幸せの絶頂
午前中だけでこの辺りの地域の中で最大の動物数を誇るこの園内にいる動物を全て回れることなんて当然なく、半分を何とか見終わる頃にはもう十二時を過ぎていた。
「次は何を見ますか?」
「え…?」
「どうしたんですか?」
「いえ…だいぶ『一ヶ谷咲良』が薄れてきたなと思って…」
今の先輩は初めに比べだいぶ『素』の先輩に近づいてきたように思える。根拠はないけど…
「たぶん…」
先輩は俺に言われてようやくそのことに気付いたようで視線を明後日の方向に向ける。
「慣れてきたんだと思います。」
その言葉を聞き心の中を嬉しさが満たした。
つまりそれは先輩が俺に心を開いてくれてきているということで…
「なんか…」
先輩はそう言いもじもじとし、顔を赤らめる。
その仕草がますます俺を期待させて…
「弟みたいで。」
それを聞いてガクッと項垂れる。
お・と・う・とーーー!
つまり異性とも思われてない!
いや、でもこうして『素』の状態を見せてくれるだけまだ状況は進歩しているのか!?
でも…やはりがっかりしないではいられない…
「なんだか由真君は他の人とは違うような気がします。話しているととても楽しくて、私の話もちゃんと聞いてくれて、こんな『本当の私』を見ても突き放さないでいてくれるんですから。」
「そんな…俺も…俺も先輩と話しててとても楽しいんです!だから…自分のことを『こんな』なんて言わないでください!」
「由真君…」
ぐー、ぎゅるぎゅるぎゅる。
そんな雰囲気の中空気の読めない俺の腹の虫が鳴った。
「ち、違うんです!今のは…」
手をぶんぶんと振りどうにか誤魔化そうとする。
こんなときくらい空気読めよ!俺の腹の虫!
めちゃくちゃ恥ずかしいじゃねぇか!
だが、その音を聞いて先輩はコロコロと笑い出した。
「ふふ…もうお昼ですもんね。あっちの広場でお昼ご飯食べませんか?私お昼ご飯作ってきたんです。」
せ…先輩の手作り!?
俺なんかのために!?
心臓が破裂しそうなくらいバクバクと鳴る。
「葉音ちゃんがこういうときは手作りお弁当だよねって。」
その一言で冷静さを取り戻す。
そうだよな。これはデートじゃない。『特訓』だ。危ない危ない。危うく勘違いするところだった。
桜ヶ岡先輩が自分から俺なんかのためにこんなことするわけがないもんな…
このデートは葉音先輩と佳木先輩の計画したものだ。
でも、これがたとえ葉音先輩たちの立てた計画であったとしても桜ヶ岡先輩の手作りお弁当が食べられるということに変わりはない。
広場に向かうまでの道を歩く間、緩み切った頬を元に戻そうとしては失敗し、戻そうとしては失敗しということを何度も繰り返し続けた。
❁
「おぉーーー!」
今俺の目の前には色とりどりのおかずが詰まったランチボックスが広がっている。
綺麗に焼かれた卵焼き、からっと揚がった唐揚げ、ケチャップソースのかかったミニハンバーグ、彩りを考えて添えられたであろうブロッコリーとプチトマト…
そしてもう一つの箱の中には綺麗に握られたいなり寿司と海苔に包まれたおにぎりが詰められている。
食べる前にも関わらずとてもおいしいということが分かる。
「…きちんと味見もしたから味はたぶん大丈夫だと思うんですけど…おいしくなかったらごめんなさい。」
「そんなことないです!こうやって作ってきてくれただけでもすっごく嬉しいんです!おいしくないわけがありませんよ!絶対に全部食べます!
「そ…そう?あ…ありがと…」
そう言い先輩は俯いた。
その際髪で顔が隠れ今先輩がどんな顔をしているのか窺うことは出来ない。
「い、いただきます!」
手をパンと合わせありったけの感謝の気持ちを込める。
そして桜ヶ岡先輩がわざわざ用意しておいてくれていた紙皿におかずを取り分けて口に運ぶ。
「う……」
「う?」
「うまーーい!なんですかこれ!こんなおいしいもの初めて食べましたよ!」
「もう、由真君大げさすぎです。」
先輩が恥ずかしそうに微笑む。
「こんな言葉じゃ全然足りませんよ!あー…俺にもっと言葉のレパートリーがあればもっとグルメリポーター顔負けの言葉でこのおいしさを表現できるというのに…!」
「ふふふ…ほんと由真君は面白いです。」
「俺は大真面目ですよ!先輩も食べればわかります。」
視線で先輩も食べるように促すとようやく桜ヶ岡先輩は箸を手に取った。
それを横目で確認しつつ俺は休む暇もなく料理を口に運び続ける。
大好きな人の隣で大好きな人の作ったご飯が食べられる。
もしかしたら俺は今人生で一番幸せな瞬間の真っただ中にいるのかもしれない。