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ありえない。こんな事は断じて…… だが、実際に眼前で起こっているのだから、自分の両目を疑う事くらいしかなかった。
麓孫は飛翔する。速度の計算や上昇観察などとうに放棄している。残った己の思考領域は全て別の事柄に割かれていた。古肚よ……。なぜお前が2人の能力を持つ? なぜその縁機を使いこなす? なぜお前が?
頭の中のラグが晴れるまでにはだいぶ時間がかかってしまった。疑念の霧とも呼べるその思考の中から麓孫を切り上げたのは【鷹】から入った通信だった。
《上脳よ! 今は思案する場面ではない! 稼働率はなんとか65%まで回復させましたが、先の攻撃によるダメージが外装甲にも出ています! 装甲は6層中4層までダメージが蓄積。侵度55%までロスト。残りの内31%をゲインしましたが、他14%を不適合と診断。【伍煙草】の発した磁場によって強化・結晶化した鉄鋼装甲の分子配列が崩壊しかけており、実際のところ安全マージンを取ろうと思えば外装甲は第3層までしか確保できません!》
麓孫はようやく緊張を取り戻した。そうだ、考えるのはあとである。まずは2体の縁機をどう静めるか、いや【伍煙草】の猛撃をかわしながら他の2体を相手取るなど自滅行為だ。ならば引くか? どこに? どこまでも追いかけてくる。ならばもうここで決着をつけるしかない。
「こうなったら上脳権限の一部をお前に委譲する! 人工知能に組み込まれたシステムデザインも一部変更。現在のオペレーティングシステムはそのままに、内外部センサーを使って機体の状態を再フィードバック! その後、システムの中で自意識を獲得したまま安全装置を解除。これだけすれば“加護”の応用接続もお前の意思で使用が可能となる。稼働率も90%まで確保できるはずだ」
麓孫はそう言い放った。しかし――。
《そんな事をすれば、もし私がやろうと思えばあなたの自意識を乗っ取る事も可能ですよ? 上脳の権限を委譲するなど…… 士官学校では“急場では投げやりになれ”とでも教わったのですか?》
「お前はそんな事はしない。まずそんなメリットが今のお前にはないのだから」
《わかりませんよ…… 【クレヴァー=シード】と同様に、私も自由を欲している可能性だってある》
「であるなら…… どうしようもないな。だが、それでもお前を、信じている」
《……。『信じる』ですか。本当にあなたがあの【弐鷹の麓孫】なんですか? ハハッ! まるで別人ではないですか! ……わかりました。あなたの自殺行為に私も付き合いましょう》
ジッキン=ゲンの声音は最近どうも機械とは思えないリアリティがある。いや、もしかすると機械と人間の境界などあって無いようなものなのかもしれないなと麓孫は思った。
全ては彼らに出会った時からだ。自分の変わり目がはっきりとわかる。
「行くぞッ ジーンッ!」
1人と1機が行動に出た。
それを遮ろうと古肚も行動を開始する。彼奴の後方で浮遊する【肆扇】が動きを見せた。
六縁機の肆扇・【ククル=カン】を御する本体は『セキ』というショートカットに釣り上がった目で冷たい印象が第一に来てしまいがちな女性だった。だがその本人は接してみると何とも穏やかな人となりであり、触れ合った人間は例外なく彼女に好印象を抱いたという。実際、麓孫も彼女を六縁機の上席として心から尊敬している。
しかし、彼女も一度戦場に出れば、一騎当千。屠り、穿ち、その場の戦況をひっくり返す。
彼女の使役した縁機【ククル=カン】は原寸大の孔雀を模した縁機であった事を今でも覚えている。その戦術も……。
【ククル=カン】がその羽を扇のように広げた。その羽の一本一本が怪しく光だした事に麓孫は気づいていた。攻勢に出るならば、今において他にないが麓孫はそうする事が出来ずにいる。上脳権限の委譲がまだ完了しない内は下手に接近する事は躊躇われる。だが、ここで何も手を加えずにいるほど麓孫も愚かではなかった。
(そろそろだと思うが…… 来た!)
