に縁は切れてます。連絡しようにも門前払いされますよ……でも、お墓参りだけはコッソリと行くつもりです……」
外国での研修が終わっても、この街に帰ってくることは、もう無いだろう。
ただ一人、血のつながった弟の事は、気にかかるけど……
「此処を実家と思って、いつでもおいで……」
お人好しの施設長に別れを告げると、キャリーバッグを転がしながら、前日の雨に少し湿ったアスファルトの歩道を歩き始めた……
シングルマザーだった母が、地元では有名な旧家の長男と結婚したのは、私が三歳の時だった。
母が後継ぎとなる男子を産んだ為、頑固な義祖父も詮方なく認めたそうだ。
けれど、血の繋がらない私は『宮坂』になる事は許されなかった。
だから私の名前は、生まれてから今までずっと変わらず、『神代鈴花』だ。
私が八歳になる誕生日に、買い物に出かけた両親が交通事故で死んだ。
居眠り運転のタンクローリーに押されて、車ごと高架橋から落下し、衝撃で義父は即死、母は弟を庇って亡くなったそうだ……
家の体裁もあり、母も宮坂の墓に入れてもらえた。跡継ぎでもある弟を引き取る代わりに、私が成人するまで不自由しないだけの金銭を寄こし施設へ預けると、唯一人血のつながった弟との、一切の縁を切られた。
祖父母と同じ様に、母と私を蔑み、見下していた一歳上の義姉『玲奈』に、施設へ送られる朝、弟『尚人』のことを、血がつながっているのだから、虐めないで、一緒に遊んで(愛しんで)、守ってくれるように頼んだ。
その日から……同じ街に住んでいるのに、宮坂の家族には、出会うことも、その姿を見かける事も無かった……