ポーション
「ヴィヴィアン…さま。良い、お名前ですね。」
少女は自分の中に取り込むように、ゆっくりと反芻して、とても大切なもののように呟いた。
「はは、堅苦しい名だろ?ヴィヴィでいいよ」
とは言ったものの、純日本人である田辺一郎にとって、ヴィヴィアンと呼ぶ事が堅苦しい事なのか、実際のところよくわかっていない。
だが、愛称で呼んでもらう事によって、少しでも俺に対する忌避感を感じなくなればという打算があった。
「で、では…失礼して…ヴィヴィ…さま…。」
遠慮がちながらも、少し照れたようにはにかんで少女は言った。
初めて少し笑った少女は先ほどまでのおどおどとして薄幸そうな雰囲気は無く、とても可愛らしく思えた。
淡いピンクアッシュの髪は相変わらずボサボサだが、頬には赤みが差し、少し気弱そうな二重のくりっとした目、スッと伸びた鼻梁、桜色の薄い唇と相まって、儚い人形のような可憐さがあった。
「うん。それでいいよ。」
俺はできるだけ優しく聞こえるように言う。
「えっと、それで君の名前とか、どうしてこの森で追われていたのかとか、聞いても良いかな…?」
サッと少女の表情に翳が差したが、すぐに意思のこもった瞳でこちらを見つめ、頷いた。
「はい。助けて頂いたのに、名前も言わずに失礼なことをしました。わたしの名前はメイジー・ブランシェットと言います。…ヴィヴィさまがご迷惑じゃなければ…その…メイ…と呼んで欲しいです…。」
「うん。メイか…いい名前だね。」
俺はお返しとばかりに微笑みながら答える。
果たして俺が微笑むとどういう表情になるのか、正確なところを俺は知らない。きっと知らない方が精神衛生上よろしいだろう。
さて、この少女はメイジー・ブランシェットと名乗り、メイと呼んで欲しいと言った。では一般的に、メイジーがファーストネームになるのだろう。となると日本風ではなく、西洋風の名前の付け方に準じていることになる。少なくともこの辺りの地域ではそうなのだろう。まあメイやその家族が別の地からの移住者であるという可能性もまだあるが、その辺りはおいおい聞けばいい。
やっぱりファーストネームだけのヴィヴィアンを名乗って正解だったな。
「っ…いえ…そんな、こと…ないです。」
俺の微笑みが効いたかどうかは定かではないが、少なくとも声だけは柔らかい声音を心掛けた。
そうしなければこの外見では敵意がない事を伝えるのが非常に困難だからだ。
そのお陰かどうか、メイは恥ずかしそうに俯いた。
…名前も聞き終えた俺は、これから辛い事を尋ねなければならない。その話題は多分メイにとって地雷だろう。それでも、状況を理解する為には聞かないという選択肢はない。だから俺は、俺なりに気を遣った前置きをしてからメイに問うた。
「そんなに謙遜をするものじゃあないよ。お父さんとお母さんが付けてくれた名前だろ?ならいい名前に決まってるさ。」
「そう…ですね…本当に。そう…」
「それで、その…メイの…ご両親はどうしてるの?」
いざ声に出すと、想像以上に稚拙な言葉が喉の奥から絞り出されて、それですら、ようやっと形になる事ができた。
しかし、その返答は俺が想像した通りの言葉であった。
「わたしの両親は…ヴィヴィさまが倒された狼に殺されました…。」
っ…想像はしていた。寧ろ、最も意外性のない結果だろう。それでも、現実として人が死んだのだ。それも目の前にいる少女の肉親がだ。そう聞くと、なにか俺に出来たことがあったんじゃあないのかという思いが渦巻いていく。
「…そうか。それは辛い経験をしたね…。」
俺に言える事はせいぜいこんなもんだ。
自分の非力さにつくづく嫌気がさす。俺が本当に人間じゃあ無くなったというのなら、こんな時にこそ力を示さなければどうするというのか。全くの無駄ではないか。
俺の葛藤は余所に、メイは答えた。
「いえ、わたしだけならば、絶望の果てに朽ちていたでしょうが、ヴィヴィさまが倒して下さいました。わたしは元より、両親も、シルフィード村の人々も安らかに眠っていると思います。」
この子は本当に強い子だな。きっと今日か、ほんの数日程度の出来事の筈なのに、もう乗り越えようとしているのか。
…いや、違うか。あれだけの魔物が跳梁跋扈するこの地ではこの様な出来事など、日常的に繰り返されるのだろう。強くならねば生きて行けないのだ。きっと。
その証拠に、メイの声は僅かに震え、肩に力が込められていた。
「…うん、そうだね。ありがとう。そう言って貰えると、何も出来ないけど俺も救われる気がするよ…」
「そんなっ…なにも出来ないだなんて。ヴィヴィさまが居てくださったお陰で村の仇を討つ事が出来ました。わたしの傷を癒してくださったのもヴィヴィさまです。ヴィヴィさまが居てくださらなかったら、わたしは死んでいました。治癒の術も使える方がなにも出来ないなど…本当に何も出来ないのは…わたしです。」
