スキル
俺は全力疾走しながらも、時折狼が付いてきているか振り返っては確認する。
やはり逃げ回る獲物の方が狩猟本能を刺激するのか、甚振るように付かず離れず付いてくる。こころなしか先ほどまでの不愉快さが薄れて愉しんでいるようにも見える。
嫌な狼だ。
ある程度知能が高そうな分厄介極まりない。まぁ、そのお陰で遊ぶ様に俺を追いかけて来て甚振ろうとするのだから計画通りか。そういう意味じゃそこまで賢くは無いのかもしれないな。獲物を喰う事が目的なら俺なんかほっといてあの女の子を食べればいいのだから。
所詮獣以上人間未満の知能だからいい様に策に嵌ってくれる。
そんな事を考えながら木々を盾にしたり枝に捕まってジャンプしたりと、偶に繰り出される攻撃を避けつつ俺は駆けて行った。
狼も思いの外攻撃が当たらず、甚振る事が出来ないのが気に食わないのか不機嫌そうな唸り声を上げている。
すると狼が突然その場で急停止した。と思った直後。
「ウゥォォォオオオオオオンンン………」
またも俺の全身に嫌な汗が噴き出した。今日で何度目だろうか。などと思う間も無く俺は死ぬ気で走り出した。
予想通り、俺の周りを囲うように森の彼方此方から。
「「「ウゥォォォオオオオオオンンン………」」」
と呼び掛けに応える声が木霊する。
「ヤバいヤバいヤバいヤバい!!前言撤回ッ!狼の知能を馬鹿にし過ぎた!てか狼なんだから群れてる方が自然だよな!余りにも凶々し過ぎるから一匹だと勝手に思い込んでたッ…」
余りの出来事に理不尽を叫びながら必死に走り抜いた俺の視界には木々が無くなり、開けた場所が広がっていた。
「…ッな…マジ…かよ…」
其処は高さ数十メートルはあろうかという聳え立つ崖に四方を阻まれた行き止まりであり、森の終わりだった。
余りの状況に俺の精神を絶望が蝕んでいく。
そこへ先ほどの狼がゆっくりと俺の絶望の表情を愉しんでいるかのように現れた。動物(魔物か?)の癖にどうやったらそんな表情が出来るのか、口角が吊りあがり、ニタァという笑い顔を貼り付けている。魔物だから表情筋が発達しているとでも云うのだろうか。
その後ろから一匹、また一匹と狼が増えていく。
俺は自分で考えた作戦の通りにコイツを誘導して来たつもりだった。でも、実際には俺の方がコイツ等に誘導されてたんだろう。よくよく考えればこの森はコイツ等にとっての縄張りで、自分達の庭の様なものなのだろう。ならば地の利は彼方にあったという訳だ。
諦念感を抱きながら、どこか他人事の様に考える。
ははっ…なにが獣以上人間未満の知能だか。俺なんかより遥かに賢いじゃないか。今ならコイツ等が喋り出しても俺は驚かないな。
自嘲気味に考えていると他の狼も集まり終わったらしい。先頭、俺の正面に居るのが最初の一匹。コイツがボスなんだろうな。右前脚がデカいから仮にミギーとでも呼ぼう。
…こんな時に冗談が浮かぶなんて案外余裕だなと自分でも思う。まあ、これが死を受け入れるって気分なのかもしれない。
それでボスと俺を囲うように周りに五匹。合わせて六匹の狼に囲まれてる訳だ。ただ、辛うじて救いなのが周りの五匹は前脚が特別デカい訳じゃない。まぁ、それでも普通の狼よりかは遥かに巨大だけど。
だから多分コイツ等はボスか雄の個体、もしくはその両方が力を誇示する為に前脚を肥大化させて、群れを率いてるんだろう。
俺はボスの個体ミギーに話し掛ける。
「なぁ、俺の言葉が解るか?理解できるのなら答えてくれ。」
ミギーはなにも答えず相変わらずニタァとした笑いを貼り付けている。
その間にも周りの狼が俺とボスの囲いを狭めながらゆっくりと歩いてくる。
「俺はオマエ等に完璧にしてやられた。もう九割九分諦めている。俺の事はいい。ただ、さっきの女の子だけは助けてやってくれないか。」
俺だってこんな事を言って聞き届けてくれる相手だなんて思っちゃいない。そもそも伝わってさえいないだろう。狼が喋るなんてことはありえない。それでも最期になにか足掻いてみたかった。その結果名前も知らない女の子だけでも運よく助かったのなら、それは俺が意地を張って足掻いた結果だと言えるんじゃないだろうか。それに、これがゲームで、俺のHPがゼロになって(HPがあるならだが)ゲームオーバーと共に島崎が目の前で「どうや?凄かったやろ」って笑ってる可能性だってあるんだ。寧ろその可能性の方が高いんじゃないか。
だから俺は自分の生き死にについては諦めてもいい。
それでもあのボロボロになりながらも決死の形相で生きたいと逃げていた女の子の姿だけは俺の脳裏から離れてくれない。例えここがゲームであの女の子がNPCだったとしてもあの表情に嘘は無かったように思うから。
俺のそんな想いももちろん狼には伝わらない。どれだけ頭が良くても所詮は狼。獣でしかなかった。
「アウォォォーオオン…」
ミギーの一声でジリジリ詰め寄って来ていた周りの狼が一斉に俺に向かって来た。