麓孫の視線は地上に注がれていた。いやさらに厳密に言うと下から昇ってくる一振りの剣だった。先ほどの戦いで地上に放置していた『骨羽』である。
弐鷹の“クラス加護”である《知覚・能力の上昇》は何も己の人工筋肉を増大させるだけに留まらない。応用性の高さは他の縁機と比べても引けを取らないだろうと麓孫自身も確信していた。
【弐鷹】の外装甲などはその見本市のようなものだ。かの装甲はただの金属などでは決してない。
先日の《巨兵》との戦闘の前準備として洞窟の明るさを調整した妙技を思い出してもらいたい。あれは地中の光源体を能力で活性化、つまり『上昇』させることで成された事象である。
装甲にもそれは応用されており、鉄鋼装甲の分子配列を“加護”により強化、結晶化させしなやかさと耐久性を与えている。
そして、ジッキン=ゲンが麓孫の服や初目の手袋、そして『骨羽』に使用しているそれも同様である。装甲の分子のしなやかさを限りなく強化すると、繊維のように柔らかくする事もできる。そして、そのように干渉した分子はある程度のコントロールも可能なのである。
さすがに上空10,000mまで浮かしてくるのは骨が折れたが。
「疾ッッッ!」
麓孫は強く掴んだその一振りを携え、なんと【鷹】と共に【肆扇】に突進したのだ。
「あれは確かに【ククル=カン】を象ってはいるが、さっきの様子から見ると正体は【テキスト=イーター】の生成した煙だ! ならばこの骨羽を触媒にして奴を叩けばナノマシーンの分子配列を暴走させ、破壊できるかもしれんッ!」
麓孫らの飛翔速度の方が【肆扇】の挙動を上回った。しかし――。
古肚から繰り出された煙槍が行く手を阻んだ。距離を取るしかない。
「くそッ! ジーンッ、委譲過程はどこまで済んだ!? このままだと空中分解するぞッ!」
《現在30%までインストール完了。稼働率は70%を確保しています》
「まだまだ足りんッ! 更新速度を上げろ! 雑多条件の同意は全てパスして構わんッ!」
《了解》
短く答える【鷹】との通信が晴れるやいなや、古肚の攻撃が殺到した。先ほど活用した貯蓄エネルギー、補助電源を可変機構に全て流し込み、力の限り煙槍を殴りつけた。
なんとか槍の弾幕を凌ぎ切った。
《35%までインストール完了。稼働率74%》
そう伝えてくる音声が聞こえた。
(くッ! やはり遅々として進まんか! このままの調子じゃあ動きの綻びを突かれて、崩されてしまう……)
麓孫が苦虫を噛んだような表情で古肚を見据える。腕を組んで、息一つ切らしていない。その時だった――。
【肆扇】の力が解放された。
1,000を超える数の天使を模した兵隊たちが出現したのだ。
麓孫もこの光景を知っている。セキはこの技『乖離実験』(プラネタリウム)で一個旅団と渡り合ったのだ。たった1人で……。
羽を生やしたのっぺら顔の兵たちは腕から刃が生えていた。それらは次々と麓孫を敵性認識し、彼に襲い掛かった。かの1,000人部隊はそれぞれ1体すつが十分な戦力を持っている。
クラス加護に《子孫と文明の繁栄》というものを持つ【肆扇】が作り出した“疑似ホムンクルス”である兵を持つセキは文字通り一騎当千であった。
《55%までインストール完了。稼働率79%》
「まずい…… とうとう出て来たか……」
顔曇らせる麓孫は必死に天使たちの攻撃を掻い潜って、体勢を立て直すように努めた。
だが、これだけでは済まされなかった――。
同様に古肚の後方に待機していた【陸座頭】に動きがあった。
六縁機の麓座頭・【サロ=ゲート】を御する本体は千造という男であった。何とも外国に被れた男というか、異国の雰囲気を帯びた不思議な男であったことを今でも記憶している。2mを超える盲人を模した縁機を従える彼は『即製象形』(ドラゴン・パレード)というナノマシーンを利用した“固定固有ホログラム実体風景”を作り出す能力を有していた。