「うん。そうか…そうだね。…でもメイ。君もそんなに悲観しなくていいよ。今はまだ無理でも、目的を見つければきっとなにか出来るようになるから。それで…」
これ以上は続けても謙遜合戦にしかならないので、俺は同意し、有無を言わせないように話を先に進める。気になる言葉があったからだ。
「治癒の術、と言ったけど、ここにはなにかの術があるのかな?例えば、…そうだね魔法。のような…」
なにか言いたそうにしていたメイだったが、俺に問いかけられた事で、そちらに意識を向けたのがわかった。
「はい、あります。わたしは使えませんが魔法があり、治癒の術もその魔法の一種です。…ヴィヴィさまは…治癒の術でわたしを助けてくれたのではないのですか?」
そうか。やっぱり魔法はあるのか。
ステータスにMPがあったからあるのだろうとは思っていたけど、現状俺が使ったのは能力だったからな。
能力と魔法がどう違うのかは分からないけど、少なくとも俺が狼を倒すのに使ったのは俺のイメージする魔法っぽくはなかった。魔法というと派手な炎を飛ばしたりというイメージが強いからな。
MPは消費したっぽいから厳密には魔法かもしれないが。
まあノーカンでいいだろ…。
「俺がメイに使ったのは治癒の術ではないよ。俺は魔法というものを使えない。」
将来的には分からないが、少なくとも現時点では無理だ。
できる事なら是非習得したいと思う。というか魔法のある世界で魔法が習得出来なかったら詰むんじゃないのか…。
…近いうちになんとかしよう。俺はそう心に決めた。
さて、メイに説明するには見せた方が早いな。見せた反応で一般的なものかどうかもわかるだろうし。
俺は無限の胃袋からアイテムを一つ取り出し、メイの目の前に持ってきた。
「俺がメイに使ったのはこの[中級ポーション]だ。」
多分下級ポーションでもメイの傷なら治ったとは思う。でも初めて使用するアイテムでケチってダメでしたは笑えない。幸い、数はある程度あったから大は小を兼ねるという意味で中級ポーションを使ったのだ。
メイはそのアイテムを見ると大きく目を見開いて、慌てだした。
「…っ!!!!!!!!…ポーション、それも…中級だなんて…っ」
メイは目に見えて慌てだした。
あまりの変わりように少し可笑しかったが、可哀想な程オロオロしている。
暫く見ていたい衝動に駆られるが、そんな事をして信用を失墜させたら目も当てられない。俺は早々に助け舟を出す事にした。
「なにか慌ててるみたいだけど、気にしなくていいよ。俺が好きで使ったんだ。それに、気付いた時には既に持っていたものだからね」
「それでも!こんな高価なアイテムを…っ。」
そんなに高価なものなのだろうか。
こんなにオロオロするなら下級ポーションを使った方が良かったかなと思いながら尋ねる。
「治癒のアイテムは一般的なものではないのかな?」
少し落ち着いてきたのか、俺が質問した事で強制的に自身の神経を落ち着かせたのか、どちらにせよ多少冷静を取り戻して答えた。
「…はい。わたしも下級ポーションしか見た事がありません。それも村の方へ偶にくる行商の方が売っているのを見た事がある程度です。その下級ポーションですら王国金貨で一枚もするんです。中級ポーションになると王国金貨五枚は下らないと思います。」
ふむ。なんだか高そうな事は話し方で理解できる。
ただ物価や通貨の価値が分からない以上正確に識ることは不可能だ。
「その王国金貨というのはどのくらいの価値があるのかを教えて貰ってもいい?」
「わかりました。でも、わたしも村の事しか知りません。ですから村の外での価値と言ったら行商の方の知識だけになります。ヴィヴィさまのお役には立てないかもしれません…ごめんなさい!」
そんな事で謝らなくても…とは思うが、とりあえず今はこの周辺の事情だけでもわかれば充分だ。そういう意味を込めて俺はメイにお願いした。
「はい、あくまでわたしの村での話になりますが、大体3〜4人の家族で慎ましく一日暮らすのに王国銀貨一枚、一カ月では王国銀貨三〇枚。ですので、凡そ三ヶ月で王国金貨一枚程度のお金が必要になります。」
「わたし住んでいたシルフィード村はメルクローク王国メルトン伯爵領にありますので、王国の通貨を使っているのです。正式には、メルクローク王国共通金貨と言います。王国金貨一枚の価値が王国銀貨百枚。その下に王国銅貨があり、その価値がまた銀貨の百分の一に相当します。つまり、王国金貨一枚=王国銀貨百枚=王国銅貨千枚の価値となります。」