背後は絶壁の崖が聳え立っている。
俺にはもう逃げ場なんてなかった。
「ぐがっ…ぁっ…」
四匹の狼に両手両足を噛みつかれ、余った一匹に思いっきり体当たりを喰らった。
胸部を圧迫され、凄まじいGが掛かった俺は、肺の空気が口から漏れ出る。
だがそれも幸いにして一瞬で鈍い痛みに取って代わり、耐えられない程ではなくなる。
いや、寧ろこれは不幸か。
「俺は一体どの程度やられれば死ねる…」
終わりの無いマラソンを強要されてる様な気分になる。
勿論ゴールは死だ。
遊びは終わりだとばかりに体当たりをして来た狼がミギーに譲る。
トドメはボスであるミギーが刺すという事なんだろう。両手両足を抑えられて動かない俺に機嫌の良さそうなミギーが右前脚を大きく振りかぶり、放つ。
「があっーーーーーッ…」
動く的を殴るのと静止している的を殴るのとでは力の通りが全く違う。思いっきり力を込めたミギーの一撃は今迄の比ではなく俺の身体を切り裂いた。
感じた事のない痛みが走る。
それもある程度沈静化されるが。それでも初めて俺の身体に傷ができた。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
この痛みはゲームなんかじゃ無い。本物の痛みだ。
そう感じた瞬間、途轍もない恐怖が湧き上がる。
俺は死んでもいいだって?馬鹿かっ。ここがゲームなんて保証を誰がしてくれた?俺が死んだらあの女の子はどうなる?俺の言葉を理解してこの狼共が助けてくれるかもって?そんな訳ねぇっ!!あんな程度の言葉で意地を張って足掻いた?あんなもん足掻いたなんて言わねぇ。ただの言い訳だ。
こんな所で死んでたまるかっ。なにか方法は無いのかっ。
あの女の子だってこんな気持ちだった筈だ。涙流して鼻水垂らして、泥だらけになりながらも懸命に走って生にしがみつこうとしてた。あの表情は嘘なんかじゃあない。あれが足掻くって事だろ!!今頃になって解るなんて。
考えろ…考えろ…考えろ…考えろっ!!
足掻け。もがけ。必死で生きる事を考えろ!
「うぉぉおおおおおおおおおーーーーーーッ」
俺の抵抗に一瞬たじろいだ狼共だったが、振り解くまでには至らず、より牙を食い込ませ拘束を強めてきた。
それを見ていたミギーは気に食わなかったように唸り声を上げると、より力を込めて必殺の右前脚を繰り出そうと振りかぶる。
巨大な右前脚が力を込められた事で更に倍ほども膨れあがっていき、血管が不気味に脈動する所まで見える。
アレを喰らったらヤバいと本能が告げている。
俺の今まで受けた感覚では一撃でやられる事は無いにしても、立て続けに2発、3発喰らうと今度こそ死ぬだろう。
しかし、周りの狼ですら俺は振り解く事が出来ない。
無駄な抵抗だと、力を溜め終わったミギーがまたニタァと口角を上げた瞬間、右前脚が振り下ろされた。
その刹那、俺は凡ての力を込めて身体を捻った。
直撃の寸前、狼共の力が一瞬抜けたと同時だった。振り解くことはできなくても、多少動く事くらいなら出来る。それが力の抜けた一瞬ならば尚更だ。
絶妙のタイミングでギリギリ躱し、この一回を命拾いしたと安堵した瞬間。
クンッ
ミギーの右前脚が角度を変え俺の身体を抉った。
「うぐっ…つあぁー…ッ」
身体に痛みが走るものの、タイミングをずらせたお陰か先ほどの痛みに比べたらマシだった。
それでも身体には傷ができ、先のモノと合わせて、大きな3本線の×模様が出来ていた。
俺に避けられそうになってイラついたように唸るミギー。
コイツはニヤついたりイラついたりコロコロと表情を変えて人間みたいだ。本当に喋れないのか疑いたくなるな。
それにしても、完璧に避けたと思ったあのタイミングで追撃してくるとはいよいよもって厄介だ。
ジワジワと焦りがコゲ付いてくる。
結局足掻いてもなす術なく、嬲られて殺されるんじゃあないかという思いが鎌首をもたげかけた瞬間、頭の中に聞き覚えの無い声が響いた。
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《種族能力》の解放条件を満たしました。
《変身》解放。
《部分変身》解放。
《部分変身》が発動されました。
条件が満たされましたので、
《大爪狼の右腕》がコピーされました。
《大爪狼の右腕》使用時、能力
《切り裂きジャック》が使用可能になりました。
《大爪狼の右腕》を使用しますか?
YES/NO
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何がどうなっているのかなんてわからない。
ただ、考えている余裕もない事だけはわかっている俺は、響き渡った声に一縷の望みを掛け、反射的に叫んでいた。
「よろしくおねがいしまーーーーーーーす!!!」
昔どこかで観た夏の電脳戦争のアニメ映画のように。
ようやく戦えそうな主人公になってきました。