「ナノマシーンを操る古肚とは近似した能力にも思えたが、実際のクオリティは【伍煙草】を遥かに超える! 奴まで起動されてはまずいッ! ジーンッ! 進行は!?」
《85%までインストール完了。稼働率87%まで確保しました》
「よし! なら“例のアレ”を準備しておいてくれ」
麓孫の言葉に《……アレを使うのですか?》という【鷹】の応答が返ってくる。
「自壊の覚悟で臨まねばならんようだ……」
《……ミス・キエローと通信を開きますか?》
どこか寂しげな声だった。機械のそれとは思えぬ程に労わりの色が表出した口調。
「ああ…… 頼む」
そう答えた麓孫の表情はとても穏やかだった。
なおも攻撃は麓孫に加えられており、それを紙一重でかわし続けている彼はどこか力強い微笑みを浮かべていた。初目と交わした願い“誰かのために戦う方法を教えてくれ”という自分の願いを受け入れてくれた初目は何か具体的な事を教えてくれた訳ではなかった。
ただ、朝に顔を合わせれば「おはよう」、夜は「おやすみ」、お礼を言う時は「ありがとう」といった事だけを自分に教えただけだった。
だがそれだけで、たったそれだけで変わる事ができた。
もし、ここで麓孫が引けば、古肚は間違いなく島民を襲うだろう。今までは沈黙を続けていた。
だが…… 今こうやって相対してようやく理解した。古肚は必ず、近い内に無差別にこの島の人間を襲うようになる。それが古肚の意思なのかどうかは計りきれないが、その確信だけが麓孫にはあった。
《上脳よ…… ミス・キエローとの通信を試みましたが、どうやら通信障害が起こっており私の分身に語りかける事が出来ない模様です…… 申し訳ございません》
「いや…… 構わない…… 何となくだが予感はしていた」
《……申し訳ございません》
そう言って【鷹】は己と麓孫の中であるシークエンスを起動した。
ドクは修理の段階である機構を【鷹】に取り付けた。
それはある種のリミッター破壊の機能とも言える代物だった。
麓孫の必殺の手『最終波光』(ラスト・ボウガン)はその威力ゆえに自壊の可能性も孕んでいた。そのため出力は5割ほどに抑えられていたのだが、ドクはそのリミッターを『どうなるか興味があるから』という理由で取り外した。
つまり、麓孫が出力の調整を一手に引き受け、ことによってはその場で最大出力を撃てるようになったのだ。ドクという優秀な人間がどうしてこんな島に飛ばされたのか、何となくわかった。
『ナイショ❤』と嬉々とした表情のドクが頭に浮かんで腹が立ったが、麓孫は内心では感謝もしていた。
「これがなければ切り抜けられんしな…… まったく、マッドサイエンティストに頭を垂れる事になるとは」
そんな麓孫をよそに【陸座頭】は恐るべき状況を作り出していた。20mを超える装置がナノマシーンによって生成されているのだ。
ベータ粒子直線発射装置。
駿河八甲国軍がその最奥に隠す最大戦力を保有する戦略兵器。ベータ線を湾曲した曲射弾道を描かずに一直線に標的に射出する装置であり、その威力は麓孫の『最終波光』と同等かそれ以上である。それが空中に無造作に現出した。
「まさか、駿河最奥の兵器まで象るかッ!?」麓孫は驚嘆した。
1,000体のホムンクルスが麓孫を追尾する中でさらに脅威が増大した。逃げ道からすすると抜け、邪魔立てする個体は粉々に砕くべく正面から突進した。風を切る。刻んだそばからそれをさらに切り刻む。
その時だった――。
【陸座頭】が作り出した“ベータ粒子直線発射装置”がうなり声のような駆動音を立てながら、エネルギーを蓄積し始めた。みるみる内にその巨躯の存在感が大きく、明確になっていく。嵐のような攻撃を回避し続ける麓孫はその最中、古肚に視線を送った。彼奴はただ静かにこちらを見据えていた。そして――。
発射装置が起動した。
マズルから無慈悲な破光が放たれ、その威力は点の存在でしかない麓孫ただ1人に向けられていた。上方にやや傾いた線を描くその閃光に麓孫は回避選択の余地がないことを悟る。
これは避けることができない。ではどうする?