そうか。大体状況がわかってきたな。さっきの話だと、王国金貨一枚あれば最低限の生活なら一年間はひと一人が生活できる事になる。
幸運なことに、一応貨幣経済はある程度整っているみたいだ。下級ポーションでも売れば暫く生活には不自由しないだろう。
無限の胃袋にカネが無かった時には何処ぞのゲーム宜しく魔物を狩って食う狩生活も頭の片隅に浮かんだが、どうにか回避出来そうだ。あの狼を思い出す限り、あまり美味そうではなかったからな。
…それにしても、ポーションとは高いんだな。メイの反応でそれはわかってたが、改めてこの周辺の貨幣価値を聞くと異常だ。仮に日本で家賃五万円の部屋に住んで二万円の食費、一万円の水光熱費だとした場合、年間九十六万円だ。
それが下級ポーションの値段。その五倍の中級ポーションとなると…四八〇万円。
メイのあの慌てようも、オロオロ具合もわかるというものだ。なんせ、目覚めたら治療に五百万円の道具を使いましたと見せられたようなものなのだから。
もちろんこの地域と日本では生活水準も文化レベルも物価も違うし、水光熱費があるとも思えない。比較対象にはなり得ないのはわかるが、こう考えた方がメイの気持ちは理解できるかと思う。
しかし、それ程高価なアイテムをあれだけの数用意して俺に寄越したヤツがいるって事だよな。なんだかんだあのボロ袋もスペック高いし。
………うん。とりあえず考えてもわからない事は考えないようにしよう。
ポーションが尋常じゃなく高いのは理解出来た。
ではここの人たちは怪我などを負った場合はどうしているのか。俺はメイに尋ねた。
「普段は森に自生している薬草を使っています。切り傷などの外傷はすり潰してペースト状に。病気などの場合は煎じて飲みます。それ以上に酷い場合は修道院へ行き、治癒の術を使える術師様にお願いします。ただ、修道院はある程度の大きさの町にしか無いので、わたしたちの村では一番近くの町へと術師様を呼びに行き、来て貰っていました。その時にお支払いするのは王国銀貨十枚ほどです。」
そうか。だから初めにメイは治癒の術で治したのかと聞いてきたのか。ある程度の怪我、病気ならポーションを使うより、人を呼ぶ方が遥かに安いから。
わざわざ高いポーションを使ったとは思うまい。それにこの周辺ではポーションは殆ど流通もしていないみたいだしな。
ん?ここでまた疑問が出来たので聞く。
「それじゃあポーションは誰が使うんだ?」
「えっと…わたしの村にはありませんが、大きな町に行くと、冒険者組合所というものがあるそうです。そこの方々は危険な任務を何日もする事があるそうで、そういった方々が高いお金を出してでもポーションを買うのだそうです。あとは騎士様や、貴族の方々が主な購入先なんだと行商に来た方が言っていました。その方は危険な行商の保険として、売る売れないに関わらず、数本のポーションは常に持っているんだと笑っていました。だからわたしもポーションがどれだけ貴重で高いかを知っています……」
「…ですから、直ぐには無理ですが、一生を掛けてヴィヴィさまにお支払いさせて頂けないでしょうか…ヴィヴィさまのお側で働かせては頂けないでしょうかッ…?」
…おぉ。純粋にポーションの使い途を尋ねたつもりがとんだ藪蛇だったぞ…。なんでそんな流れになった?
冒険者組合とか男の子心をくすぐられる話を聞いたというのに最後の一文の所為でそんな気分も吹っ飛んだな。確かにポーションが高いというのは理解したが、そんな一生とか話を重くする様なものだろうか。
…まあ、違う意味で男の子心をくすぐられるが。
ゴホン…兎に角、そんな詐欺のような真似は慎むべきだろう。というか、そもそも俺は金銭を要求する気なんざ、ましてや助けた事を対価に身体を要求する気は断じて無い。
丁重に御断りしよう。
前回に引き続き、ようやくヒロインの名前が出てまいりました。
これで一応、主人公とヒロインが揃った訳です。
ヒロインの名前のメイジー・ブランシェットは今後の、このキャラクターの見た目を考えた時に付けた名前です。
童話に詳しい方でしたらこのキャラクターがどの様な見た目になっていくのかわかるかもしれません。
ただし、本元の童話では名前など無いキャラクターで、後年脚色された設定の様です。
わたしも童話に詳しいわけでは無く、調べて知った事なので偉そうに言えるものではありませんが。
キャラクターに合っていたので使用させて頂きました。
長々と駄文になりましたが、ここまでお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。
読んで頂けるだけで幸せでございますので、これからも懲りずにお付き合いの程、よろしくお願い致します。