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麓孫が古肚と接敵する数時間前。
「おい待て! 1人で行ってどうなる!? お前は負けたんだろう!?」
林寺がそう声を荒げるのも無理はない。古肚からのメッセージを聞いた麓孫が今にも飛び出しそうな勢いなのだ。
「あれは不意打ちのようなものだった。機体の稼働率も現在では120%を超えている。今なら渡り合うことだって可能である」
麓孫はそう言って林寺の疑問を一蹴した。
「それだって全く仮定の話だろ!? 今のお前は投げやりで冷静さがまるでない! 勇敢さと蛮勇は一緒にするもんじゃねえ! このままじゃ今度は殺されるぞ!」
林寺の言葉に麓孫も食ってかかった。
「死ぬ事など全く恐れてはいない! 機械とは元より死すその時まで戦い続ける宿命なのだ!」
「てめぇ……」
林寺が麓孫の言葉を聞き、怒りで拳を握りしめたその時だった……
「……お前が、お前がただの機械なわけがないだろう!」
ナターシャだった。彼女は人の群集を選り分けて麓孫と林寺の間に体をねじ込んだ。
「ただの機械に感情なんてあるのか? ただの機械が握手1つに馬鹿みたいに律儀になるか? ただの機械が子供の駄々に右往左往したりすると思うか? ただの機械が…… ただの機械が1人の女の子と話す時にあんなに幸せそうな顔で笑うのか!? おはようって言うのか!? おやすみって言うのか!? ありがとうって言うのかよ!?」
ナターシャは自分の中に溜まっていた事を全て吐き出したような爽快感を感じた。
「……」
「死ぬ事が怖くないなんて…… そんな悲しい事言わないでよ! 自分ばっかり追い詰めないでよ! 初目の気持ちも考えてあげてよ! 自分は機械なんて…… そんな寂しい言葉で自分を語らないでよ! 『宿命』なんて言葉で自分を片付けないでよ! 傷だらけで強がらないでよ!」
「俺には…… 戦いしかない。それ以外何も知らないのだ。お前たちとは……」麓孫がおもむろに言葉を発する。
「あんたは知ってるじゃない…… おいしいカレーの作り方を。ジャガイモを綺麗に剥ける。雑な私にはできない事が」
「俺には…… 戦場にしか居場所がないのだ……」かつて抱いたどうしようもない不安。今も続く途方もない孤独。
「あんたは知ってるじゃない…… 『ただいま』のあとに返ってくる言葉を。『おやすみ』の後に付ける言葉を」
「俺は…… 戦争が無くなれば用済みの…… 存在なのだ」麓孫の目から熱いものがこみ上げる。その雫をくい止める術を麓孫は持てずにいた。
「あんたは知ってるじゃない…… 握手がとても温かい事を」
「俺は…… 1人だ……」頬を伝うものが何なのかを麓孫は知っている。
「あんたはもう知ってるじゃない…… 誰かを守るための戦いを。大切な人のために戦う事を」
「俺は…… 初目を…… 失いたくない……」
「……」
彼女の笑顔が好きだ。
温かく、強さに満ち溢れている笑顔が。
彼女の手が好きだ。
こんな俺のために傷ついてくれる手が。
彼女の声が好きだ。
言葉を聞くだけで幸せというモノが何なのかを知る事が出来る彼女の声が。
彼女の言葉選びが好きだ。
何ともない言葉に意味を与えてくれる。
彼女の考えが好きだ。
俺じゃ考え付かないような事を教えてくれる。
彼女の髪が好きだ。
宝石のように太陽の光で輝く髪が。
彼女の目が好きだ。
小動物のように愛くるしい彼女の目が。
彼女の名前が好きだ。
キエロー=初目。なんて美しい名前なんだ。
彼女が呟く『麓孫』という言葉が好きだ。今まで何人、何十人、何百人という人間に呼ばれてきた名前なのに…… 彼女の発する自分の名前だけは掛け替えのない意味を持っている。
そして、麓孫は心の内にある感情をそっと呟く。
