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林寺たちによる尽力で古肚の機動力を奪う事に成功した。
これはかつての孤独な機械でしかなかった麓孫であったなら決して成す事はできなかった。
【伍煙草】はその特性上、攻防両翼を兼ね備えた縁機だ。中でも自動防御の機能はほぼ死角のない鉄壁である。凝固した生体ナノマシーンはそう易々と崩れはしない。だが、彼奴が攻勢に出た時だけ、その鉄壁は取り払われる。
【伍煙草】は攻防を一手に担えない。攻勢に出れば防御が疎かになる。つまりそこを意識外から第三者が攻撃すれば隙が生まれるというのが道理である。
『今だ、麓孫!』林寺が体勢を崩した古肚を見て無線で麓孫に叫んだ。
「疾ッッ!」麓孫が古肚に突進を慣行した。
古肚も静観など良しとせず、構えた長刀を振り抜いた。しかし、麓孫怯まず。精密に麓孫の頸動脈を狙って軌跡を描く古肚の凶刃は麓孫の強化された尺骨の前に粉々に砕け散った。
思わぬダメージを負った古肚の中でわずかなタイムラグが生まれ、【テキスト=イーター】の攻勢を崩し、結果的に脆くなったナノマシーンの刃を砕いたのだ。
麓孫が己の掌底を古肚の心窩に沈めた。古肚に新たな隙が生じ、【テキスト=イーター】が上脳の危機を察知、その身を外因から包囲するため殺到した。
だが、麓孫…… いや【鷹】には十分過ぎる程の時間だった。
【鷹】が古肚の身体を足で鷲掴み、鋭い爪を食い込ませた。麓孫がその背中に搭乗したのを確認するとそのまま一息に急上昇を図った。
古肚と【伍煙草】の能力のメカニズムは、古肚自身が地面に接地している状態から足裏で地面の中に存在する微生物などに特殊な電気信号を与え、己の体組織と融合させ、ナノマシーンを生成し、体を伝わせてテキスト=イーターで煙として放出、それらを使った自動防衛、反射攻撃を基盤とするというものだ。
決闘前に林寺たちに助力を頼んだ際に、古肚とどのように渡り合うかという議題が真っ先に挙がった。長期戦にもつれ込めば、間違いなく物量で押され、敗北すると悟った麓孫らは超短期決戦を目標に掲げた。とするならば、この作戦において要となるのは、正面からぶつかる麓孫ではなく、廃墟に隠れて機を狙う林寺たち探索班と『クレヴァー=シード』が指揮する狙撃砲台を兼ね備えた機械兵たちだ。麓孫の仕事は古肚の注意を引くために拳闘合戦に持ち込むこと、【伍煙草】を攻勢に出させる事である。
だが、ここまで持ち込んでもやっと勝率2割と言ったところだ。ここで止めをさせなければ【テキスト=イーター】が戦況を立て直すために古肚を完全に防備する。
よって、より確実に勝利するためには【テキスト=イーター】の生体ナノマシーンの生成を完全に断つ必要があるのだ。だがどうやって? と思案していたところドクから提案があった。それが『微生物の存在しえない極端な環境である高高度まで上昇すれば無力化できるのでは?』というものだった。残る不安材料は古肚の扱うあの『秘技』だけだが、高い集中力を要するため、隙さえ与えなければ問題ないだろう。
【鷹】は現在スナジリア島上空6,000mまで上昇中である。
ここまで、全く見事に順調だ。このまま古肚を戦闘不能にさせ、そのあとに初目の居場所を聞き出す。ただ林寺たちがいま初目の付けているジッキン=ゲンの縁機マテリアル繊維の微弱な反応を追っているので発見も近いだろう。ならば古肚に聞く事はただ1つ。あの夜の真相である。
【鷹】の高度が7,000を超えた。まだ上昇する。機械の身を持つ麓孫にも諸所に不具合が散見できる。関節は凍結の一途をたどり、内部観測器が気圧の急上昇に悲鳴を上げ、強化骨格が軋むのを麓孫は感じていた。
【鷹】の高度が8,000を超えた。なおも上昇。……9,000m! さらに上昇!