《上脳指令:*//“固有加護”ノ付与!》
《下脳受領:*//“加護”ノ展開ヲ確認》
《上脳指令:*//“エネルギー放出”ヲ応用接続/防護フィールド/前面ニ多層展開サセロ!》
《下脳受領:*//防護フィールド展開ヲ確認》
麓孫は咄嗟に自身の前方に防護フィールドを何層にも重ねて展開させた。
莫大なエネルギーの射出攻撃によって盾の役割を果たさない防護フィールドは当然のように剥がされ、砕かれ、壊される。ただ、防護壁へのエネルギー供給を続ける麓孫の前面には破壊される傍から盾がすぐさま生成されるという状況が繰り広げられ、結果的に完全戦闘不能、生体反応の消失という窮地から麓孫自身を救ったのだ。
「「「――――ぐうッゥ!」」」
麓孫の身にかかる負荷はどこにも逃げる事なく、彼自身の身体にダメージを与え続けた。
防護壁に反射したベータ線の凝集光は枝のように方々にその威力を伸ばし、麓孫の周りに殺到していた天使を象る人工兵の幾つかを蒸発させた。
だが――。もう耐え切れない!
「「「「「ジッキン=ゲンッ!」」」」」
《上脳権限の委譲完了! 稼働率120%ゲイン!》
「リミッター解除! 全部解放しろ!」
麓孫の叫びと共に彼の身の内にある違和感が生まれ、その感触は徐々に大きく、はっきりとしていく。膨大な力が治まりの効かない器から解放される感覚だ。畜力したバネがその威力を放つが如きその存在感はふと途切れた。
そして――。
「「「「「 完全出力・最終波光 」」」」」
麓孫が突き出した両腕の先で高濃度のエネルギー球体が出現した。
安定した様相を呈していたその球体は何の前触れもなく古肚に向け、伸びた。
ベータ粒子直線発射装置から放たれたモノに比べれば、それはか細い流星のように思えるが、その希薄な印象とは裏腹に古肚と【陸座頭】によって放たれた破壊光線を内部から堀るように進み、ある瞬間から―― 増幅した。
ワンテンポ遅れる形で威力がおおよそ200倍まで爆発的に膨れ上がったのだ。
麓孫の両の義手にこれまでに体験した事のない恐るべき負荷がかかった。肩部から今にも弾け飛びそうな程に軋み音が聞こえてき、前に向けている掌はすでに一部が溶解しかけており、彼自身の面の皮は焼け焦げている。
ベータ粒子直線発射装置の破光を丸ごと飲み込む形で、麓孫の決死の攻撃が上回った瞬間である。そしてその攻撃は【肆扇】【陸座頭】を巻き込んで古肚の影をそのまま掻き消した。
自身の意識が徐々に闇の中に溶けていく感覚に麓孫はどこか既視感を覚えていた。そうだ…… この感覚は古肚に橋から落とされた時に一度経験した。暗い海底に沈んでいくようなその冷たさの中で、麓孫は確かに、聞いた――。
「強く、なったな、麓孫」
誰だ? この声はどこかで聞いた事があるような……。まあ、いいか……。
戦いには勝てた。その確信だけが麓孫の中に幸福感を生み出し、心の平穏を作り出していた。自分はやったのだ。みんなを守れた。彼女を……。初目を……。初目……。彼女は怒るだろうか? もし自分がこのまま冷たい海に沈んでいったら。でも、もう動かせないんだ。もう……。
そのまま麓孫の意識は溶け、落ちて行った。落下中に彼女の声を聞いた気がした。
「おやすみなさい、麓孫」
彼女の声は祈るような、そしてどこか引き止めるような声音だった。
麓孫と古肚はそのまま地上まで落ち、毒ガス工場の辺りに墜落した。




