若葉の主張
図書室で、本を借りるために絵本コーナーを物色していた。
夕暮れが窓を通して入ってきて、机が茜色だ。
明かりもそろそろ消そうか、図書室を閉めようかという頃合いなのか、本を借りようとしている人は少なかった。
若葉が離れたのをイイ頃合いに、女生徒が私に近づいた。私はシンデレラを手にとって、女生徒のほうへ顔を向けると、女生徒は真っ赤な顔で私に包装された御菓子の匂いがするものを押しつけた。
押しつけられたので問いかけようとする前に、女生徒は立ち去る。
人前で勇気のある子だ、その勇気は可愛いものだな。
だが悲しい現実が押し寄せてくる、私という存在は世の中では非常に希有だから。
王子様、そんなの女の子がなれるわけないって周囲の目がいってる。
今日もまた、この光景を見ていた同性が、密やかなふりして騒ぐ。
「まただわ、あの人、一年生の噂の王子様でしょ。リカオン・アシュレイ・夢子だっけ? 王子様のファンは懲りないわね」
「っていうか、王子様なのに夢子ってダッサ……」
「ファン以外はあの子に近づかないんでしょ? だって、普通じゃないものねー」
図書委員の子や、その子に付き合ってる子達が異質な物を見る目で呆れていた。
……こういった行動で目立つのは、慣れていた。
周りがそうやって囃し立てたり、騒いだり、それは王子様になるための修行だと理解している。
だが、先ほどの女の子が悪く言われるのは我慢ならなかった。
あの女の子は、勇気を出して、一生懸命私に向かったんだ。悪く言われる理由なんてない。そりゃ図書室でお菓子ってのはまずかったけどさ、でも私がいつもくる場所を一生懸命考えてくれただろう結果なんだ。
噂しているのは図書委員たちだったから、私は近寄って笑顔で本を置いた。
じっと見つめると、図書委員の眼鏡をかけた女の子は、きっとした眼差しで此方を睨み付けた。
真っ向から文句を言う愚か者がいるものか、仕返しされないかと私へ警戒しなくていいのに。
だって、君も私が守りたい弱い存在だからね、私は君をも守りたいんだよ。
君もだって、乙女の一人だ――。
にこっと笑いかけてみる、理想は自然で優しくて、私の愛嬌が生かされるような笑みだ。
「私の可愛い君、嫉妬してるのかな? 君だって十分可愛いんだよ」
「は?」
「いいかい、もう二度とそんな嫌な言葉のために君の可愛い唇を使わない。できるね?」
「アンタ何を――」
私は図書委員の子の両手を掴んで、にっこりと微笑んだ。
――今度の笑みはできるだけ、秋波を送って、意味深に。
「できるね?」
スマイルには自信があるんだ、昔どこかで誰もが優しくなりたくなるような微笑み方を見た気がしたから。私の中の理想は、私を確実に魅力的にしてくれる。
私には誰よりも頼もしい味方である、こうなりたいっていうビジョンが正確にあるからね! 若葉に話したら、「何その男前」って言われるほどのかっこよさを持つビジョン!
困ったときは、私の中の理想通りに行動すればいい。
図書委員の女の子は真っ赤になって、必死にこくこくと頷いてくれた。
良かった、微力ながらも私にも色香は着実とできているらしい。
「よし、それじゃこの本を借りたいから、頼むよ」
「は、はい! あ、あの私の名前とメルアド――」
急にもじもじしだす女の子、先ほどと違って、うんうん可愛らしいよ、君たちはそういう可愛らしさが似合うよ。
恥じらって少しでも可愛く見えるように上目遣い、声はできるだけ小さめにして、か弱さを暗示する。うん、君は男の子にもてるタイプだね?
だけどちょっと困ったな、気に入られすぎたかな、どう断ろう?
「アシュリー、帰るよ」
若葉が機嫌悪そうに図書室の出入り口付近で声をかけてきた。カウンターが出入り口の近くだったとはいえ、図書室でそんな大きな声をだすものではないよ。
若葉が私を「アシュリー」と呼ぶのは不機嫌なときだけ。
若葉が不機嫌だったので、図書委員の子ははっとして本の貸し出しの作業を行ってくれた。
私はお礼を告げて、若葉と一緒に出て行く。若葉は、私をじと目で見てから呆れたような声で、「馬鹿だなあ」って批難してきた。
若葉は恐らく最初から最後まで見ていたのだろう、多分この「馬鹿だなあ」は「文句を言えばいいのに」とか「受け取らなければいいのに」とかなのだろう。
女の子の夢を崩したらいけないんだよ、それが王子様だ。
何より私の中の「理想の王子様」は受け取らないなんて悲しい行為をしない。
「若葉、夢を簡単に見られるなら、便利だと思わないか? 私はあの子たちと同じ夢を見てるんだよ、ただ私の中の理想は男性だっただけだ」
「アシュリーってレズなの?」
「違うよ、私は男性が好きだよ。男性になりたいとか、女の子が好きとかじゃないんだ。王子様になるには男性はなりやすいから羨ましいときがあるけどね。あの子たちだってそうじゃないと思うよ。ただね、誰だって夢見たいのさ、王子様が存在するっていう夢を――。女性であるのは不利だけど、ハンデみたいなものさ、私には明確な理想があるからね」
私は手の中にある、シンデレラの絵本を見せて王子様が描かれている絵を指さす。
誰だって、「守られる自分」を想像したいんだ。守ってくれる人がいるって安心したいんだ。
寝床以外安心できないなんて嫌じゃないか。
ほっと一息つけるような気安い人が、すぐに見つかるって嬉しいじゃないか。
若葉は、納得してないような納得したような気が抜けた「ふぅん」という返事をしただけだった。
「俺みたいな一般人には理解できない世界ですぅ」
「不思議だね、君は理解できない理解できないと言いながら、私があの子たちに牙を剥かれそうになると、必死に守ろうとやってくる」
まるで騎士みたいにさ。かっこいいタイミングでやってくるじゃないか。
素直にかっこいいと言うのは癪なので心の中で付け足しておく。
「幼なじみが傷つく姿は誰だって見たくないでしょ」
「若葉、私もそうなんだよ。――ねぇ、君はいつあの家を出るの?」
私のぽつりと向けた一言に、若葉の動きが止まる。目を見開き、取り出そうとしていた下駄箱の靴をじっと見つめ、まるで今にも心臓が止まるような苦しげな表情を。
言葉をなんて返そうか、もやもやと悩んでいるんだろう。若葉は、靴を取り出して代わりに下駄箱に乱暴に上履きを入れて、下駄箱がガコンと響いた。
取り出された靴は放り出すように地面に置かれて、かかとを潰すように履かれた。
「俺がいなきゃ駄目なんだよ、俺だけが守れるんだ」
否定はしないよ、若葉。君は否定されるのを極端に恐れている。AがAという正解でも、君はAだと判っていても確定をいつまでもしないで悩み続けて、否定されたらどうしようと怯える人だから。
若葉は私が靴を履き替えるのを待ってくれて、私は音をさせず丁寧に靴を置いて、履き替えると、とんとんとつま先を地面に向けて叩いて靴が足にはまっていることを確認する。
私と若葉は帰宅した。