そして……。
《上脳よ…… 高度10,000mまで到達しました》ジッキン=ゲンの音声が頭に響く。
「古肚よ…… もう終わりだ。この状況ではお前は何もできまい。今の俺ならお前を葬る事も可能。六縁機随一の使い手と言われたお前をだ…… 何故…… あの夜お前は、俺を!」
「……」古肚はなおも語らない。と思われた時だった――。
《この状況で、は俺は、何もで、きないだ、と?》古肚の声が麓孫の頭に直接流れ込んでくる。やはり何かおかしい。これは俺の知る古肚ではない。最初からあった強い違和感……。
「まさか、古肚よ。お前は『暴走』しているのか?」
麓孫が最も恐れていた答えだった。
麓孫や『クレヴァー=シード』のような情動プログラムを埋め込まれた機体には往々にしてある事だった。己の自我と機械としての義務、さらに種々様々な要因が重なり機械は最後には『暴走』を起こしてしまう。
実際に麓孫は初目に、『クレヴァー=シード』は麓孫に出会わなければそのような末路を辿っていただろう。
だが、古肚が…… なぜ!? 彼奴の精神の強さはれっきとした数値で算出されている。縁機の適性結果では過去に類を見ない精神シンクロを見せたのだ。なのに、なんでそんな古肚が……。
『……もしかしたら、君を討とうとした古肚殿にも事情があったのやもしれんな』
シルクの言葉が唐突に思い出された。古肚にも、もしかすると麓孫に見せていない顔あったのでは? それが原因でこのような事態に陥ったのでは? そう思えてきて仕方なかった。
古肚も1人の弱者だったのではないだろうか。そう思いを馳せていた時だった――。
《お前は、ア、甘い……》古肚がそう呟いた直後に変化は起きた。
「ッッ!?」
麓孫も知る事のなかった古肚の真価が発揮されたのだ。
麓孫らの読みはおおいなる誤解であった。
綺麗で、清潔に見える雲でも実は汚れた細菌が充満した空気でできているのだ。ある種の細菌は上層大気内ですら乾いた空気と紫外線に脅かされても生きていける。
高高度での大気微生物である。ある研究機関が行ったハリケーン調査ミッションで得られた空気のサンプルを分析した結果、異なったタイプの細菌が、北はドゥアトル、東はセリユー、南はスナク、西はビヤンカ、および傾国大陸部の約10㎞上空の気塊から約300種類以上が収集された。科学者たちは少量の物質しか採取していないにもかかわらず、細菌は全粒子のおよそ2割を占めた。これは地上付近の大気より高い割合である。これらの高高度での高い細菌密度は科学的に証明されているのだ。
麓孫は自分の短慮を強く恥じた。【テキスト=イーター】の生体ナノマシーンによる波状攻撃を受け、麓孫と【鷹】は距離を取った。古肚は煙を6本の羽に見立てて空中に浮いている。
その時、古肚に動きがあった。麓孫に対し、古肚が一直線に向かって来たのだ。高高度の空で2体の縁機がその速力を真正面からぶつけ合った。【鷹】の挙動は精確かつ機敏である。反射速度を限界まで引き上げ、瞳から発せられる赤色灯が青い空に不躾に線を引いた。【鷹】が翻り、古肚の背後を奪う。しかし、古肚は身を捻り、【鷹】に身を擦らせながら対敵した。
《上脳指令:*//“固有加護”ノ付与》
《下脳受領:*//“加護”ノ展開ヲ確認》
《上脳指令:*//“エネルギー放出”ヲ応用接続/フォトンレーザー/古肚ニ照準》
《下脳受領:*//照準器正常稼働/該当者に照準用意……》
麓孫と【ジッキン=ゲン】は僅かな通信時間を終え、即座に行動に移した。麓孫は視界スクリーン上に表示された照準枠の中に古肚を捉える。動体目標として認識した古肚に目がけて麓孫は右手を掲げた。
右手を中心に蛍のような茫洋な青い光源が7つ浮かび上がったかと思えば、指向性を持ったレーザーが彼奴に殺到した。
