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全てが終息に向かっている。もはや瓦礫の山と化した毒ガス工場からは神経ガス、糜爛剤、嘔吐剤が漏れ出ており麓孫は防護フィールドを展開するのと同時に唐突な喪失感に襲われた。
麓孫の視界に入ったのは燃え広がった火災によって焦土と化したスナジリア島だった。
林寺…… 波多野…… ナターシャ…… シルク老人…… ミヨル……。そして、
「初目…… 初目ッ……」
麓孫が想う少女の名前。護らなければならない少女の名前。
彼の眼前の光景がその想いを否定する。自分に失格者の烙印が押されたような気がした。麓孫は今にも心が折れてしまいそうだった。
どうすれば良い? もし初目がいなくなったら、居場所などない。
『初目』というこの場所が、『彼女たち』という場所だけが自分の存在理由を満たし、進むべき方向を指し示し、導いてくれる。
麓孫の中で何か暗く、重いモノが沈殿していく。
ただそこで気づく。何かが…… こちらに寄ってくる。人影? 生存者かッ!?
「おいッ!! だいじょ…… ぶ……」
「あああああッ がぎッ! グガッ…… ロクゾンんんん……」
ハツ……。
「初目ェェェェェェェェェェッ!!」
駆け寄る麓孫。初目は、黒焦げだった。皮膚は焼け焦げて黒く炭化し、所々で筋組織が露出している。瞼は溶けて眼球と癒着しており、頬には何かの破片が突き刺さり口内が垣間見えた。服など体に張り付く布きれでしかなく、右手の【手袋】は燃え尽きていた。
「えがッ…… コヒューコヒュー…… ングガッ…… ろぐ、ぞんんん……」
必死に呼吸をしようとする彼女は腸を垂らしながら、それでもこちらに寄ってくる。
しかし、とうとうその体は糸の切れた人形のように力なく沈んだ。
麓孫は地を踏み、一足飛びに彼女の元へと急行し、まるでテーブルから落ちたグラスをすんでで受け止めるように彼女の身を自身の腕の中に治めた。ひどく乾いた肌だった。汗腺から何まで壊れ、もはや人間とは呼べないその状態で、しかし彼女は、
「ろぐ、ぞ…… だいじょ、ぶ……?」
「~~ッ!? 初、目……。俺は、君を」
「ろぐ、ぞ…… どこぉ…… うえッ!」
「ここだッ!! ここにいるッ!! お前の傍にいるぞッ!! 初目ッ!!」
「コヒューコヒュー…… ろ、ぐ…… ど、こ」
「ダメだッ!! 初目ッ!」
「……ろ、ぐ」
「初目ッ!!」
「い…… き、て……」
彼女の身体から力と生気が完全に失われた。
麓孫は自分の持てる限りの情報をかき集め、そして実施した。心臓マッサージをしようとすれば胸骨が折れ、そのままぐずぐずとめり込んでしまった。人工呼吸をすれば喉に開いた穴から空気が漏れ出る。
くそッ! くそッ!
自分は一体…… 何のために戦ったッ!? 彼女たちを護るためだ。ならなぜ彼女はこんな姿になっているッ!?
「なぜ…… なぜ……」
なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ…… 何故ッ!!?
その時だった……。どこからか獣のうなり声のような音が聞こえてきた。崩落の直前に聞こえたものと同じものだった。頭上を見上げてみる。戦闘機が一機空を飛んでいた。“セフィロトの樹”を模した国章――。麓孫が知らないはずがない。
「駿河…… 奴らだッ…… それもこれも何もかも奴らがッ…… 奴らがッ!!」
麓孫の中の何かが切れた。
息が絶えた少女の遺骸を麓孫は見つめた。
彼は頬を伝うものが何かを知ってはいる。だがどう止めたら良いかわからない。感情が、思考が、思い出が、信念が、戦う理由が、存在意義が、全てが黒く滲んでいく……。
少年は崩れていく己の心を弔うように、ただ遠く、誰も達した事もないような所まで届くように声を上げて啼いた。
『こちら哨戒機【アルファ】スナジリア島中央部において六縁機【弐鷹】の生存を確認。もう一機は確認できず。損傷を負っている模様。こちらへの敵意は現在確認できず。このまま哨戒を続けるか?』
『了解【アルファ】。そのまま帰還せよ。地上部隊を送る』
『どれくらいで着く?』
『15分だ』
『わかった。今映像もそちらに送った。確認しておいてくれ』
パイロットは通信を切るとため息を吐いた。15分? 何を悠長な事を……。あんな手負いの小僧に何を臆しているんだ、まったく。
最初に六縁機が相手という事だからどんな大物かと思ったが、拍子抜けも良いところだ。最初の精密爆撃で簡単に沈み、今確認が取れた【弐鷹】の上脳指揮官のガキもボロクズのような人間ともわからない死体を抱えてピーピー喚いてやがる。
「いっそこっちに敵対行動の一つでも見せてくれりゃあ正当防衛って大義名分が成立するんだが…… あの様子じゃあ無理か」
それにしてもあれが本当に戦場において一騎当千と恐れられた【六縁機】なのか?
もし本当にそうだとするならばその噂も信憑性に欠けるというものだ。
「さて、帰るとするか……」
と、パイロットが進路を変更し、帰路の燃料メーターに注視した時だった。面前の液晶に映し出されている【弐鷹】の敵性ブリップの他にもう一つ反応が現れた。
「~~ッ!!?」
対象は中央部にある山の頂上からまっすぐこちらに飛んでくる。視認できたその形状は装甲を纏い、風切音すらさらに細かく切り刻みそうなほど鋭利でありながらどこか流線型を思わせるシルエットだった。
【鷹】である。
機体を翻し、恐るべきスピードを持つ敵性体を間一髪で避けたパイロットだったが、自身の眼前、窓の外に何かが張り付いていることを彼は認識した。
「おまッ!!?」
『お前らだッ…… 何もかもお前らがッ…… お前らがッ!!』
先ほどまで数百m下の地上で泣き崩れていた少年がどうやったらこの彼我の距離を埋められるのかをパイロットは想像できなかった。だが、ただ一つだけの事実が彼の頭の中に浮かんだ。
「六縁機【弐鷹】の麓孫……」
男は最後の言葉を言い終えると、機体の外でこちらに鬼神の如き眼光を刺す少年を見た。
『お前らがッ!!』
次の瞬間には男の視界は暗転し、機体は空中で轟音と火炎に包まれながら墜落した。