「俺は…… 初目が好きだ……」
麓孫は耐え切れなくなってその場に背を向け、歩き出した。止める者はいない。どこにも行きはしないとその背中が語っていた。
「そんな事…… みんな知ってるわよ…… 見てたら丸分かりじゃん……」ナターシャが小さく呟いた。その場にいる波多野も、シルクも、ピコも、林寺も、全員が麓孫の気持ちなど知っていた。
林寺は嬉しかった。自分の弟のような奴が…… 自分が娘のように思っている少女の事を好いてくれている事に。その口で、言葉で。はっきりと「好きだ」と言ってくれた事に。
まっすぐ拠点まで続く通路の入口近くに、麓孫は一人でいた。もうすっかり辺りも暗くなっている。初目を探し回っている内に深夜になっていた。
ここにはいつか初目を迎えに来た事があった。麓孫が通路の中から屋外に出ると、通りぬけるような風が吹いた。崩れたコンクリート片の間から、アリウムの花が咲いているのに気付いて麓孫は傍に寄った。
この花もいつかに見た覚えがある。そこでふと…… 考える。自分はどうすべきなのか? 単騎で古肚を破る? ……そんな自信はない。さっきの言葉は全て虚勢だ。稼働率が120%? だから何だ? そんなモノ、彼奴は悠々と超えてくる。
麓孫は自分が何をすべきか分からずにいた。すると、背後に気配を感じた。振り返るとミヨルがいた。
「どうした? こんな夜に起きていては親に怒られるぞ?」
「ううん…… お母さんに行ってあげてって言われた」
「……そうか。気を使わせたな」麓孫がそう少年を労うと「どうしてこんな所にいるの?」と問われて答えに迷う。
「わからないからだ…… どうすれば良いか」
「すごく強い相手がいるの? それってどんな奴? 麓孫じゃ勝てない?」
「ああ…… 俺では勝てない」そう呟いた。子供が相手だと弱音が出てきてしまう。ミヨルはしばし考え込む様子を見せ、「じゃあ、次はヒーローが助けを呼ぶ番だね!」と言った。
「ヒーロー? 俺が?」と問いかけて、ミヨルからもらった絵を思い出す。この純朴な少年は本気で麓孫をヒーローだと思い込んでいる。だが“次はヒーローが……”というのはどういう意味なのだ? 率直に尋ねてみた。
「今までは麓孫が僕たちを助けてくれたでしょ? じゃあ次は僕たちが麓孫を助けるよ!」
ミヨルの言葉がとても、とても嬉しかった。だが、ミヨルを連れて古肚の所に行く訳にはいかない。気持ちだけ受け取る。
「きっと、みんなも同じ気持ちだよ」ミヨルの言葉の1つ1つに励まされる。そうだ。自分はもう1人ではない。今の自分はかつてのただのマシーンではないのだ。麓孫にはもう、『仲間』と言える者たちがいる。だが、どう助けを呼べば良い? やり方がわからない。ミヨルに尋ねる。“どうすれば良い?”と率直に。すると……。
「助けてって言えばって良いだけだよ」ミヨルが答えを返してくれた。なんだ。それだけなのか。それだけで良かったのか。途端に深く悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。答えなど、いつも自分の目の前にあった。いつも、目の前に。
「ありがとう。ミヨル。ようやく何をすべきか分かったよ」
麓孫は立ち上がった。足元のアリウムの花に目を向ける。暗い闇の中で月明かりだけがその花を照らしていた。
だが、月明かりだけで十分だった。
拠点に戻ると皆がまだそこにいた。まるで麓孫の帰りを待っていたかのようだ。
「みんな…… 頼む。力を貸してくれ…… 助けてほしい」
そう言い放った麓孫は手に温かい感触を覚える。ミヨルが自分の手を握っていた。
「遅いんだよ…… バカ……」林寺が微笑みながらそう言った。皆の表情を見回してみた。待ってましたというような憎らしい顔ぶれがそこにはあった。