初弾はかわされた。次弾が裂かれた。
どのようにすればそのような芸当が成り立つのかは皆目見当もつかないが次々弾は手刀で軌道方向を変えられた。残る4発もまた当然のように古肚を目前に阻止された。
だが麓孫は怯む事なく第2砲撃の準備に入り、先ほどと同様に光源を同数発生させ、自身の周囲に浮かび上がらせている。しかし――。
古肚はそれを良しとしなかった……。
《上脳指令:*//“固有加護”ノ付与》
《下脳受領:*//“加護”ノ展開ヲ確認》
《上脳指令:*//“機能遮断”ヲ応用接続/シャットアウト/弐番機に照準》
《下脳受領:*//照準器正常稼働/該当者に照準用意……》
古肚と【テキスト=イーター】は僅かな通信時間を終え、即座に行動に移した。
「「「「「最終解決」」」」」
麓孫の視界スクリーン上で明らかに異常な数値とパターングラフの乱動が起きたと思ったら全ての反応が途絶えた。すると、発射準備の完了したフォトンレーザーの茫洋とした光が一瞬にして掻き消え、
【鷹】の速度が急減速し始め、【鷹】の稼働反応にも明らかな変化が生じ、ついには麓孫の観測していた機体の稼働率が5%を切り、0という数値が現れた。ジッキン=ゲンから一切の応答が返ってこない。この状況は麓孫の最も恐れていた事態であった。古肚の“秘技”とも言える能力が発動されたのである。
古肚の固有加護である『機能遮断』とは、機体と本体の間で交わされる暗号通信に出鱈目なスクランブル処理をねじ込むことで一時的に相手の縁機としての機能を殺す、まさに『対縁機』といった側面を持っている。
元々は最大出力のEMP装置を個人レベルにまで落とし込んだモノであり、その効力は確かに甚大であったが、本来の用途には縁機への攻撃手段としての側面など一切なかった。
しかし、古肚の手腕が個人技能として破格の力を持っていた【伍煙草】にさらに研鑽を加え、応用接続の限りを尽くした結果が現在の形であった。
古肚はこの力を手にした理由を今まで語る事はなかったが、もしかすると仲間の離反や対敵を予想しての備えだったのかもしれないと麓孫は思った。
「ジーンッッッ!」
麓孫は叫んだ。機体が高高度の空から急転直下し始めた。
反応の見られない己の分身ともいえる機体に語りかけ続ける麓孫は、とっさに機体と己の生体活動の波長を直接リンクさせ、自身の内部に構築されている可変機構を経由して機体の蘇生を試みた。
起きろ! 戻ってこい!
そう強く念じる麓孫の力が勝ったのか機体から微弱な反応を感じとり、その隙を突く形で【鷹】のプログラムにアクセスし、破棄されつつある情報体を全てサルベージした。結果ジッキン=ゲンはその意識を取り戻した。
《ジーンッッッ!》
落下の風切音の中で必死に語りかける麓孫にようやく返答があった。
《再起動・推進エンジン回復》
その声を受信した直後に【鷹】は水平飛行を取り戻した。
《今の稼働率は?》
《上脳のスペックを間借りしている状態ですから、良くて40%といったところです》
《加護の展開は可能か?》という麓孫の質問に《底上げすればなんとか……》という返事が返ってくる。まずい……。
今や古肚は伍番機の【伍煙草の古肚】は【鷹】をも凌駕する。
古肚は麓孫らが見せた力の減退を好機と捉えたのか彼らに向かって猛進した。
麓孫らの選択肢は逃げること、ただそれだけだった。
せめて【鷹】の自己修復が戦闘可能な域になるまでは機体にダメージを与える訳にはいかなかった。
麓孫はなおも追随する古肚に目がけて飛び込んだ。古肚は【伍煙草】の煙を槍のように変容させ、麓孫を迎え撃つ。おおよそ想定通りの反応である。
麓孫は空中で強引に身体をくねらせて姿勢を起こし、槍の先端に足を掛けたらそのまま伝って古肚の元まで駆けた。現在、高高度の空にいる麓孫には逃げ場はなく、この状況は一見自滅行為にも見えるが、その真意は違う。
古肚の『最終解決』は縁機の持つ能力を全て削ぎ落とし、丸裸になった相手に攻撃を殺到させ、撃破するための戦術である。
麓孫はかつてこの戦術に嵌められ、手も足も出なかった事を今でも思い出す。麓孫がある戦場で古肚と共に作戦に組み込まれた時のことだった。
敵機の軍集団の中で戦闘の熱に当てられ演算機能にラグを生ずる事がままあった自分は今考えたら笑えてくるほどの青二才だった。
その作戦においても自分の存在理由を戦場に問いかける最中で常軌を逸した単騎行動を繰り返し、挙句の果てには単身で敵中央に踏み込む勢いであった。
それを見かねた古肚が『最終解決』を繰り出した時には己の価値観というものが全て覆された。六縁機に入って間もない自分にとってその時の古肚の印象は“陰気で無口で何を考えているかわからない奴”これに限った。
だが、一瞬にして自分の身動きを封じ、機体までも奪って見せた古肚がその時ばかりは次元の違う相手に見えたものだ。
だが麓孫が記憶している通りだと、確か古肚はその直後から十全な動きを見せる事がなかった。
つまりあの“秘技”は何発も連射が出来ず、使用者にもある程度の反動が存在すると見た。
麓孫の『最終波光』であっても使用後の動きは極端に鈍くなる、自壊の可能性を考慮して出力は5割ほど抑えられるといったリスクや縛りというのは存在する。
古肚の懐まで駆ける麓孫へ周りから攻撃が加えられた。
細かい礫となって豪雨のように降り落ちてくる。麓孫は視界に入る全ての攻撃に対し反射とこれまでの経験だけで辛くも避けきり、深手を免れた。
麓孫が狙うのは古肚が咥える【伍煙草】の機体である。彼奴と機体を切り離せば現在のように煙を常時生成する事もできなくなると麓孫は踏んでいた。
「フレアッッ!」
麓孫が両腕部分からフレアを発射し古肚の視界を遮った。しかし古肚は一切の怯みを見せる事なく攻勢も崩さない。幾本もの煙槍をさらに構築し、己に向かってくる者に突き込んだ。
(やはり攻撃に出たか…… かかったなッッ! 攻勢に出れば防御も出来まい!)
“敵は先の機能遮断で攻撃力のほとんどを削がれている”という結果から攻撃を加えた古肚の行動を麓孫は読んでいた。
麓孫は確かに“加護”を使う事は出来ないが、単純な腕力なら全く問題ないのだ。
普段から小型太陽光発電式コンバーターとバッテリー、体内に内蔵されたベータ粒子の吸収を利用した補助動力源を持ち合わせ、余分な周囲のエネルギーを電力に変換したり、電気エネルギーを直接バッテリーに充電している。
補助電源からエネルギー供給を受けた麓孫がその剛腕を振り上げ、殺到する煙槍に向かって拳を投げた。張られた弾幕に穿たれた風穴から麓孫が飛び出し、古肚に向かう。もう目と鼻の先だ。
「もらったあああああああああああッッ!」
そう叫んだ…… その時だった。異変が生じる。
《上脳指令:*//“固有加護”ノ付与》
《下脳受領:*//“加護”ノ展開ヲ確認》
《上脳指令:*//“加護ノ投影”ヲ展開/“甲第04号”“甲第06号”》
《下脳受領:*//“甲第04号”“甲第06号”ノ展開ヲ確認》
古肚が【伍煙草】に送った命令は速やかに実施された。彼奴の煙がもぞもぞと姿を変え、ある姿が浮かび上がってくる。麓孫は震撼した。いま自分の目の前で起きている事なのに信じる事ができない。
そこには2体の縁機がいた。1つは孔雀の姿を象り、もう1つは2mを超える盲人の姿をしていた。
それはある日からその消息を絶った肆扇と陸座頭の縁機だった。




